↑のつづき。

さて、
この日は関東出張最終日にしてオフ日。

まだ暗いうちから東京を飛び出して
小一時間で千葉駅で乗り換え、
外房線上総一ノ宮行で上総一ノ宮駅下車。

千葉県長生郡一宮町にやってきた。



この地は律令制により上総国になる以前、
「伊自牟(いじむ)国(伊甚国)」だった。

それが後に訛って
『夷隅(いすみ)』になったという説がある。

現在も「いすみ市」「夷隅郡」の地名に
残っている。

阿波国を常に頭の隅に置くワタシとしては
『イの国の隅っこ』という説を提唱したい。

また、ここ『長生町』の地名は、
徳島南部の旧長(ナガ)国、
現在の阿南市『長生(ながいけ)町』の地名を
阿波忌部族が遷したと推測できる。

阿南市長生町に鎮座する八桙神社は、
上古、長ノ国造の祖神として
大己貴命を祀っていた↓


長生郡一宮町の地図。

この可愛らしい巫女さんのデザインは
『一宮いっちゃん』。

一宮町のキャッチコピーは
「緑と海と太陽のまち」。

髪が九十九里の海をイメージ、
一宮町の緑・山をモチーフにし
た頭頂部の部分から太陽が昇っている
素晴らしいデザインです。

玉前神社ホームページより↓
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この一宮町は、
房総半島九十九里浜の最南端に位置し、
一年を通して寒暑の差が少なく
温暖な気候に恵まれた土地で、
縄文弥生の頃から人々の営みがあったことが
遺跡や貝塚などによって
明らかにされています。
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駅から徒歩数分ほどで目的の神社へ。



上総国一之宮。

ついにやってきた。



朱い一の鳥居。


レイラインの看板。
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春分と秋分の日の出は、
この玉前神社の一の鳥居を照らし
延長線上にある富士山山頂などを経て
出雲大社をを通る「レイライン」と
呼ばれています。
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二の鳥居。



珍しい竹の鳥居。

「ご神水」があり、
ここでお水取りができる。

水の味に関しては、鉄分豊富だと
誰でも実感できる味だった。

奥にはヤマトタケルの伝承が残る
『白鳥井』もある。


『珠琴泉(しゅきんせん)』。

地中に埋めた瓶に滴る水の音が、
まるで琴の音のように聞こえる。




堂々たる狛犬。





手水舎。



三の鳥居。


案内所。



拝殿。

延喜式内名神大社 上総国一宮
『玉前(たまさき)神社』

鎮座地 千葉県長生郡一宮町一宮
創健 不詳
祭神 玉依姫命 

古代は、
玉前大神が祭神だったとも云われている。

『玉前』の名称の由来については
ホームページによると↓
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御祭神に由来するという説、
九十九里浜を古くは「玉の浦」とたたえ
太東崎を南端とするところから
玉崎(前)となったと云う説など諸説がある。
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ご祭神 玉依姫命

玉依姫命は海(龍宮)より
この地におあがりになり、
姉神 豊玉姫命より託された
鵜茅葺不合命をご養育、
後に命と結婚されて
初代天皇神武帝をお産みになられました。

ご祭神が私達の生活全般を
お守りくださるのは勿論ですが
わけても安産・子育てのお働きに
象徴される女性の守護神として、
また「龍宮」の意味する豊かさや喜びを
もたらし男女をはじめ
人のご縁を結ぶ神として古くより
信仰されています。

ご由緒

創始は古く詳らかではありませんが、
延喜式内名神大社、
また上総国一ノ宮として
平安時代にはすでに日本の中でも
重きをおくべき神社とされていました。
明治四年には国幣中社に列しています。

昭和二十三年に
当時皇太子であられた今上陛下がご参拝、
同二十八年には昭和天皇、
平成四年には今上陛下より
幣饌料を賜わりました。

また千葉平氏上総権介平朝臣広常をはじめ、
源頼朝の妻の北条政子懐妊に際して
安産祈願の奉幣、
徳川家康が神田十五石を寄進するなど
武門の崇敬も多く厚いものでした。

ご例祭

九月十三日 ご例祭と神幸祭

大同二年(807年)に始まったと伝えられる
当地方で最も古い浜降神事です。

上総の裸祭」といわれ、
ご祭神由縁の釣が崎海岸に
十二柱の神々が集われる壮大な祭儀です。

裸の男達が神輿を奉じて
九十九里浜を疾走します。

文化財

国指定重要文化財「梅樹双雀鏡」
県指定有形文化財「玉前神社社殿」
などがあり
県指定無形民俗文化財「上総神楽」は
三百年の伝統をもち
現在でも年七回奉納されています。
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由緒や例祭を見る限り、
玉依姫ご本人と言うよりは、
玉依姫を祭祀する一族が
海からこの地に降り立ったと
推測することができそうだ。







神楽殿。




横から本殿。


この地から南に約6kmの一宮町綱田には
上総国一宮玉前神社の元宮とされる
『神洗神社』が鎮座している。

祭神の玉依姫命が、
上陸後に境内の神洗池で
髪を洗ったことから
ついた社名なのだそうな。
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玉依姫を中心とした女系集団は、
現在のいすみ市太東岬に移住し、
南総一帯の開拓。

その後、玉前神社を中心に
次第に強大となり東国鎮護の拠点となった。
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県指定無形民俗文化財に
『上総十二社祭り』がある。

9月13日におこなわれる
玉前神社の『はだか祭』は、
約1200年の歴史があり、
上総十二社の一社『鵜羽神社』にて
9月8日におこなわれる
『御漱(おみすり)祭』と深い繋がりがある。
鵜羽神社の祭神は玉依姫の夫鵜茅葺不合命

↑千葉県のホームページによると
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旧上総国一宮の玉前神社を中心とする
寄合い祭りである。

玉前神社の神霊は、
海中より玉として現れたと伝えられ、
年に1度、その祭神である玉依姫を中心に、
眷属となる諸神が集まるものとされている。

十二社の所以は、
元禄3年(1690)に書き写された
「三之宮福大権現由趣書」に
「一番下之郷玉垣大明神、
二番三之宮福大権現、三番本納大明神、
四番二之宮大明神、五番金田村南宮大明神、
六番一之宮玉前大明神の神輿十二社は、
太東釣ヶ崎といふ所へ出御」
云々ともあるように、
古くは6社12基の神輿が
寄合っていたことによるが、
これまでにいくつかの出入りがあって
変動している。

現在の祭りは、
毎年9月8日から14日にかけて行われるが、
なかでも13日の例大祭では、
長生郡一宮町一宮の玉前神社をはじめ、
同町宮原の南宮神社、
いすみ市岬町中原の玉崎神社、
同町椎木の玉前神社、
同町谷上の谷上神社から、
計5社9基の神輿が釣ヶ崎の祭場に集結し、
それぞれ神霊合わせの祭儀をいとなんでから、次々と還御の途についている。

上半身裸の男たちが神輿を担ぎ、
シオフミといって
波打ち際を駆け上がるさまは勇壮で、
俗に裸祭りとも称されている。
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玉前神社の神霊は、
海中より玉として現れた。

釣ヶ崎海岸は玉前神社元宮付近。

上総十二社の一社である
長生郡睦沢町の『三之宮神社』の社伝には
勝重という人物の夢に龍神豊玉姫が現れ、
「稲飯命・三毛入野命(神武天皇の兄弟)の
 二神が百王万民のため身を海に投じ、
 天神に祈願したため倭国が平定された。
 この二神が太東崎に漂着するを
 以って迎え奉るべし」
と告げたのだそうな。

勝重はお告げのあった太東崎で
三つの玉を発見し、
神霊として祀ったというのが創祀とされる。

豊玉姫と言えば玉依姫の姉神であり、
日本神話においては
満珠干珠を山幸彦に授けた
オオワタツミの娘である。

三つの玉との関連性は不明だが、
豊玉・玉依を祭祀する一族が
この地に移住してきた伝承を
上総十二社祭りとして
今に伝えてきたと言える。


上総国には、
神武天皇に関連する神々を祀る神社が多い。

房総半島は、神武天皇の御代に
忌部一族が開拓した土地。

そして、阿波国の式内社には
全国で唯一『豊玉姫』の名を関する
延喜式内社
『天石門豊玉比売神社』
『和多都美豊玉比売神社』が鎮座する。

「天石門(アマノイワト)」は忌部系、
「和多都美(ワタツミ)」は海部系、

忌部海部の両一族が手を取り合い、
この地にやってきたのである。



招魂殿。






力石。





ご神木『イス』。

「なんじゃもんじゃ」とも呼ばれる
まんさく科いすの木。
俗に「ひょんのき」「蚊母樹」とも言い
常緑で花も実もつける。

「夷隅(いすみ)」の「いす」とも
関係があるのだろうか。








後ろから本殿。

朝の太陽が十字を切る。






竹の鳥居をくぐると『はだしの道』。

一周廻りて無垢となり
二周廻りて気を入れて
三周廻りて気を満たす


一宮町指定文化財『芭蕉の句碑』。





末社『十二神社』。

由緒↓
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・ご祭神      ・旧鎮座神社
軻愚突智命    宮の後 愛宕神社
誉田別命     陣屋内 八幡神社
事代主命     上宿 三島神社
白山比売命    上宿 白山神社
大山咋命     下村 日枝神社
大山祇命     柚の木 山神社
木花開耶姫命   細田 浅間神社
八衢比古命
八衢比売命    道祖神 塞神社
久那斗命     
大物主命     内宿 蔵王神社
少彦名命     関東台 粟島神社
櫛御毛野命    陣屋 熊野神社
罔象女命     下の原 水神社

一宮町内の邑々に昔から祀られ
信仰を集めていた神々が
明治初年政府の命により
玉前神社に合祀され
十二神社として現在にいたりました。

例祭は「愛宕さん」と親しまれ、
その火防せのご神徳とともに親しまれ
賑わっています。

平成六年十月氏子を始め
ご崇敬の方々のお力により社殿のご改修、
神輿のご修理が見事に行われました。
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龍の彫刻が力強い。















この玉前神社から、
海沿いを北上すると旭市。


旭市には、
玉依姫の姉神 豊玉姫を祀る『海津見神社』、
満珠干珠が神宝と云われる『二玉姫神社』、
玉前神社と同音で、同じく玉依姫を祀る 
『玉﨑神社(下総國二宮)』等が鎮座しており、
九十九里浜周辺には、
明らかに海神(竜王)信仰が多く見られる。

玉前神社とともに九十九里浜を鎮護する
『玉﨑(たまさき)神社』のHPによる由緒抜粋↓
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後世、「玉ケ崎」を
竜王岬」と言うようになったのは、
海神を竜宮の神に付会して、
竜王の鎮まり坐す崎と言うように
なったものである。

中世には
下総國二之宮・玉の浦総社と称され、
武門武将の崇敬厚く、
平貞盛・源頼朝・千葉常胤等が参拝され、
それぞれ祈願や奉賽のために
奉幣や社殿の造営にかかわられた。
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また、江戸時代
玉﨑神社の鎮座地する飯岡は
九十九里の代表的な漁場として隆盛を極め、
相模・三河・紀伊・伊予阿波・和泉・
安芸等の国々よりの移住者も
多かったのだそうな。




境内社『玉前稲荷神社』。


個人的に千葉県の面白いところは、
各地に『忌部』『阿波忌部』
そして、『満珠干珠』の伝承が
残っていることである。

『稲荷』とは『ウカノミタマ』であり
「ウカ」⇒「オカ」⇒「オカミ」や
「ウケ」⇒「ウケモチ」や
「トヨウケ」⇒「トヨタマ」などと
転化していく。


境内社『三峯神社』。


日本武尊が此の地に
伊弉諾尊・伊弉冊尊を勧請した仮宮を
造営され、聖武天皇の御時光明皇后が
十一面観音を別殿に安置したのが
初めと伝えられている。



恒例の「狛犬の見る景色」。



『さざれ石』。




『小宝子授け いちょう』。









『五葉松』。樹齢推定150年。

冬でも青々とした葉をつけることから
不老長寿の象徴として縁起が良いとされる。

さすが『長生郡』。



一の宮と言えば、
やはり豪華絢爛な神社が多い中、
この玉前神社はとても落ち着きのある
穏やかな神社という印象だった。



吹く風には潮の匂いがまじる。




「一宮には参拝したいが、人混みはイヤ」
というワタシのようなヒトには
オススメの神社です。


とは言え、他にも参拝する方はおり、
大切にされている素晴らしい神社だった。


この後、海沿いをさらに南下し、
勝浦市』を目指した。

もちろん目的は「忌部の痕跡」を
見つけるためである。

つづく。

ではまた❗






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