俺が代わりに怒ってやる。
南の島に暮らす女性A様から「私は今人生がめちゃくちゃで、明日母の火葬で一時帰国をしているのですが、南の島の彼氏にお金を勝手に使われたり、色々ありすぎて寝れません。良かったらお会いして話を聞いてもらえませんか?」とご連絡をいただいた。私の正しい使い方である。A様は、現在差し押さえもくらっている。だが「彼氏に使われるくらいなら坂爪さんにご馳走したほうがマシです」ということで、晩飯をご馳走になった。
明日母の火葬で、お金もなくなり差し押さえもくらっている人に食事をおごらせるなんて、俺が一番悪人なんじゃないかと思った。A様は言った。彼氏は可哀想な境遇で育ち、心に傷を負っている。私なら助けられるかもしれないと思って付き合い出したが、ギャンブルにはまった彼氏がことごとく散財した。母が死んだことを悲しみたいのに、お金のことを考えてしまって悲しみに浸れない。こんなことは誰にも話せない。母に対してもいろいろな思いがある。もっと自由に生きて欲しかったとか、母の遺産を借金返済にあてる負い目とか、いろいろ。こんなことは誰にも話せない。A様は、そのようなことを話した後に、聞いた。
坂爪さん、今の私はどう見えますか。私は、しばらく考えた後に「良いことが起きているのだと思う」と言った。彼氏との諸々はロマンス詐欺に遭ったと思えばいい。有り金をはたいて、いい夢を見させてもらったのだ。まだまだ好きなら一緒にいればいいし、うんざりしたなら別れればいい。問題は自分。彼氏の生い立ちや、母の死を「可哀想認定」するのはいかがなものか。俺だったら、もっと自由に生きて欲しかったとか言われたらうるせえと思う。同情されるより、あいつはあいつなりに生きたんだと思ってもらえた方が、成仏する。あらゆる死は、大往生だと私は思う。それを可哀想認定するのは、上から目線で微妙である。
よく「私に悩みはないけれど、坂爪さんに会う人は悩んでる人が多いんですか」と聞く人がいる。私は、その聞き方に違和感を覚える。悩みを持っている人に対して、可哀想な人マウントを取っているように感じる。物言いが上から目線で、不快になる。悩んでいる人の方が、よっぽど優しいと思う。悩みがあろうがなかろうが、不幸な人間はいない。可哀想な人間は一人もいない。だから、悩みがある人たちよ、俺が代わりに怒ってやったぞと言いたい。何かを「してあげる」とか言いながら、いきなりマウントを取ってくるコントロール欲の強い連中に、俺が天誅を加えてやったぞと言いたい。それによって嫌われて、会えば会うほど読者を失っているが、そんなことは関係ない。
呼ばれた場所に移動をしている。交通費や宿代を出してくれる人もいれば、片道だけとか、交通費も宿代も出せないけど会いたいとか、いろいろな人がいる。その全部に会う。冷やかしもいる。呼ばれた場所に行ったら誰もいないなんてことはザラだ。それでも行く。なぜか。自分でもわからない。風狂に取り憑かれたとしか言えない。風狂に取り憑かれた路上生活者。良く言えば松尾芭蕉。悪く言えば…言わない。路上生活者は、誰のことも悪く言わない。路上生活者は馬鹿にされる。石を投げられる。興味本位で詮索される。だが、路上だからこそ見えることもある。ないから見えることがある。別れ際、A様は「いろいろ話せてスッキリした。落ち着いたら坂爪さんを南の島に呼びたい」と言った。是非、呼んでくれと思った。
おおまかな予定
10月21日(月)愛知県名古屋市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)
連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com
SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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