ジャニー喜多川氏と15歳の「僕」の“夜の儀式”――「僕は初めてフェラチオをされた」「一人ずつ、全員を……」

NHKホールでリハーサルをチェックするジャニー喜多川氏

 元ジャニーズJr.の前田航気が海外向けメディア「ARAMA! JAPAN」に登場し、ジャニー喜多川氏のセクシャリティーやハラスメント行為について発言したことが話題を集めている。

 前田は2018年9月頃までジャニーズJr.として活動。

人気ジャニーズJr.ユニットの7 MEN 侍に所属し、舞台を中心に活動していた。「ARAMA! JAPAN」のインタビューに応じた前田は、「ジャニーズのタレントや社内のほかの誰かからアイドルの虐待について聞いたり、見たりしたことがありますか?」という質問に対し、ジャニー氏が「同性愛者」だと明かした上で、Jr.の何人かは、デビューをめがけて、ジャニー氏と「性交」を望んでいた……などと証言している。さらに「これが虐待と見なされるかどうかはわかりませんが、ジャニーズJr.と喜多川氏の間に性交があったことは確かです」と、話しているのだ。

 ジャニーズ事務所は、1980年代よりジャニー氏による性的虐待がうわさされ続け、これまでにも元タレントによる“暴露本”がたびたび物議を醸してきた。88年に元フォーリーブスの北公次が半生記『光GENJIへ』(データハウス)を出版し、ジャニー氏の“行為”を告発。翌年にも初代ジャニーズのメンバー・中谷良が『ジャニーズの逆襲』(同)でジャニー氏の性癖や、事務所の内情を暴露。90年代には平本淳也、豊川誕らも追随し、その全ての暴露本で、ジャニー氏の性的虐待について触れている。

 サイゾーウーマンでは、これら暴露本で告発された“行為”の内容を過去に何度も取り上げてきた。中でも、元・光GENJIの木山将吾による『SMAPへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(05年、鹿砦社)は、歴代の暴露本の中でもジャニー氏を糾弾すべくつられた「過激な内容」となっている。ジャニー氏と出会った高1の秋、15歳の頃から振り返り語られる“行為”の実態とはーー? いまあらためて再掲する。
(編集部)

(初出:2018年9月12日)

昼は食事を与えられ、夜は精を吸われる――ジャニーさんとの“蜜月”と“恥辱”の日々

 他の被害者たちは漠然としか告白しないし、また、偽っている。僕もそうだった。みんなそうだ。

彼らが真実を口にできないのは、ジャニー喜多川の行為が人間の尊厳を破壊するものだからだ。忘れられるはずがないだろう……。なぁ、ジャニーさんよ。

 かつてジャニーズ事務所のタレントとして活躍した、元タレントたちの告白本から、ジャニー喜多川氏が行ってきたホモセクハラ・性的虐待のリアルに迫る本連載。

 前回は、元・光GENJIの木山将吾氏が2005年に出版した『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社)から、少年をいきなりスター軍団の中に放り込んで夢心地にし、デビューをほのめかして心を溶かし、若い肉体にしのびよるジャニー氏のおなじみにして決定力バツグンの手口を、著書の中から紹介した。

合宿所で、生まれて始めての……

ジャニー喜多川氏と15歳の「僕」の“夜の儀式”――「僕は初めてフェラチオをされた」「一人ずつ、全員を……」
『Smapへ~そして、すべてのジャニーズタレントへ~』(鹿砦社)

 木山氏の背後から抱きつき、硬くなった下半身を木山氏にこすりつけながらズボンの中にイキ果てるという、盛りのついた犬のような行為に木山氏はショックを受けたものの、その直後に、木山氏は雑誌の取材を受けることとなり、いきなりの雑誌デビューを果たす。自分がシンデレラ・ボーイとなった実感が、ジャニー氏への疑問を薄めていくのだった。

 だが、そんな木山氏の様子をいいことに、ジャニー氏はさらに大胆な行為に出てきたという。

 合宿所で過ごす3回目の夜となった日、大部屋で1人で寝ていた木山氏のもとに、全身から香水のニオイをぷんぷんさせたジャニー氏がやってきて、足のマッサージをはじめたのだという。

 もうこのことにはマッサージに慣らされてしまい、ジャニーさんに触られることに対する抵抗がなくなっていた。

 だが、当然、それだけで済むはずはなかった。

 ジャニー氏の手は、木山氏の股間に伸び、巧みな愛撫に勃起したことを確かめると、スウェットのズボンをゆっくり引き下げてきたという。

そして、若く元気な木山氏のペニスを前に、ジャニー氏は「はぁ、はぁ、はぁ」と犬のように鼻を鳴らしたかと思うと、

 次の瞬間、僕のペニスは生暖かいものに包まれた。同時に激しい快感の波が僕を襲った。

 木山氏にとって生まれてはじめてのフェラチオ体験だったという。

 そうだ、今、僕のペニスを吸っているのは、あのジャニーさんなんだよ。「やばいよ」と我に返った瞬間、そのまとわりつくナメクジのような舌の絶妙なテクニックで、ジャニーさんの口の中で果ててしまった。

 ジャニーさんはそれをゴクリと飲み込んだ。

 僕は初めてフェラチオをされた。相手は六十歳の男だった。でも、それが、この合宿所では当然の夜の儀式だった。

 タレントとしてデビューするための……。

 ジャニー氏のお気に入りとなった木山氏は、何をするにもジャニー氏についていくようになる。ジャニー氏は、木山氏を赤ん坊のように扱い、食事の際も食べ物を口に運び、箸を持たせることすらなかったそうで、その関係性は、幼子を持つ母親か、かいがいしい新妻かのようだったという。

 そして夜は、隣で仲間が寝ている中で、ジャニー氏に精液を吸われる日々が続いたという。

 ジャニーさんは律儀にも、全員と一緒にお風呂に入り、彼らのカラダのすべてを洗う。そして、その後は暗くした部屋にしのびこみ、今度は一人ずつ、全員を犯していくのだ。みんな、隣で仲間が寝ている中で、ジャニー氏に精液を吸われているのである。

 僕にフェラチオをして、いつものように、暖かいお絞りで僕の性器を丁寧にふき終わった後、隣のベッドの新人の中学生の男の子のもとへ移動した。

 木山氏は、〈これに耐えなければデビューできないというのは本当だ〉と言い、ジャニーズ、フォーリーブス、光GENJI、SMAP、すべてのアイドルがそうであると断言する。特別扱いを受け、濃密すぎるジャニー氏との2年間を過ごした、木山氏の言うことだけに、説得力は十分だ。

 そんな木山氏が、ついにジャニー氏との最後の一線も超えてしまったのは、テレビデビューを果たした直後だったという。

 同著の第四章「僕はジャニー喜多川とセックスをした」の項に、その詳細は官能小説かのように、数ページにわたって克明に記されている。

 その日のジャニー氏は、明らかにいつも以上にヤル気満々で、まずは少年の弱みを知り尽くしたフェラチオで、木山氏を1度目の射精に導く。さらに足の指の一本一本にまで舌を伸ばし、またしても激しいフェラで木山氏に襲い掛かり、なんとアナルにまで舌を伸ばしてきたという。木山氏の下半身は「うそだろ!」という思いと裏腹に、気付けばパンパンに張り詰めてしまったという。

 そこにひんやりとした感触を覚えた。何かがペニスに塗られたみたいだ。

 と思った瞬間……!

「ああ~~~っ!」

 ジャニーさんの嬌声だ。そして、僕のペニスは口ではない何かが生暖かくしめつけられるものに包まれた。
恐る恐る目を開けた。

「げっ! うそだろ!」

 今にも叫びそうになった。ジャニーさんが僕の上に馬乗りになっているじゃないか。そして、上下運動をはじめた。

 まさか、ケツの穴に、僕のチンポを!

 こんなことが許されていいはずはない。

 だが、デビューへの道のりと思ってこの地獄に耐えてきた木山氏に、ついにデビューが決まる。

「次のデビューが決まったよ。グループ名は『光GENJI』。

そこのメンバーにYOUは入るからね。佐藤も諸星も一緒だよ」

 しかし、実際に、光GENJIとしてポスター撮りや、アイドル誌の取材まで受けながら、デビューしたグループに木山氏の姿はなかった。

 彼になにがあったのか。次回では、木山氏がデビューを目前にジャニーズを去る原因となったという、都市伝説的に語られてきた、ジャニー氏のもう一つの重大疑惑について、複数の告白本から改めて検証していこうと思う。

(渡邊孝浩)

※今日では差別意識を助長する表現ですが、「逆セクハラ」同様、「セクハラ」が男性から女性への“行為”と限定されていた当時の社会的状況を伝えるため、時事用語と捉え、1999年の「週刊文春」(文藝春秋)報道から引用しています。

<バックナンバーはこちらから>

54年前、毒牙にかけられた「初代ジャニーズ」(第1回)
16歳の「おれ」にジャニー喜多川が繰り返した性行為(第2回)
13歳を誘い犯した、ジャニー喜多川のパワハラと“行為”(第3回)
16歳の“僕”が「スター抜てき」と引き換えたもの(第4回)
「行為」をしなければJr.で終わる(第5回)
ジャニー喜多川氏の「泡風呂の儀式」「頬にキス」(第6回)

編集部おすすめ
サイゾーウーマンの記事をもっと見る

「一生懸命セックスした」不倫4年、男の子どもを殺めた女が語る“愛の証し”【葛飾区女児誘拐殺害事件・前編】

世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。

彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛した闇をあぶり出す。

「一生懸命セックスした」不倫4年、男の子どもを殺めた女が語る...の画像はこちら >>

 下町の風情の残る東京都葛飾区で「仙石商店」(仮称)を営む石崎伸一(仮名・37)は、若くして親から受け継いだ会社を切り盛りする“下町のプリンス”だった。妻・聡子(35)との間に、中学生の長男と、小学生の長女がいたが、彼にはもう一つ別の生活があった。

 仕事の合間に、隣町のアパートへカブを走らせる。ピンクのカーテンがかかる部屋の窓から、細面で目鼻の整った美女が顔を出し、カブに乗る男へ笑顔で手を振る。仙石商店の事務員・八文字美佐子(25)だった。伸一と美佐子は家主に「新婚」だと伝えていたが、実際は妻の目を盗み情事に耽る不倫関係にあった。

 約4年前から続く関係にほころびが生まれた時、一人の少女が命を奪われた。

[第2回]葛飾区女児誘拐殺害事件

 伸一の長女で、小学2年生だった石崎弥生ちゃん(8)が姿を消したのは、昭和49年10月17日のことだった。住居と事業所が一緒になった仙石商店で、この日、両親は従業員の結婚式のため不在にしていたが、下校してきた弥生ちゃんはそれを聞かされていなかった。

「だれもいないのでアタマにきた。

友達のうちに遊びに行く」

 こう従業員に話して家を出て行くが、その後、足取りは途絶える。見つかったのは約2週間後の10月30日。自宅から車で一時間あまりの距離にある、埼玉県大宮市の雑木林でだった。刺し傷の認められる遺体はすでに腐敗が始まっており、一部はセメントで固められていた。

 弥生ちゃんは、2年生だったが身長は135センチ、体重は40キロ近くあり、4~5年生に見えたという。活発な子で向こう気も強く、同年代なら男の子と喧嘩をしても引けをとらなかった。

 発育がよいということだけでなく、別の意味でも近所で目立っていた。近隣では「金回りのいい家の子」と見られていたのだ。千円札を2~3枚つかんで菓子屋へ買い物にきて、たくさんお菓子を買っては近所の子に分けてやる。一人でタクシーに乗って友達の家に遊びに行くこともしばしばあり、家から3万円も持ち出して叱られたこともあった。大人のような長いドレスを着たり、かかとの高い靴を履いているところを見た人もいる。

 年齢より大人びて金回りの良さが知られた家の娘であることから、当初はわいせつや金銭目的の誘拐の線でも捜査がなされたが、捜査員たちは怨恨の線に勘が働いた。


 葛飾区堀切のブリキ職人の長女だった美佐子は、中学を卒業して近くの街工場などでしばらく働いた後、日本舞踊師匠の家に内弟子として住み込んでいた。その傍ら、都立の定時制高校に通う日々。美佐子は、その際立った美貌から高校時代には「マリア」と呼ばれ、近所の者たちからは「下町の吉永小百合」と称されていた。その美佐子を、仙石商店の事務員としてスカウトしたのは、同じ舞踊師匠のところへ習いに行っていた聡子だった。「下町のプリンス」伸一と特別な関係になったのは、美佐子が仙石商店に雇われて8カ月目の、昭和46年3月以降のことだった。

 美佐子は、初めて関係を持った経緯をこう明かす。

「私が、首筋が痛いって言ったら、社長さんが『俺は柔道をやっていたから直してやる』と言いまして家の中に入りました。元は1階の部屋でマッサージをしていただきましたが、そのうち社長さんが『ここだとみんなに変に勘違いされるから、二階に行こう』って言うので、二階の部屋に行って、そこでされるままに関係しました。

 1週間後にアメ横でネックレスを買ってもらってから、ホテルニューオータニのスカイラウンジへ連れて行ってもらいました。私はああいうところへ行ったのは生まれて初めてだったんです。そこで社長さんに『これから俺と冒険してみないか』って言われて、“奥さんに隠れて浮気しよう”という意味だと思いました。でも幸せな気持ちになりました」(公判での供述)

 数回の遊びでは終わらなかった。

美佐子はその理由をこう続ける。

「社長は、最初、私と2、3回浮気するつもりだったらしいんです。ところがいざ関係してみると、私が性的な面ですごく気に入ったので離せなくなってしまったと言っていました」

 美佐子が伸一に深くのめり込んだのは、彼が“初めての男”だったから……というだけではく、“不倫男の典型的なセリフ”を繰り返す伸一を、美佐子が完全に信じていたことも大きい。

「社長はいつも私に(奥さんのことを)『すごく嫌な奴だ』とか、『死ぬといい』とか、『1日も早く別れたい』というようなことを言っていました」

 ホテルや車の中での情事が終わると、ピロートークで伸一は「妻とは離婚して美佐子と結婚する」「千葉県に新工場を作ってそこへ単身赴任し、家族とは別居して二人で暮らそう」など甘い言葉を美佐子につぶやき、彼女は本気になった。だが、夫婦は離婚することなく、約4年がたとうとしていた。


 関係が始まりほどなくして、伸一は美佐子との密会のために足立区にアパートを借りた。しかし、やがて聡子がこれに勘づき、アパートに怒鳴り込んだことから、美佐子は一旦実家へ戻ったのだが、諦めきれない伸一は、もう一度秘密でマンションを借りて2人の愛の巣を準備した。そんな中で、美佐子は会うたびに伸一とセックスに励んでいたが、これは彼女なりの“考え”があってのことである。

「これは、私がセックス好きだからではありません。私は社長が奥さんと浮気できないようにするため、一生懸命セックスしたんです。社長さんは関係を持つ時、他の女性との物語を聞かせるんです。

 だから私も『私だって何人もの男性と経験あるのよ』と嘘を言いました。

社長さんは、絶対に奥さんとは『浮気』しないと断言して、その証しとして体にマジックで印をつけてくれ、とも言ってきました」

 美佐子は、セックスの数こそ二人の愛の証しを示すものとの考えから、46年秋から性行為の記録「ラブ・ノート」をつけ始める。

「これだけ連日肉体関係を結んでいるのだから、夫人と『浮気』するはずはない」

 ノートにその記録を書き足すたび、美佐子は自分に言い聞かせていた。

 しかし、終わりの始まりとなる、ある出来事が起こる。

――後編は6月10日更新

トピックス

今日の主要ニュース 国内の主要ニュース 海外の主要ニュース 芸能の主要ニュース スポーツの主要ニュース トレンドの主要ニュース おもしろの主要ニュース コラムの主要ニュース 特集・インタビューの主要ニュース
今、あなたにおすすめ

ニュースランキング

もっと見る
Amazonおすすめランキング PR
お買いものリンク PR