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哲学者アレントは、大衆を政治的に動員するプロパガンダには、一定の特徴があることを指摘していた

哲学者ハンナ・アレント(1906~1975)は1951年に『全体主義の起源』という著作の中で、全体主義が形成される過程を独自の視点で検討しているのですが、特に全体主義の確立を目指す政党が大衆を組織する際に使うプロパガンダに一定の特徴があることを指摘していました。

アレントの説によれば、プロパガンダによって政治的目的を達成するためには、プロパガンダの内容に新規性、独創性を持たせてはならず、かつその内容に論理的な一貫性を持たせることが重要です。この記事ではその理由をアレントがどのように説明していたのかを紹介します。

そもそも、アレントは全体主義の基盤は大衆であると考えていました。ただし、ここで述べている大衆とは、単に社会の構成員という意味ではありません。アレントが考える大衆は、特定の政党に帰属するという意識が弱いために、政党や団体に組織化されておらず、また選挙でとんど投票に行かない無党派層のことです。

「大衆という言葉が当てはまるのは、たんに数の多さや無関心から、あるいはこの両方が結びついたために、政党や自治体、職業組織や労働組合などいかなる組織にも共通の利益によって統合することのできない人々のみである。潜在的には大衆はあらゆる国に存在するし、まったく政党に参加せず選挙にもほとんど行かない中立で無関心な多数の人々の大部分がそうなのである」(邦訳『全体主義の起源』3巻、10頁)

一見すると、このような人々は党員や支持者を拡大したい政党にとって、あまり魅力的ではなさそうです。なぜなら、彼らは職業的な利害関係や、宗教的な思想信条で動員することが難しいと考えられるためです。しかし、アレントは、このような人々こそ自らの信じたいと思うものを信じる傾向があるとして、次のように論じています。

「大衆は目に見えるものは何も信じない。自分自身の経験のリアリティを信じないのである。彼らは自分の目と耳を信頼せず、ただ想像力のみを信ずる。彼らの想像力は普遍的で一貫しているものなら何でもその虜になりうる。大衆を納得させるのは事実ではないし、でっち上げられた事実でさえなる。彼らがその一部となるだろうシステムの一貫性だけを信ずるのである」(同上、80頁)

このような特性を踏まえれば、大衆を動員するために最適化されたプロパガンダは、大衆の頭の中に構築する空想のシステムに一つの矛盾も存在しないということに尽きます。さらにアレントの議論で興味深いのは、不幸な出来事が重なることによって、大衆はますますそのような嘘の世界を信じやすくなる傾向があると指摘している点です(同上、83頁)。

苦難に満ちた現実の世界から、空想の世界へと逃れたいという願望を持った大衆に向けて、何らかの確固とした拠り所を与えることに成功すれば、非政治的な大衆を動員することは可能になります。アレントは、この種のプロパガンダ技術を洗練させたことが全体主義という運動の重要な特徴であったと論じています。

アレントが注目しているのは、プロパガンダが大衆に新たな世界観を植え付けるため、あまり難しい内容にしないように細心の注意が払われていたということです。大衆が求めているのは、複雑な教義ではなく、完全な教義であり、その完全性を増すためには単純明快なメッセージである必要がありました

アレントはユダヤ人が世界の支配を目論んでいるという陰謀論の根拠としてナチ党が用いたことで知られている偽書『シオンの賢者の議定書』に触れて、その中で使われている表現がナチ党の有名なスローガンにも応用されたことを述べています。

「純粋なプロパガンダとして見た場合に、ナチスが発見したのは、大衆はユダヤの世界支配の陰謀に驚くよりもむしろどうしてそのような支配が可能になるのかに興味を持つという事実であった。この議定書が評判になったのは憎悪というより賛嘆とその方法を知りたいという熱望からであって、だからその際立った定式のいくつかにできるだけ近づくのが賢明だということにナチスは気づいたのであった。例えば、「ドイツ民族にとって良いことが正義である」という有名なスローガンは、議定書の「ユダヤ民族にとって利益となるすべては道徳的に正しく神聖である」を写したものなのである」(同上、90頁)

プロパガンダは単純明快であることが重要です。ナチ党が「ドイツ民族」に何かしらの利益をもたらすという程度の意味しか持っていないとしても、その平凡さこそが大衆に働きかけるプロパガンダとして極めて重要だとアレントは説明しています。

「全体主義プロパガンダの真の目的は、人々を説得するのではなく組織すること―「暴力という手段をもたずに権力を蓄えること」―にある。イデオロギーの内容が独創的であることはこの目的のためには不必要な障碍にしかならない。われわれの時代の二つの全体主義運動は支配の方法では驚くほど「新しい」し、組織の方法の点では独創的であったが、決して新しい教義を説いたり、一般に流布していないイデオロギーを発明したりしなかったことは偶然ではない。大衆を獲得するのはデマゴギーの束の間の成功ではなく、「生きる組織」の目に見えるリアリティと力なのである」(同上、95-6頁)

全体主義は大衆を政治に参加させながらも、政党や指導者に対して一切の異議申し立てを許さない抑圧的な政治システムです。そのような政治システムを成り立たせるためには、それなりの教義のようなものがあってしかるべきだと思うかもしれませんが、実際にはそのようなものはない方が都合が政治的にはよいのです。空想の世界に安心を求める大衆を満足させる目的で設計されたプロパガンダこそが政治家にとって重要であり、その中心にあるスローガンは誰にでも思いつくような、単純明快なものにしておく必要があるのです

この記事で引用した『全体主義の起源』は旧版ですが、最近になって新版が出たので、これから読んでみようという方は、そちらを入手することを推奨します。


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コメント

南京渋多(プロテスティア)
こういうドイツ系ユダヤ系のアメリカ人は、絶対に事故をふり返らないという悪質さがありますな。哲学者として客観的に装っていても、自分の感情的な側面から遁れられないのが人間の本質かも知れません。
当時のアメリカが、自由資本主義から社会主義全体主義傾向(ニューディール政策など)が見られましたし、何より日本を標的としたプロパガンダ(ライスボール運動)はその特徴的な例と考えますが、それは無視するのが問題ですな。
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哲学者アレントは、大衆を政治的に動員するプロパガンダには、一定の特徴があることを指摘していた|武内和人|戦争から人と社会を考える
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