日記を更新する。
今回はいつものように小さなトピックを用意して色々書いていくやつをやって行くことにする。
どうでも良いのだけれど、この前書いたカリステネスの記事に以下のようなコメントが来ていた。
「None
元ネタやオマージュ元と違っても、それがどうしたっていうんだろう。俺はその作品に対するあなたの感想や本当の意味での考察を見たい。ネタ元を知った上で違いを指摘するんじゃなくて、考察を発展させて欲しい。」
「 アトゥラよ。これは昔にも言うことであり、いまに始まることでもない。沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、すこしく語る者も非難される。世に非難されない者はいない。(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫 1978年)」
考察という語はgoo辞書で「名](スル)物事を明らかにするために、よく調べて考えをめぐらすこと。」とあります。
僕は『ヒストリエ』に存在する描写がどのようなニュアンスなのかを検証して、著者が参考にしたであろう資料を良く調べて考えて色々書いているだけです。
頂いたコメントを読んでいても、Noneさんが仰る所の"本当の意味での考察"という言葉の意味が良く分かりません。
そもそも僕が書いている漫画の記事は基本的に全て解説ですし、Noneさんの想定する考察という語に関しても、一般的な考察という語の理解から離れているというか、Noneさんが求めているのは解説でも考察でもなく、おそらくただの感想です。
ですので、『ヒストリエ』の感想を他のサイトに求めて探して読めば良いだけの話だと思います。
正直、Noneさんが求めているものが何なのかは僕には分かりませんが…。
勝手に存在しない僕の学生時代を妄想して良く分からないことを言われても困ってしまいますし、勝手に思い違いして僕に非がないことに関して非難が如く言われても、対応に困る以上の感想は出て来ません。
精神構造が弱いのは認めますが、そんな学生時代は送っていません。
加えて、心の底から聞きたいのですが、どうして僕がNoneさんの想定する"考察"とやらを書かなければならないのでしょうか…。
それをして僕にどんな得があるのでしょうか。
そういうものを求めるなら、自分で書いたり、他のサイトに行くのが筋なのではないでしょうか…。
そもそも何を書けばNoneさんのお眼鏡に適うかが全く読み取れませんし。 」
The person who wrote this is definitely not getting any girls. It’s like he’s a loser who lost the fight for a mate lol
」まるで言い負かされて悔しくて、でも言い返せなくて、他人に成りすまして唾吐いてるみたいで…本当に…。
それに論で負けたら人格攻撃とか、恥という概念とかないんですか?
加えて、貴方のような色々程度の低い人物と今後やり取りするのは時間の無駄だと思いますので、ブロックすることにします。
また、何らかの方法で他人に成りすまして書き込んでもこちらは同じ人物と分かる理由があるので、コメントを承認しないし無駄だということもお伝えしておきます。 」
『史記』の始皇帝関連で言及のある水銀の話はこれで終わりで、水銀を飲んだという話などはない。
一応、始皇帝は不死の薬を求めていたりはする。
「 ついで韓終、侯公、石生に仙人の不死の薬を求めさせた。(同上p.52)」
ただ、その不死の薬は見つからなかったし、似たような薬を始皇帝が飲んだという話もない。
「 侯生と盧生が語らいあって言った。「始皇の人となりは、天性剛慢無情で、事を専断する。諸侯から身を起こして天下をわせ、意を遂げて欲をほしいままにすると、昔から自分ほどすぐれた者はないと自惚れ、もっぱら刑罰を事として人を罪している。だから獄吏が親任されて、博士は七十人もいるが、いたずらに員数に備わるだけであり、丞相や諸大臣も、みな皇帝の決裁した命令を奉じて、施行するだけである。主上は刑殺をもって民をおどすのを楽しみ、天下の者は罪を畏れ、禄を憎んであえて忠を尽す者がない。この結果、主上は過ちを聞かないで日に驕り、臣下は恐れてひれ伏し、ただ欺いて上に容れられんことばかりを考えている。秦の法律では、方士は両伎を兼ねることが許されず、霊験がなければ即座に殺される。しかも天の星気をみる者は三百人もおり、みなりっぱな方士でありながら、ご機嫌にふれるのをおそれ、へつらって誰もただしく過ちを直言する者がない。天下の事は大小となく、みな主上によって決せられ、主上は奏上の文書を衡石ではかるようになった。日に一石を分量とし、それだけの決裁ができなければ休むことができない。権勢を貪ること、このようなのに、いまだに仙薬を捜し出すことができない」と、ついに逃げ出した。(同上p.54)」
この話の後も始皇帝は不死の薬は探しているのだけれど、普通に見つけられてないし、そもそもそんな薬を飲んでいない。
始皇帝が不死の薬を探したという話があって、その不死の薬には水銀が含まれていたという話がまことしやかに語られるけれども、そもそも始皇帝は不死の薬を見つけられていない。
だから当然、飲んでもない。
じゃあ何処から始皇帝が水銀を飲んだという話が沸いて来たのかという話になって、おそらくそれは、後代の実際に水銀が含まれた薬を飲んでいた皇帝の話を、皇帝なんて始皇帝しか知らないから始皇帝の話と間違ってインプットした結果なのではないかと思う。
「 一方,中国での錬金術は,身体の不老不死を目的として,「丹」(不老不死の薬)を作り出す技術であったことから,錬丹術とも呼ばれ,ヨーロッパの錬金術とは・線を画している。中国では,先史時代から辰砂(硫化水銀)は死と再生を象徴する物質であると考えられており,また辰砂を精錬して得られる水銀には殺菌防腐作用があることが知られていた。実際水銀やヒ素等を含む化合物は外科治療に用いられていた。中国の錬金術師たちは,水銀のような作用の著しい鉱物だけを特に選び,人為的に加工して不死の薬を漢代以降には歴代の皇帝や権力者達が錬金術師たちによって作られた「不死の薬」を服用するようになったが,「不死の薬」は結果的に水銀やヒ素等の有毒物質を多量に含むものであり,数多くの中毒事故が起こった。中国の錬金術が繁栄した唐代には歴代皇帝22人のうち6人の皇帝が「不死の薬」の服用により死亡したことが史実として残っている。これらの中毒事件により「不死の薬」の服用はすたれていき,宋代以降は鉱物由来の薬剤の使用は,外科用以外では行われなくなっていった。(https://www.jstage.jst.go.jp/article/kakyoshi/53/3/53_KJ00007744238/_pdf)」
ここに記述されるように、中国の唐の時代の皇帝は6人も水銀やヒ素入りの薬を飲んで死んだらしい。
考えるに、この情報が色々あって始皇帝の話とすり替わっているのだと僕は思う。
一つは、始皇帝は不死の薬を求めたのだから、その薬は錬丹術の方法で作られたものだという発想の飛躍があって、始皇帝は水銀を飲んでいたという話になったという可能性がある。
まぁそもそも、不死の薬自体見つけられてないから飲んでないけどな。
もう一つは、唐の皇帝が水銀入りの薬を飲んで死んだという話があって、その話を聞いていたけれども、唐の皇帝の部分が忘れられて、でも皇帝ということは覚えていて、その話を出力するに際して、中国の皇帝なんて始皇帝しか知らないから、皇帝=始皇帝という発想で、始皇帝が水銀を飲んでいたという話にすり替わったという可能性もある。
どういう過程で始皇帝が水銀を飲んでいたことになったのかは分からないけれども、大体そんな感じで人物が取り違えられたのではないかと思う。
まぁアインシュタインが言ってもない格言が大量に世にはあったり、仏陀の言葉とされるけれども、仏典にそんな記述はない話なんて沢山あるから、そういう話の一例として、始皇帝と水銀の話があるのではないかと思う。
それとも、『十八史略』とか僕が読んでいない比較的新しい中国の史書に始皇帝が水銀を飲んでいた話があったりするのだろうか。
その辺りに関しては、漢籍が莫大な量存在していて、新釈漢文大系のシリーズなんて全120冊+詩人編12冊+補遺編5冊あって、それでも漢籍の全てを翻訳しているわけではないのだから、その情報を全て把握するのは無理がある。
古代中国でも『逸周書』とか『鶡冠子』、『尸子』、『鬼谷子』とかも新釈漢文大系で出てないけど137冊だからなぁ。
それに時代が下るに従って残存する本も多くなるわけで、その何処かに始皇帝と水銀の話をしている本がある可能性は否定できないけれど、僕はともかく、そんな本を知らない。
そして始皇帝について一番詳しい『史記』にその記述がないのだから、そんな話はデマなのだろうと個人的に思っている。
次…と思ったけれど、今回はこれくらいで良いや。
本来的にここから『カナリア諸島征服記』に登場するカナリア人について、どういうことだってばよ…という話をするつもりだったけれど、話せば長くなるのでやめておくことにする。
ていうか疲れたよ、僕は。
なんで漫画の解説書いているだけであんな意味不明なことを言われなきゃいけないか分かんないよ。
そんな感じです。
では。