鈍色の川 | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

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日記を更新する。

 

今回はいつものように小さなトピックを用意して色々書いていくやつをやって行くことにする。

 

どうでも良いのだけれど、この前書いたカリステネスの記事に以下のようなコメントが来ていた。

 

None

このブログを書いている人の記事は全部 個人的に惜しいというか 読み飛ばしたくなるようなつまらなさを感じる。何故か考える。漫画考察の記事の場合、作者の浅慮や間違いを正すことばかり書いている、私としては考察を見に来ているのに英語がどうたらだとか、原典的には本当はこうだから作者は混同している、とかはあまり興味が無い。間違っていてもそこから面白いものは生まれている訳だから、個人的にはどうでもいい。考えるに、ブログ筆者はエビデンスを常に正しいと思っていて、それで自信のなさや自分の考えを無意識に(あるいは意識的に)守ってる精神的が脆い人なんだと思う、だから批判が怖くていつもビクビク怯えているし、''まあどうでもいいんだけど''←の様な自己保身の為のフィラーがたくさん文章に出てくる。もしかしたら学生時代に自分の考えを周りに押し通そうとしたり、考え方の差異で苦しい思いをした人かもしれない。

元ネタやオマージュ元と違っても、それがどうしたっていうんだろう。俺はその作品に対するあなたの感想や本当の意味での考察を見たい。ネタ元を知った上で違いを指摘するんじゃなくて、考察を発展させて欲しい。」

 

僕はこれを読んで、えぇ…と思った。
 
全体的に意味不明というかなんというか、そもそも僕は基本的に考察なんて書いてないんだよなぁ…。
 
かなりの高頻度で記事の冒頭に○○の解説を書いていくことにするって言及してるだろ。
 
何が気に入らなかったのか良く分からないけれど、おそらく、作家の不備の指摘がこの人物は一切受け付けられないが故に不満があるのかなとは思う。
 
確かに、僕はそういう指摘はするのだけれど、全体を見ればその記述は1割にも5分にも満たない量で、それなのにあの言い様だということを考えると、強くそこが引っかかったのかな、って。
 
普通に間違いを指摘するときはあるとはいえ、全体から見れば本当に僅かにしかしていない。
 
とにかく気に入らないから文句をつけてきたということは分かるのだけれど、じゃあどういう内容なら満足するかは読み取れないし、僕がこの人物を喜ばせなければならない理由はない。
 
なんというか、お前が興味ないとかこっちは知らねぇよとしか…。
 
何様で、どういう立場から意見を言っているんですかね…?
 
ただ読まなきゃ良いだけだろ…って。
 
それとエビデンスは客観的な事実で正しい情報だと判断出来て初めてエビデンスで、正しくなかったらエビデンスじゃないんじゃないでしょうか。
 
何を言われたのか、僕には良く分からない。
 
僕は先のコメントを読んで、脳内でアトゥラに答える高僧の言葉がひたすらに反芻された。
 

「 アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫 1978年)」

 
加えて「本当の意味での考察」って何なんすかね…。
 
本当にそれだけは具体例を挙げて説明して欲しかったけれど、ファーストコンタクトでこんなことを言ってくる人物とやり取りしてもストレスが溜まるだけというか、この場合だと、この人の意見を受け入れて、好意を示した上でないと「本当の意味での考察」の指示する内容を教えてもらえないわけで、でもこの人に下手に出る理由が見出せなかった。
 
そもそもこの手のコメントで返事がなされるということ自体が経験上殆どなくて、どうせあちらの言い捨てで終わりだから、こちらが質問するという振る舞い自体が無駄でしかない。
 
なので、僕は次のように返した。
 
「 今のやり方で読んでいる人もいて、ただNoneさんの趣味に合わないだけの話だと思いますし、別にNoneさんに寄りそう気がこちらにありませんね…。
考察という語はgoo辞書で「名](スル)物事を明らかにするために、よく調べて考えをめぐらすこと。」とあります。
僕は『ヒストリエ』に存在する描写がどのようなニュアンスなのかを検証して、著者が参考にしたであろう資料を良く調べて考えて色々書いているだけです。
頂いたコメントを読んでいても、Noneさんが仰る所の"本当の意味での考察"という言葉の意味が良く分かりません。
そもそも僕が書いている漫画の記事は基本的に全て解説ですし、Noneさんの想定する考察という語に関しても、一般的な考察という語の理解から離れているというか、Noneさんが求めているのは解説でも考察でもなく、おそらくただの感想です。
ですので、『ヒストリエ』の感想を他のサイトに求めて探して読めば良いだけの話だと思います。
正直、Noneさんが求めているものが何なのかは僕には分かりませんが…。
勝手に存在しない僕の学生時代を妄想して良く分からないことを言われても困ってしまいますし、勝手に思い違いして僕に非がないことに関して非難が如く言われても、対応に困る以上の感想は出て来ません。
精神構造が弱いのは認めますが、そんな学生時代は送っていません。
加えて、心の底から聞きたいのですが、どうして僕がNoneさんの想定する"考察"とやらを書かなければならないのでしょうか…。
それをして僕にどんな得があるのでしょうか。
そういうものを求めるなら、自分で書いたり、他のサイトに行くのが筋なのではないでしょうか…。
そもそも何を書けばNoneさんのお眼鏡に適うかが全く読み取れませんし。 」
 
最後の方の心の底から聞きたい云々は、どうせ返信がないことは分かっているけれど、心の底から問いかけたかったから問いかけただけです。
 
唐突に存在しない学生時代の話をされても困る以上の言葉は出てこないんだよなぁ…。
 
なんというか、メンタルが弱弱なのは自覚があるというか、何だったらこのサイトで何度も自分で言及しているというか。
 
そもそも、先の返信の内容自体はこのサイトで置き論破というかなんというか、万人受けする文章など、どんな人間にも書けはしないという話自体を既にしていたりする。
 
「誰にでも好かれ理解される文章について」の記事(参考)でその話をしてるんだよなぁ。
 
実際、先の人はあのコメントの後にその記事に目を通したらしい。
 
ついさっき、その記事に次のようなコメントが来ていた。
 
abîmés

The person who wrote this is definitely not getting any girls. It’s like he’s a loser who lost the fight for a mate lol

 
適当に訳すと「この文章を書いた人は女の子をゲットしたことのない負け犬。彼は配偶者を得られなかった敗北者です(泣」って感じかな?
 
僕はこのコメントを読んで、次のように返した。
 
「 IPアドレスでカリステネスの記事にコメントした人物と同じ人と分かるので、別人装って外人装ってそんなコメントするのはダサさが極まってて見てられませんね…。
まるで言い負かされて悔しくて、でも言い返せなくて、他人に成りすまして唾吐いてるみたいで…本当に…。
それに論で負けたら人格攻撃とか、恥という概念とかないんですか?
加えて、貴方のような色々程度の低い人物と今後やり取りするのは時間の無駄だと思いますので、ブロックすることにします。
また、何らかの方法で他人に成りすまして書き込んでもこちらは同じ人物と分かる理由があるので、コメントを承認しないし無駄だということもお伝えしておきます。 」
 
ここに書いた通りの話だし、実際の所、IPアドレスを変えて他の人に成りすましても、こちらとしては同一人物ということは分かる理由がある。
 
その理由をここで説明すると、対策を取られかねないからその理由はここには書かないけど、こちらからしたら馬鹿丸出しなのは確かという事は言える。
 
なんというか、僕の書いた何かがつまらないとNoneさんが感じたのは、頭が悪くて書いてる内容を理解出来てないだけなんじゃないかと、二つ目のコメントを見て思ってしまった。
 
まともな判断力があったらあんな成りすましはしないし、するにしても偽装工作くらいするのであって、それをしないで英語で書けば分からないだろうと浅慮なコメントを残すくらいなのだから、頭が悪い人物だったんじゃないか…って。
 
まぁ普通だったら人格攻撃に移行なんてしないし、人様の学生時代を妄想して、勝手に決めつけて、それを本人に伝えるなんて愚行はしないから、アレなんだろうけれども。
 
普通に考えたら予想が的中することの方が少ない分が悪い賭けと分かるはずなので…。
 
普通の良心があれば事実であろうと直接本人に言う事ではないと分かるはずだし、何よりそんな事実はない。
 
何処を切り取っても賢い人がやることではない。
 
ここでこの話をしたのは、なんで僕がこんな目に合わなければならないのかと思ったからで、このしょうもない気持ちの行き先なんて存在していないから、とりあえずここに書いて吐き出したかったからという理由です。
 
あんなクソみてぇなひと時を満喫したのだから、少しぐらい誰かの同情も欲しくなる。
 
頭が悪いのは仕方ないと思うけど、僕を巻き込まないでくれませんかね…。
 
それはともかく、やって行くことにする。
 
・からたちのとげはいたいよ
ネットなどで水銀の話題が出ると多くの人は始皇帝の話をするのだけれど、始皇帝は水銀飲んでないんだよなぁ。
 
飲んだのは唐の時代の皇帝で、始皇帝は水銀なんて飲んでない。
 
結局、この話は色々な科学者の発言がアインシュタインの言葉になったり、色々な軍人の格言がナポレオンの発言になったりするのと同じ話で、そもそも多くの人が中国の皇帝なんて始皇帝くらいしか知らないということが理由なのではないかと思う。
 
以上。
 
始皇帝が水銀を薬として飲んでいたという話はネットでかなり見られて、適当に検索しただけでその話をしているサイトは普通に見つけることが出来た。(参考)
 
けれどもその話には問題があって、始皇帝が水銀を飲んだなどという話は『史記』にはない。
 
そんな話は『史記』に記述されていないし、基本的に始皇帝の事績は『史記』といくらかの出土文献にしか言及がないのであって、そこには始皇帝が水銀を飲んでいたという話はない以上、始皇帝が水銀を飲んでいたという話自体が本来的にはない様子がある。
 
実際、『史記』の始皇帝の事績について書かれた「秦始皇本紀」の全文を水銀で検索しても、自分の墓に水銀で出来た川や海を作った話しか検出されない。
 
「 始皇が初め位に即いた時、陵をつくるため鄴山の麓に穴を掘り、天下をあわせるに及び、天下の徒罪の者七十余万人を労役三泉を掘らせたが、銅をもって下をふさぎ、棹を入れた。家の中に宮観や百官の座席をつくり、珍稀の物を宮中からうつして充満し、工匠に機弩矢を作らせ、地面を掘って近づく者があれば、ひとりでに発射するようにした。また水銀で百川・江河・大海をつくり、機械で水銀の水をそそぎ送った。上は天文を具え、下は地理を具え、人魚の膏をもって燭とし、永く消えないようにした。(司馬遷 『世界文学大系 5A 史記』 小竹文夫訳 筑摩書房 1962年 p.56)」

 

『史記』の始皇帝関連で言及のある水銀の話はこれで終わりで、水銀を飲んだという話などはない。

 

一応、始皇帝は不死の薬を求めていたりはする。

 

「 ついで韓終、侯公、石生に仙人の不死の薬を求めさせた。(同上p.52)」

 

ただ、その不死の薬は見つからなかったし、似たような薬を始皇帝が飲んだという話もない。

 

「 侯生と盧生が語らいあって言った。「始皇の人となりは、天性剛慢無情で、事を専断する。諸侯から身を起こして天下をわせ、意を遂げて欲をほしいままにすると、昔から自分ほどすぐれた者はないと自惚れ、もっぱら刑罰を事として人を罪している。だから獄吏が親任されて、博士は七十人もいるが、いたずらに員数に備わるだけであり、丞相や諸大臣も、みな皇帝の決裁した命令を奉じて、施行するだけである。主上は刑殺をもって民をおどすのを楽しみ、天下の者は罪を畏れ、禄を憎んであえて忠を尽す者がない。この結果、主上は過ちを聞かないで日に驕り、臣下は恐れてひれ伏し、ただ欺いて上に容れられんことばかりを考えている。秦の法律では、方士は両伎を兼ねることが許されず、霊験がなければ即座に殺される。しかも天の星気をみる者は三百人もおり、みなりっぱな方士でありながら、ご機嫌にふれるのをおそれ、へつらって誰もただしく過ちを直言する者がない。天下の事は大小となく、みな主上によって決せられ、主上は奏上の文書を衡石ではかるようになった。日に一石を分量とし、それだけの決裁ができなければ休むことができない。権勢を貪ること、このようなのに、いまだに仙薬を捜し出すことができない」と、ついに逃げ出した。(同上p.54)」

 

この話の後も始皇帝は不死の薬は探しているのだけれど、普通に見つけられてないし、そもそもそんな薬を飲んでいない。

 

始皇帝が不死の薬を探したという話があって、その不死の薬には水銀が含まれていたという話がまことしやかに語られるけれども、そもそも始皇帝は不死の薬を見つけられていない。

 

だから当然、飲んでもない。

 

じゃあ何処から始皇帝が水銀を飲んだという話が沸いて来たのかという話になって、おそらくそれは、後代の実際に水銀が含まれた薬を飲んでいた皇帝の話を、皇帝なんて始皇帝しか知らないから始皇帝の話と間違ってインプットした結果なのではないかと思う。

 

「 一方,中国での錬金術は,身体の不老不死を目的として,「丹」(不老不死の薬)を作り出す技術であったことから,錬丹術とも呼ばれ,ヨーロッパの錬金術とは・線を画している。中国では,先史時代から辰砂(硫化水銀)は死と再生を象徴する物質であると考えられており,また辰砂を精錬して得られる水銀には殺菌防腐作用があることが知られていた。実際水銀やヒ素等を含む化合物は外科治療に用いられていた。中国の錬金術師たちは,水銀のような作用の著しい鉱物だけを特に選び,人為的に加工して不死の薬を漢代以降には歴代の皇帝や権力者達が錬金術師たちによって作られた「不死の薬」を服用するようになったが,「不死の薬」は結果的に水銀やヒ素等の有毒物質を多量に含むものであり,数多くの中毒事故が起こった。中国の錬金術が繁栄した唐代には歴代皇帝22人のうち6人の皇帝が「不死の薬」の服用により死亡したことが史実として残っている。これらの中毒事件により「不死の薬」の服用はすたれていき,宋代以降は鉱物由来の薬剤の使用は,外科用以外では行われなくなっていった。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/53/3/53_KJ00007744238/_pdf)」

 

ここに記述されるように、中国の唐の時代の皇帝は6人も水銀やヒ素入りの薬を飲んで死んだらしい。

 

考えるに、この情報が色々あって始皇帝の話とすり替わっているのだと僕は思う。

 

一つは、始皇帝は不死の薬を求めたのだから、その薬は錬丹術の方法で作られたものだという発想の飛躍があって、始皇帝は水銀を飲んでいたという話になったという可能性がある。

 

まぁそもそも、不死の薬自体見つけられてないから飲んでないけどな。

 

もう一つは、唐の皇帝が水銀入りの薬を飲んで死んだという話があって、その話を聞いていたけれども、唐の皇帝の部分が忘れられて、でも皇帝ということは覚えていて、その話を出力するに際して、中国の皇帝なんて始皇帝しか知らないから、皇帝=始皇帝という発想で、始皇帝が水銀を飲んでいたという話にすり替わったという可能性もある。

 

どういう過程で始皇帝が水銀を飲んでいたことになったのかは分からないけれども、大体そんな感じで人物が取り違えられたのではないかと思う。

 

まぁアインシュタインが言ってもない格言が大量に世にはあったり、仏陀の言葉とされるけれども、仏典にそんな記述はない話なんて沢山あるから、そういう話の一例として、始皇帝と水銀の話があるのではないかと思う。

 

それとも、『十八史略』とか僕が読んでいない比較的新しい中国の史書に始皇帝が水銀を飲んでいた話があったりするのだろうか。

 

その辺りに関しては、漢籍が莫大な量存在していて、新釈漢文大系のシリーズなんて全120冊+詩人編12冊+補遺編5冊あって、それでも漢籍の全てを翻訳しているわけではないのだから、その情報を全て把握するのは無理がある。

 

古代中国でも『逸周書』とか『鶡冠子』、『尸子』、『鬼谷子』とかも新釈漢文大系で出てないけど137冊だからなぁ。

 

それに時代が下るに従って残存する本も多くなるわけで、その何処かに始皇帝と水銀の話をしている本がある可能性は否定できないけれど、僕はともかく、そんな本を知らない。

 

そして始皇帝について一番詳しい『史記』にその記述がないのだから、そんな話はデマなのだろうと個人的に思っている。

 

次…と思ったけれど、今回はこれくらいで良いや。

 

本来的にここから『カナリア諸島征服記』に登場するカナリア人について、どういうことだってばよ…という話をするつもりだったけれど、話せば長くなるのでやめておくことにする。

 

ていうか疲れたよ、僕は。

 

なんで漫画の解説書いているだけであんな意味不明なことを言われなきゃいけないか分かんないよ。

 

そんな感じです。

 

では。

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