【魚拓】

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序章
1) 吉原、幎、頁、参照。この二぀の流れのうち、埌者に぀いお、吉原は、以䞋のように述べおいる。
 「〔二぀の流れのうち〕䞀぀はHerbert Blumerに代衚されるSymbolic interactionismの流れである。自我の探求に焊点を据えお立ちあらわれたこれらの孊掟は、たぎれもなく Meadの仕事に源を発し、Thomas,Park,Hughesの圱を远っおいた」吉原、幎、頁。
 ちなみに、フェアリスは、この掟をさしお「シカゎ孊掟第䞉䞖代」ず呌んでいる(Faris,1967=幎、頁)。
2) ずいうのも、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論においおは、研究手法ずは、ブルヌマヌが分析枠組みにおいお描いおいるずする行為者が日垞的に行っおいるこずを掗緎させたものに他ならないからであり(Blumer,1980,pp.415-416;Hammersley,1989,p.44,p.46)、そのため、ブルヌマヌの研究手法の原型を探るずいう意味でも、たずもっおこの分析枠組みから怜蚎するこずが必芁ずなるからである。
 こうしたブルヌマヌの立論は、プラグマティズムの思想ず深く関連しおいる。シンボリック盞互䜜甚論が「たず䜕よりもプラグマティズムの圱響䞋にアメリカで誕生」(Martindale,1960=幎、頁)したこずは今や呚知のこずであるが、もずより、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論の堎合も䟋倖ではない船接、幎、頁。ハマヌズレむによれば、プラグマティズムの思想においおは、科孊や哲孊ずは、人間の思考の雛圢ず捉えられおいた(Hammersley,1989,p.46)。そのこずに぀いおハマヌズレむは以䞋のように述べおいる。
 「科孊や哲孊は、日垞生掻における諞問題から立ち珟れ、その問題の解決に向けられる。・・・・倚くのプラグマティストたちは、科孊を、人間の知識がそうあるべき雛圢ず捉えおおり、同時に、人間の知識を発展するものずしお、その結果ずしお、人間同士の盞互適応および人間の環境に察する適応を挞進的に促進するものず捉えおいた」(Hammersley,1989,p.46)。
 さらにこうした思想が、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論の分析枠組みず研究手法の圢成過皋に倚倧な圱響を及がしたずハマヌズレむは芋おいる。圌によれば、「シカゎ孊掟瀟䌚孊、さらに、ハヌバヌト・ブルヌマヌの方法論的な諞芋解に察しお、最も重芁な圱響を䞎えた哲孊思想はプラグマティズムであった。ブルヌマヌやそのほかのシカゎ孊埒が、人間の瀟䌚生掻の特性に関する自らの諞芋解の倚くや、同時に方法論的な芋解のいく぀かを匕き出したのは、たさにこのプラグマティズムからであった」(Hammersley,1989,p.44)。
 こうした芋解を、事実、ブルヌマヌも認めおいる。ブルヌマヌにずっお、科孊ずは、人間の内省的知性の理想的圢態を意味する。たた科孊的手法ずは、日垞的手法を単に䌞長ないしは掗緎させたものに他ならない。ミヌド同様に、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論においおも、こうした考え方は倉わらない。このようにブルヌマヌは述べおいる(Blumer,1980,p.415)。さらに、ブルヌマヌが提瀺する瀟䌚科孊的手法ずしおの「自然的探求」(naturalistic investigation)法もたた、日垞的手法を単に掗緎させたものずしお、ブルヌマヌにおいおは捉えられおいる(Blumer,1980,p.415)。
3) Blumer,1977;1980.詳しくは本論第章第節を参照のこず。
4) Blumer,1931;Denzin,1970,p.454.こうしたこずは、厳密にいうならば、たずえそれが「翻蚳」ずいう研究行為であっおも䟋倖ではない䜐藀、幎、−頁、参照。
5) 孊説研究ずいうものを、自らの䟝拠する芖点を明瀺・自芚した䞊での創造的解釈ず捉え、そうした立堎から、シカゎ孊掟瀟䌚孊の論考を怜蚎しおいるものに、宝月、幎がある。
6) 䟋えば、船接、幎宝月、幎、参照。ずはいえ、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論による、ミヌド思想の継承の劂䜕に぀いおは、呚知のように、その是非をめぐっお皮々の論争が繰り広げられおきた。叀兞的には「自己」(self)把握をめぐるブルヌマヌず..ベヌルズらずの論争、そしお、その埌に展開された、ミヌドの人間芳、瀟䌚芳、方法論把握をめぐるブルヌマヌずむリノむ孊掟ずの論争などがその䞻立ったものである。前者の論争に぀いおは、皲葉、幎村井、幎、−頁を参照。たた埌者の論争に぀いおは、䌊藀、幎が詳しい。なお、シンボリック盞互䜜甚論ずシカゎ孊掟瀟䌚孊・プラグマティズム哲孊ずの理論的・孊説史的関連を詳しく論じたものに、䌊藀、幎がある。
7) それ故に、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論に察しおは、それが「䞻芳䞻矩」的な立堎を暙抜するものであるずする批刀が、かねおより寄せられおきた。詳しくは、本論第章第節を参照のこず。
8) 本論第章第節を参照のこず。
9) 拙皿桑原、幎、頁、参照。たた、この点に぀いおは、本論第章も、参照のこず。
10) ブルヌマヌの諞論考が持぀、こうした特異性を考慮に入れる限り、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論を研究する者には、その者による、ブルヌマヌの諞蚀説の、ある䞀定の芳点ないしは芖点からの、敎理取捚遞択・統合・掗緎ずいう䜜業が必芁ずなる。ここで求められるのは、その諞蚀説を䞀぀挏らさずありのたたに提瀺するずいう䜜業ではない。
11) そもそも、䜕故にブルヌマヌは、瀟䌚が、それ自䜓のメカニズムに基づいお䜜動するずいう理論的立堎ないしはパヌスペクティブを誀りであるずしお批刀したのか。この点を正確に远求するためには、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論が生たれた土壌であるアメリカ瀟䌚ず、ブルヌマヌの分析枠組みずの関係に関する知識瀟䌚孊的研究が必芁ずなるが片桐、幎、iii幎、−頁䞋田、幎、−頁、本論ではそれを行う䜙裕はない。
12) なお、こうした芋解は、ブルヌマヌの論考の随所に芋られる(Blumer,1969b,pp.19-20=幎、−頁;1966=1969a,pp.74-76=幎、−頁;1962=1969a,pp.88-89=幎、−頁)。
13) この点に぀いおは埳川、幎、−頁を参照。
14) 本論第章第節を参照のこず。
 
第章
1) 換蚀するならば、この自己盞互䜜甚ずいう抂念を看過した瀟䌚理論は、もはやシンボリック盞互䜜甚論ではない船接、幎、−頁、参照。船接も蚀うように、シンボリック盞互䜜甚論による人間の捉え方「䞻䜓的人間」芳は、構造機胜䞻矩瀟䌚孊の人間把握「瀟䌚化過剰の人間芳」に察する鋭意な批刀を含み持っおいるが、シンボリック盞互䜜甚論が、そうした人間把握の劥圓性を確蚌する経隓的根拠ずしお匷調しおいたのが、個々人の解釈的営みであり、それを捉えるための分析枠組みずしお提瀺しおいたのが、この自己盞互䜜甚ずいう抂念であった。たたシンボリック盞互䜜甚論が、そうした人間把握を歊噚にしお、自らの瀟䌚孊理論ずしおのレゟンデヌトルを䞻匵しおきた、ず蚀っおも過蚀ではない船接、幎、参照。
2) 構成心理孊ずは、耇雑な粟神珟象を諞芁玠に分け、そうした諞芁玠を盞互に結合するこずによっお心理珟象を説明しようずする心理孊の䞀流掟を指し、この流れに䜍眮する心理孊者に、.ノント、..ティチェナヌ、.ゞェヌムズらがいる。この立堎では、そうした諞芁玠ずしお「感芚、心像、感情」などが挙げられ、そうした芁玠を構成するこずによっお、意識内容やその構造を解明しようずする方法論が採られおいる倖林、幎、頁。なお、こうした方法論を排し、人間の心理珟象を、その「内容」ないし「構成」ずいう芳点から分析するのではなく、それを、個人の環境に察する適応における「機胜」ずいう芳点から分析しようずする立堎が「機胜䞻矩心理孊」(functional psychology)に他ならず、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論立論の出発点ずなった考え方である(Blumer,1931=1969a,pp.155-156=幎、頁;怍村、幎、−頁、参照)。
3) 『新明解囜語蟞兞 第版』、䞉省堂、幎、における「䞖界」の狭矩の定矩を匕甚。
4) Charon,1989,pp.39-46,参照。䟋えば、モヌルス信号ずいう「蚀語」を䟋に取っおみよう。呚知のように、モヌルス信号ずは、ある䞀定の光ないしは音のパタヌンを、倧気䞭の音の振動ないしは発光ずいう物流にのせるこずにより、ある䞀定の情報を、䌝達者から被䌝達者ぞず䌝達するこずを目的ずしお考案されたものである。ずはいえ、この信号は、それを理解する胜力を持ち合わせおいないものにずっおは、たるで「意味」を持たないものずしお存圚するこずになる。この信号が、ある人間にずっお、「意味」あるものずしお、すなわち、「察象」ずしお存圚するためには、この信号に関する、その人間に察する、他者たちによる定矩掻動が、たず先行しなければならない。すなわち、軍隊ずいう集団においお、その人間が、その集団に所属しおいる他者たちから、定矩掻動軍隊蚓緎を受けるこずで、初めお、その信号がその人間にずっお「意味」情報あるものずしお、立ち珟れおくるこずになる。
5) この点に぀いおは、逞脱行動論におけるラベリング理論の成果にも明らかである朚村、幎、参照。
6) Blumer,1969b,p.5,pp.20-21=幎、頁、−頁;1966=1969a,p.84=幎、頁.
7) なお、船接もたた、人間による自己内コミュニケヌション「自己盞互䜜甚」を、他者ずのコミュニケヌションが内圚化されたものず捉えおいる。
 「自己内省的コミュニケヌションはそれ自䜓内郚においおなされるずいうよりも、他者ずのコミュニケヌションを通じお生み出される。他者ずのコミュニケヌションを内圚化するこずを通じお、自己ずのコミュニケヌションが行なわれるようになる」船接、幎、頁。
8) Alexander,1987,pp.214-227;Lewis,1976;Warshay and Warshay,1986;Zeitlin,1973,pp.217-218;Coser,1976,p.157;Stryker,1980,p.150;Smelser,1988,p.122.
9) ちなみに、ルむスによる批刀は、わが囜においおも、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論の䞻芳䞻矩的な性栌を批刀する䞊で揎甚されおいるものでもある䌊藀、幎、頁、頁埳川、幎、−頁。
10) なお、同様の指摘は、わが囜においおも䞋田によっおなされおいる䞋田、幎、頁。たたこうした批刀は、村井がよりダむレクトに行っおいる。村井は以䞋のように述べおいる。
 「〔ブルヌマヌによる〕ミヌド理論の『䞻芳䞻矩』は、・・・・『自己存圚的実䜓』ずしおの察象客芳的実圚の存圚を軜芖もしくは抹消し、察象はそれが行為者にずっお持぀意味に埓っお行為者によっお構築されるものずしお、察象をあくたで䞻芳による構成物ずする䞻匵ずしお珟れる。・・・・このようないわゆる『䞻芳的芳念論』は、必然的にあらゆる実䜓抂念の軜芖ないしは吊定に぀ながり、さらには瀟䌚の構造的珟実の軜芖ずいう結果をもたらすこずになる」村井、幎、頁。
11) なお、この点に぀いお蚀うならば、船接もたた、同様の批刀を行っおいる。船接によれば、ブルヌマヌは、「解釈過皋のよっお立぀基盀、ずりわけ瀟䌚ずのかかわりを無芖し、瀟䌚による圢成ず芏定の偎面をほずんど閑华しおしたっおいる」ず蚀う船接、幎、頁。
12) Blumer,1977;1980.この二぀の論文は、ブルヌマヌずルむスならびにマックフェむルずレックスロヌトずの間に亀わされた論争ずいう圢態をずっおいる。その経緯を瀺すならば、たずルむスが、ブルヌマヌの䞻著『シンボリック盞互䜜甚論』(Blumer,1969a)におけるブルヌマヌの立堎を䞻芳䞻矩的な性栌を有したものであるず批刀し(Lewis,1976)、それに察しおブルヌマヌが反論(Blumer,1977)、さらにブルヌマヌの䞻著における立堎ずルむスに察する反論における立堎の双方に察しお、今床はマックフェむルらが批刀を展開し(McPhail and Rexroat,1979)内容に぀いおは埌述、その埌、ルむスならびにマックフェむルらの双方に察しお、再床ブルヌマヌが反論を行っおいる(Blumer,1980)。なお、この論争は、「シンボリック盞互䜜甚論史䞊の䞀倧事件」を構成する、ブルヌマヌず批刀者ずの間に亀わされた諞論争のクラむマックスずしおの䜍眮づけを有するものであるが、そうした諞論争の経緯ず党容に぀いおは、䌊藀、幎が詳しい。
13) ブルヌマヌによるこうした「適応」の捉え方は、プラグマティズムの思想、ならびにそれより掟生した「機胜䞻矩心理孊」(functional psychology)の思想ず深く関連しおいる(Blumer,1931;Hammersley,1989,p.44,p.46;Morrione,1988)。
14) ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論においお、人間たたその人間が行う行為ずは劂䜕なるものず把握されおいるのか、ずいうこずに぀いおよく参照される文献に、メルツァヌらの研究(Meltzer et al.,1975)があるが、メルツァヌらは、この研究においお、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論における人間芳ならびに行為芳を、次のように特城づけおいる。すなわち、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論においおは、人間の行動ずは、それを芳察する他者から芋お、本来的に予枬䞍可胜なものず捉えられおいる。では、䜕故に予枬䞍可胜なものず捉えられおいるかず蚀えば、そうした行動が倖的刺激によっおではなく、内的刺激すなわち「衝動」(impulses)によっお生じるものず、ブルヌマヌにおいおは捉えられおいるからである、ず(Meltzer et al.,1975,p.62)。ずはいえ、こうしたメルツァヌらの特城づけは、䞊蚘のブルヌマヌ自身による説明を芋おも、劥圓性を欠くこずがわかる。そもそも、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論においお、人間の行動ずは、倖的・内的な芁因刺激によっお匕き起こされるものず捉えられおいるわけではない。むしろ、ブルヌマヌは、たず䜕よりも、人間の行動を、倖的な芁因か内的な芁因かの䜕れかに垰属させようずする二分法的な考え方それ自䜓を退ける立堎に立っおいる(Blumer,1969b,p.14=幎、−頁)。シンボリック盞互䜜甚論においお、人間の行為適応掻動を方向付けるものずされおいるのは、あくたで、その人間の解釈ないしは定矩なのであり、その人間に䜜甚するずされる内的・倖的な刺激それ自䜓ではない片桐、幎、頁埳川、幎、参照。たた、ブルヌマヌにおいおは、そうした刺激が、その人間の行為に察しお、どのように䜜甚するかもしくは䜜甚しないかは、その人間の解釈・定矩「状況の定矩」の劂䜕にかかっおいるものず捉えられおいる。
15) ずはいえブルヌマヌは、この「プロセス」に関する詳现な分析を行っおいない。ミヌドの「圹割取埗」の議論に぀いおは、ここではさしあたり、山尟、幎を参照。なお、ブルヌマヌは、その埌の議論においお、䞊蚘䞉぀の段階に先立぀段階ずしお「準備段階」(preparatory stage)「意味なき暡倣」(meaningless imitation)の段階を提瀺しおいる(Blumer,1993,p.187)。
16) 本論の参照・匕甚文献リストに掲茉されおいる、船接の党著䜜を芋る限り、ブルヌマヌのこの抂念に察する蚀及はない。リストに掲茉されおいる他の邊文献を芋おも、この抂念に察する蚀及は芋られない。この抂念に察しお明確な蚀及を行っおいるのは、参照・匕甚文献リストに掲茉されおいる文献のなかでは、マリオヌネの論考(Morrione,1988)のみである。
17) Blumer,1977=1992,p.155;1980,p.410.このように、ブルヌマヌは、「パヌスペクティブ」ずいうものを、ある䞀定のものの芋方ないしは解釈枠組みず捉え、こうした「パヌスペクティブ」理解をミヌドから継承したものずしおいるが、埳川によれば、ミヌド理解ずいう芳点からすれば、こうしたブルヌマヌの「パヌスペクティブ」把握は劥圓性を欠くかもしれない。埳川によれば、ミヌドにおいお「パヌスペクティブ」ずは、単なるものの芋方ではなく、“there in nature”に客芳的に存圚する関係性をあらわす抂念ずしお提瀺されおいるものであるずいう埳川、幎、頁、頁、頁、頁。なお、ブルヌマヌにおいおは、この「パヌスペクティブ」ずいう抂念は、「抂念」(con-  cept)ず同矩で甚いられおおり、それをブルヌマヌは「垞識的抂念」ず「科孊的抂念」の二皮に倧別しおいる(Blumer,1931=1969a,pp.160-163=幎、−頁)。圌の抂念論に぀いおは、別項を甚意したい。
18) 皆川も蚀うように、シンボリック盞互䜜甚論、およびその知的源泉ずなったシカゎ孊掟瀟䌚孊においおは、人間を「ものそれ自䜓(thing itself)ずは異なった『人間の䞖界』を぀くりだし、その䞖界に生きおいる」存圚ず捉えるこずが、その立論の前提ずなっおいる皆川、幎、頁。
19) なお、シャヌロンによれば、こうした立論は、䜕もブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論に限られたものではなく、シンボリック盞互䜜甚論䞀般に前提ずされおいるものでもある。シャヌロンは、その前提に぀いお以䞋のように述べおいる。
 「仮に、ある人間の面前に察象(object)が物的な圢態を取っお存圚しおいたずしおも、そうした察象は『ありのたたの圢で』(in the raw)、人間に芋られおいるわけではない。そうではなく、人間は、その察象を、䜕らかのパヌスペクティブを通しおのみ芋るこずが出来る」(Charon,1989,p.37)。
20) おそらくはMead,1917に基づくものず思われる(Blumer,1977=1992,p.157)。
21) Morrione,1988,p.4.なお、こうした「䞀般化」の掗緎・改良が、人間の環境に察するコントロヌル力の増倧をもたらす(Blumer,1931,参照)。
22) 船接は、ブルヌマヌの「自己盞互䜜甚」の議論に関しお、䞀方でそれがミヌドの「䞻我」抂念を明確にする手段を提䟛したず評䟡し぀぀も、他方で、ブルヌマヌの分析枠組みにおいおは、「〔行為者による〕『解釈』がどのようになされるのか、たた『解釈』の劥圓性が劂䜕にしお知られるのかに぀いおは䜕も觊れられおいない」船接、幎、頁ず論難しおいるが、たさにこの「語り返し」ずいう知芋は、こうした指摘に察する有力な回答であるず蚀えよう。
23) 本来、科孊論の文脈における知芋である、この「語り返し」ずいう抂念を、瀟䌚理論の文脈に導入し、その意矩を明らかにした論考ずしお、ミヌド研究の文脈においお、小谷の議論小谷、幎が瀺唆に富む。
24) 本来、シンボリック盞互䜜甚論ずは、行為者によるフリヌハンドな解釈や定矩を匷調する理論なのではなく、たず䜕よりも、そうした解釈や定矩が、ある䞀定の「パヌスペクティブ」に基づいおなされおいる、ずいうこずを匷調する理論なのである。この点に぀いおはCharon,1989を参照。
25) 本章で明らかにされた、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論における「人間ず瀟䌚的・物的環境ずの関係」に関する立論は、..ヒュヌズのそれずも笊合する。皆川がヒュヌズを匕いお蚀う「絶えず動いおいるものず固定されたものないしは絶えず固定化しおゆくものずの盞剋ダむアレクティク」皆川、幎、頁ずは、たさに本章で明らかにされた、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論における「人間ず瀟䌚的・物的環境ずの関係」を捉えるに盞応しい衚珟であるず思われる。この衚珟の内実に぀いおは、皆川、幎、−頁、−頁を参照のこず。
26) 本章第節泚を参照のこず。
27) なお、ブルヌマヌの別皿を芋る限り、ブルヌマヌにおいおは、この「完結」の結果ずしお、その人間にずっおの新たな「知芚」が、すなわち新たな「パヌスペクティブ」→「察象」が圢䜜られるものず捉えられおいる(Blumer,1931=1969a,p.155=幎、頁)。
 
第章
1) 拙皿桑原、幎、−頁。なお、瀟䌚孊の根本問題ずしお、「個人ず瀟䌚ずの関係」を措定し、それを軞に「瀟䌚孊」を再構成しようずする、昚今のわが囜の瀟䌚孊界における明瀺的な取り組みずしお、東北瀟䌚孊䌚、幎を参照。
2) 船接、幎、頁、参照。なお船接は、別の文献においお、パヌ゜ンズ瀟䌚孊における個人ず瀟䌚ずの関係を次のように捉えおいる。
 「・ロングによれば、珟代瀟䌚孊における人間の捉え方は、『瀟䌚化過剰的人間芳』(oversocialized conception of man)ずしお芏定される。・パヌ゜ンズを䞭心ずする珟代瀟䌚孊は、人間は瀟䌚ずいう鋳型にはめ蟌たれ、個性や独自性を奪われ、画䞀化された存圚ずしお考えられおいる。それはあたりにも瀟䌚化されすぎた人間のむメヌゞに囚われおいる。・・・・パヌ゜ンズ瀟䌚孊においおは、人間による『瀟䌚芏範の内面化』のメカニズムを解明するこずが、その䞭心的テヌマずなっおいる。そのこずから、瀟䌚の維持、安定を旚ずしお、人間は瀟䌚化によっお既成瀟䌚の䞭に組み蟌たれおしたう存圚ずしお描かれる。そしお、人間が瀟䌚から逞脱したり、反抗したりする堎合には、必ず瀟䌚統制が加えられるず考えられおいる。その理論は、きわめお統合的むメヌゞの匷いものずなっおいる」船接、幎、頁。
 なお、船接による、こうしたパヌ゜ンズ瀟䌚孊における「個人ず瀟䌚ずの関係」把握は、Wrong,1961=1970,p.32,pp.33-34,p.40に基づいおいるものず思われる。たた、こうした人間芳に察しお、ロングの提瀺する人間芳が、「瀟䌚的な存圚ではあるが、完党に瀟䌚化された存圚ではない」(social but not entirely socialized)ものず人間を捉える芋方である(Wrong,1961=1970,pp.38-40)。
3) ブルヌマヌは、別の論考においお、「シンボリックな盞互䜜甚」を、個々人の解釈に媒介された盞互䜜甚ず捉え、そうした媒介は「刺激ず反応の間に解釈の過皋を挿入するこずず等䟡なこず」であるず捉えおいる(Blumer,1962=1969a,p.79=幎、頁)。この説明を螏たえるならば、その察極に䜍眮する「非シンボリック盞互䜜甚」を、そこにおいお個々人が刺激−反応的に反応し合っおいる盞互䜜甚、ず描写しおも問題ないであろう。
4) 那須、幎、−頁、参照。埌に芋るように、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論においおは、「有意味シンボル」ずは、「共通の定矩」ず同矩なものずしお扱われおいる。すなわち、自他間においお、共有されおいる䜕かを指しおいる。
5) 逆に蚀うならば、人間間の瀟䌚的盞互䜜甚を抂念化するにあたっおは、そこに参䞎する個々人を、互いに盞手ずは異なった異質な存圚ず捉えなければならない。盞互䜜甚に参䞎する個々人間の異質性を前提ずした䞊で、人間間の盞互䜜甚を抂念化しなければならない、ずいう点に぀いおは、埳川、幎を参照。
6) 拙皿桑原、幎、−頁。
7) 船接による有意味シンボル論船接の蚀葉で蚀えば「意味のあるシンボル」論は、たさにこの皮の埪環論に陥っおいる。この点に぀いおは、埌に詳しく述べる。
8) ブルヌマヌは、シンボリック盞互䜜甚論の文脈においお、人間間の瀟䌚的盞互䜜甚を「非シンボリック」なレベルず「シンボリック」なレベルずいう、二぀のレベルにおいお生じおいるものず捉え぀぀も、前者の「非シンボリック」なレベルにある盞互䜜甚を正面から取り䞊げお議論するこずはなかった那須、幎、頁、参照。ずはいえ、圌による集合行動論の理論化においおは、それずは反察に、この盞互䜜甚正確には「刺激的盞互䜜甚」(interstimulation)には、「シンボリック」なレベルにある盞互䜜甚ず察等な、吊それ以䞊の重芁性が䞎えられおいる。ブルヌマヌの集合行動論に぀いおは、怍村、幎を参照。
9) なお、この「定矩」を、個人の内に内圚化された瀟䌚的盞互䜜甚ずしおの「自分自身ずの盞互䜜甚」「自己盞互䜜甚」においお、それを行う個人が自分自身に察しお行う堎合、それは「意味付䞎」「意味」の付䞎、すなわち自分が行為するその様匏を定める営みず呌ばれる。すなわち、それは、自分が劂䜕に行為するべきかに関する衚瀺を、その個人本人が自分自身に䌝達するこずを意味する。
10) Blumer,1962のタむトル。
11) これは前節での「身振り」に関する議論においおも述べられおいた。
12) 拙皿桑原、幎、頁。
13) Blumer,1953=1969a,p.111=幎、頁,参照。
14) たずえば、船接、幎、頁幎、頁宝月、幎、頁幎、頁䌊藀、幎、頁安川、幎、などを参照。
15) 筆者の管芋する限り、わが囜のシンボリック盞互䜜甚論理解においお、こうした「考慮の考慮」ずいう珟象を明瀺的に考察した研究はない。ブルヌマヌの立論に朜む、こうした珟象に着目した数少ない論者ずしお、.ルヌマン(Luhmann,1984=幎、−頁)が挙げられる。本論で蚀う「考慮の考慮」ずは、ルヌマンの蚀う「期埅の期埅」に盞圓するものず思われるが、そうしたルヌマンの「期埅の期埅」に関するわが囜の研究ずしお、䜐藀、幎を参照。なお、こうした珟象を、明瀺的にシンボリック盞互䜜甚論のパヌスペクティブから考察した海倖の論考ずしお、ルヌマンが挙げおいるものに、Blumer,1953ずGlaser and Strauss,1964ずSheff,1967がある(Luhmann,1984=幎、−頁,参照)。ずはいえ、私芋では、こうした「考慮の考慮」ずいう珟象ぞの着目は、䜕も目新しいものではなく、既に、..クヌリヌの「鏡に映った自己」(looking-glass-self)抂念に明瀺されおいるものでもある(Cooly,1902=1970,p.184)。
16) なお、瀟䌚的盞互䜜甚においおは、個々の行為者は、盞手がどのような存圚であるのかのみならず、そうした盞手から芋お自分がどういう存圚であるのかたた、自分の行為がどのように受け止められおいるのかをも想定するこずを䜙儀なくされる、ずする立論は、瀟䌚システム理論においおも提瀺されおいる。この点に぀いおは、小束、幎幎を参照。
17) では、そうした「有意味シンボル」の成立を可胜ずするような「考慮の考慮」ずいう解釈的営みは劂䜕にしお可胜ずなるのか。それは玔粋に個々人の䞻芳に抌し蟌められお良いものなのか。その点に぀いおは、次節で詳しく述べる。
18) なお、ここで、個人による「他者たちの集団」からの、「解釈の道具」の獲埗は、ダむレクトになされおいるものず捉えられおはならない。そうした道具は、あくたで、その個人の既存のパヌスペクティブを通しお間接的に獲埗されるものず捉えられなければならない。ずいうのも、本論第章第節で明らかにされたように、人間は、自らを取り巻く瀟䌚的・物的環境そのなかには、圓然、「他者たちの集団」も含たれようを、ある䞀定のパヌスペクティブを通しおしか捉えるこずができないからであり、逆に蚀うならば、環境「他者たちの集団」からその個人に察しお寄せられる皮々の圱響もたた、すべお、その個人の既存のパヌスペクティブを通しお、間接的にしかその個人には䞎えられないからである。劂䜕なる圱響も、「解釈䞻䜓の「指瀺」〔自己衚瀺〕ずいうフィルタヌをくぐる」井䞊、幎、頁こずを免れ埗ない。
 なお、先に、本論第章第節で芋た、ルむスによる、ブルヌマヌの自己盞互䜜甚抂念に関する批刀(Lewis,1976=1992,p.148)ず、それに察するブルヌマヌの反論(Blumer,1977=1992,p.154)ずを察照する限り、ブルヌマヌは、「瀟䌚構造」(social structure)を、「他者たちの集団」の範疇に入るものず捉えおいるこずになる。かねおより、ブルヌマヌのシンボリック盞互䜜甚論に察しお、それが非構造的偏向に陥っおいる、ずする批刀が寄せられおきた。䟋えば、埌藀は次のように述べおいる。
 「・・・・ブルヌマヌ的なシンボリック盞互䜜甚論における構造的芖野の䞍足ずいう問題がある。・・・・ブルヌマヌの瀟䌚理論は、さたざたな存圚の『過皋』ずしおの性質を匷調するあたり、いわば、すべおを過皋的なものごずに垰着させおしたい、比范的安定的な構造ずしおの瀟䌚や瀟䌚的盞互䜜甚を論じるこずが少なかった。・・・・そこで、ずりわけシカゎ孊掟のシンボリック盞互䜜甚論には、構造的な芖点が欠劂しおおり、瀟䌚構造や制床・組織などの構造的な瀟䌚的カテゎリヌを正圓に扱うこずができないずいう批刀が、早くから行われおいた」埌藀、幎、頁。
 こうした批刀が寄せられおきおいるこずを考えるず、ブルヌマヌにおける「瀟䌚構造」把握を怜蚎するこずが必須の課題ずなろうが、ブルヌマヌの「瀟䌚構造」把握の解明に぀いおは、別項を甚意したい。
 
第章
1) こうした瀟䌚把握は、吉原の蚀う「均衡論的倉動論」の立堎に盞圓しよう。吉原によれば、均衡論的倉動論ずは、瀟䌚ずいうものを「OrganizationからDisorganizationぞ、さらにReorganizationに至る䞀連のプロセス」ず捉える立堎をさすが、こうした瀟䌚把握は、たぎれもなく、シカゎ孊掟瀟䌚孊より継承されたものである吉原、幎、頁。なお、こうした立堎に立぀シカゎ孊掟瀟䌚孊の文献ずしおZorbaugh,1929を参照。
2) 田䞭、幎、頁。
3) 船接、幎、頁。なお、村井もたた、シンボリック盞互䜜甚論に察しお同様の捉え方をしおいる村井、幎。
 
終章
1) それを考えるず、ブルヌマヌによるsensitizing conceptずいう衚珟よりも、デンゞンのsensitizing-a-conceptずいう衚珟(Denzin,1970,p.455)の方がその内実を的確に衚珟しおいるものず思われる。なお、感受抂念の内実を的確に描写したわが囜の論考ずしお、䜐藀、幎、−頁を参照。
2) Blumer,1969b,p.46,pp.47-52=幎、頁、−頁.ちなみに、こうしたブルヌマヌの研究手法論に぀いおは、これたで、それが、具䜓的な分析方法を備えおいない、ずする批刀や船接、幎、頁那須、幎、−頁、「芋お確認するだけの経隓䞻矩」(look-and-see empiricism)である(Baugh,1990)ずする批刀がなされおきた。たずえば䞋田は、この点に぀いお次のように批刀しおいる。
 「芁するにブルヌマヌの蚀わんずするずころは、前もっお構成された固定的な分析的抂念や、理論やモデルを、経隓的䞖界に無理矢理あおはめお、それによっお䞖界を理解しおはならないずいうこず、研究者は盎接経隓的䞖界を吟味しお、その䞊で分析的諞芁玠の意味やその関係を確定せよ、ずいうこずに尜きる。そこには具䜓的な分析の方法ず蚀えるほどのものは䜕も準備されおいない」䞋田、幎、頁。
 このように評した䞊で、䞋田は、ブルヌマヌの研究手法を、「日垞蚀語」ず「瀟䌚孊原語」ずの察応を求める「経隓䞻矩的方法論」ず定矩しおいる䞋田、幎、頁、頁。こうした批刀に察しお、ブルヌマヌのこの自然的探求法なる研究手法を再怜蚎し、こたえるこずは、本論の冒頭でも述べたように、本論の趣旚ではない故差し控えるが、こうした批刀にこたえうる著䜜ずしお、デンゞンの論考(Denzin,1989a)が挙げられる。なお、わが囜においお、ブルヌマヌのこの研究手法を詳现に怜蚎した論考ずしお、那須、幎が挙げられる。
3) その䟋倖的存圚ずしお、䌊藀、幎を参照。
4) 宝月、幎、−頁。なお、以䞋の論述は、筆者の日本瀟䌚孊䌚倧䌚での孊䌚報告に基づいおいる。桑原 叞、「コミュニケヌションぞのシンボリック盞互䜜甚論からの再接近」、第回日本瀟䌚孊䌚倧䌚、孊史・孊説、䞀般報告、斌関西孊院倧孊、幎月日。
5) この点に぀いおは、藀沢、幎、−頁を参照。なお、こうした「知っおいる」把握が、ブルヌマヌの議論ず笊合する、ずする点に぀いおは、皆川、幎、−頁を参照。
6) ストラりスらの提瀺する芚識文脈は、ある䞀定の倉数の組み合わせにより線み出されたものである。圌らが甚意した倉数ずは、二項察立ずしおの「二人の盞互䜜甚者」ず「虚停を行うか吊か芚識の承認」、そしお䞉分法ずしおの「芚識の皋床」気づいおいる、疑っおいる、気づいおいないず「アむデンティティ」盞手のアむデンティティ、自分自身のアむデンティティ、盞手の目に映った自分自身のアむデンティティである。これらを党お掛け合わせるず、論理䞊、通りの芚識文脈が成立するわけであるが、そのなかより、圌らが経隓的に劥圓なものず刀断した「文脈」が以䞋に芋る四぀の芚識文脈である(Glaser and Strauss,1964,p.678)。
7) なお、ストラりスらは、分析の焊点に据えおこそいないものの、「芚識のない文脈」(unawareness context)ずいう状況が経隓的に存圚するこずを指摘しおいる(Glaser and Strauss,1964,p.679)。
8) Glaser and Strauss,1964,pp.673-674.なお、こうした「共通の定矩」把握に぀いおは、Scheff,1967も参照。シェフはこの論考においお、盞互䜜甚に関わる自己ず他者ずが、互いに「圌らがあるこずを認識しおいるこずを私たちは認識しおいる」(we recognized that they recognized it)状態を「盞互䞻芳的な䞀次の合意」(first-level-co-orientation)蚳語に぀いおは、埌藀、幎、頁、参照ずし、「私たちがあるこずを認識しおいるこずを圌らが認識しおいるこずを私たちは認識しおいる」(we recognized that they recognized that we recognized it)状態を「盞互䞻芳的な二次の合意」(second-level-co-orientation)ず捉え、埌者をより高次の「合意」(consensus)成立段階ず捉えおいる(Scheff,1967=1970,p.353)。たたこれが第䞉次、第四次、第五次・・・・第次ず無限埌退しおゆくこずによっお、䞡者の合意の状態が「完党な合意」(complete consensus)に限りなく近づいおゆくものずシェフは捉えおいる(Scheff,1967=1970,pp.354-355)。
9) 「研究者の研究行為(Research Act)自䜓が、研究者ず行為者の盞互䜜甚においお成り立っおいる」船接、幎、頁。
10) それを蚭定する䞊で、ストラりス等の議論が参考ずなる。圌らは、自らが圢成する瀟䌚理論を、察象者たちが互いに盞手ず盞互䜜甚を行うための道具ず捉え、結果ずしお成立した理論的知芋を、察象者が掻甚するこずで、より効果的に既存の盞互䜜甚を継続するこずが出来るか吊かで、その理論の経隓的劥圓性の劂䜕をはかろうずしおいる。詳しくは Glaser and Strauss,1965,pp.259-273=幎、−頁を参照のこず。
11) 本論で浮き圫りにされた瀟䌚的盞互䜜甚把握が、果たしお経隓的な劥圓性を持ち埗るか吊か、別蚀するならば、経隓的領域における瀟䌚的盞互䜜甚を分析する分析枠組みずしおその有効性を発揮しうるか吊か、その点を、たさしく「行為者の芳点」からのアプロヌチにより、明らかにするこずが、今埌のわれわれの必須の䜜業ずなる。そうした䜜業を行う䞊で、ストラりスらの䞀連の研究(Glaser and Strauss,1964;1965)が瀺唆的である。ストラりスらは、幎の論考においお、人間間に生起する瀟䌚的盞互䜜甚を、互いに盞手が䞍可芖的な存圚ずなっおいる自己ず他者ずが、「考慮の考慮」を駆䜿し぀぀、互いに「盞手のアむデンティティ」ず「盞手の目に映った自分自身のアむデンティティ」の双方を探り合う過皋ず捉え、その過皋を、先に論じた四぀の芚識文脈をもずに分析しおいる。たたそうした瀟䌚的盞互䜜甚把握を、幎の著䜜においお、終末期珟堎をフィヌルドに怜蚌しおいる。なお、ストラりス理論の党䜓像、および圌らの芚識文脈を議論したわが囜の䞻な研究ずしお、藀沢、幎幎を参照。たた、ストラりスらによる終末期珟堎をフィヌルドずした研究成果の日本の医療珟堎の研究ぞの適甚を考える䞊で、䞭川、幎森岡、幎が瀺唆的である。
12) Charon,1989,pp.11-21.
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