山﨑賢人 (競輪選手)
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基本情報 | ||||||||||||
本名 |
山﨑[注釈 1] 賢人 やまさき けんと | |||||||||||
愛称 | ざぶ | |||||||||||
生年月日 | 1992年12月17日(31歳) | |||||||||||
国籍 |
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身長 | 175.0cm | |||||||||||
体重 | 77.0kg | |||||||||||
選手情報 | ||||||||||||
登録番号 | 015213 | |||||||||||
所属 | 日本競輪選手会長崎支部 | |||||||||||
期別 | 111 | |||||||||||
脚質 | 先行・捲り | |||||||||||
登録地変遷 | ||||||||||||
2017- | 長崎 | |||||||||||
自転車競技情報 | ||||||||||||
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■最終更新日:2024年10月21日 ■テンプレートを表示 |
山﨑 賢人(やまさき けんと、1992年12月17日 - )は、日本の競輪選手、自転車競技選手。長崎県諫早市出身[2]。日本競輪選手会長崎支部所属、ホームバンクは佐世保競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第111期生。師匠は山口幸太郎(77期)。
来歴
[編集]諫早市立森山中学校、長崎日本大学高等学校を経て進学[2]。
2016年、日本大学商学部経営学科卒業[3]。在学中はバレーボール部に在籍していた[2](ポジションはレシーバー[4])。
アマチュア時代を経て、競輪学校を受験。技能試験で1発合格する[5]。
2017年7月9日、久留米競輪場でデビュー(1.1.1で優勝)。
2018年1月10日、3場所連続の完全優勝を達成し、1月11日付でS級2班へ特別昇級[6]。
3月26日 - 28日の福井FI後すぐ、中学時代からの憧れだったアフロヘアーにし、以後トレードマークとなる[7]。
8月19日、第61回オールスター競輪(いわき平)にて、GI初出場で決勝進出を果たす(単騎で挑み4着)[8]。デビュー406日は、グレード制移行後では当時、武田豊樹の387日に次ぐ早さだった[9]。
2019年12月頃、自転車競技のナショナルチームに加わる[5]。
2024年10月17日、世界自転車選手権男子ケイリン(デンマーク・バレラップ)で優勝[10]。日本勢の制覇は、1987年の本田晴美以来37年ぶり2人目で、1993年のプロアマ・オープン化以降では初となった[11]。パリ五輪では日本代表に落選して補欠となるも帯同せず、この大会に絞って臨んだ[12]。
自転車競技での戦績
[編集]- 世界選手権自転車競技大会・ケイリン 優勝
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “山﨑賢人が優勝 37年ぶり史上2人目の日本人世界王者が誕生 男子ケイリン/2024世界選手権トラック”. MoreCADENCE(JKA) (2024年10月18日). 2024年10月21日閲覧。
- ^ a b c “自転車アジア選手権トラック・男子スプリント 山崎(長崎日大高出身)V 10月の世界選手権へ”. 長崎新聞. (2022年6月26日)
- ^ “我、プロとして Vol.8 競輪選手 山崎賢人(2016年商学部経営学科卒)”. 日本大学の”今”を伝えるメディア「NU CATCH-UP」. (2021年1月27日)
- ^ “「賭ける側」から始めた競輪、目に焼き付いたアテネ銀メダル・・・山﨑賢人インタビュー”. More CADENCE. (2020年9月16日). p. 1/4
- ^ a b “「賭ける側」から始めた競輪、目に焼き付いたアテネ銀メダル・・・山﨑賢人インタビュー”. More CADENCE. (2020年9月16日). p. 2/4
- ^ KEIRIN.JP
- ^ “直送!競輪場便り 武雄競輪場より”. 月刊競輪WEB. (2018年5月18日)
- ^ “ヤングスタープレス 山崎賢人”. 月刊競輪WEB. (2018年9月21日)
- ^ “山崎G1初出場で優出!! 九州王国再興へ”. 西日本スポーツ. (2018年8月19日)
- ^ KEIRIN.JP
- ^ “髪形も最強 男子ケイリン37年ぶり快挙どころかまさかの“2冠””. スポーツ報知. (2024年10月19日)
- ^ KEIRIN.JP
外部リンク
[編集]- 山崎 賢人 選手プロフィール - KEIRIN.JP