漫画原作者のid:Rootport氏が「キャンセル」を否定する理由として小林多喜二虐殺の歴史を引いたことに対して、漫画家の藤栄氏が虐殺のおかげで共産革命が起きなかったと語っていた。
『蟹工船』の作者は警察の拷問で死亡した。小林多喜二は氷山の一角にすぎない。歴史上、数え切れないほどの人が「表現してはいけないこと」を表現したために殺されてきた。表現の自由を保証する日本国憲法21条や世界人権宣言19条は、血で書かれている。
気に入らない表現を「キャンセル」したくなったときは、私たち人類が表現の自由を獲得するまでに築かれた死体の山を思い出してほしい。
そうは言っても、当時の警察がそれだけ共産主義・プロレタリア文学を厳しく取り締まっていたから日本では共産革命が起きずに済んだとも言えるわけですしねえ。
万が一共産圏になってたら、さらにひどい弾圧が待っているわけですし。まったく人間世界は地獄ですわ。
藤栄氏といえば他人の漫画のコマを揶揄のために利用して批判され、作品の宣伝になると正当化し、最終的に絵柄だけ描きなおしたパロディですませたことが記憶に新しい。
漫画家の藤栄道彦氏が、またまたツイッターで商業作家らしからぬ著作権の見解を語っていた - 法華狼の日記
上記エントリへのアクセスで藤栄氏の今回の発言を知ったのだが、実は藤栄氏は表現が規制されている現状についても、それでも表現市場は発展しているとして勝利宣言したこともある。
公権力により性器描写が禁じられていることを、なぜか規制側を嘲笑できる根拠にしている一般漫画家の謎 - 法華狼の日記
なぜ市場の発展で規制に勝ったことになるのかというと、下記を読んでのとおり、業界の勢力をそぐことが規制の目的であるという意味不明な陰謀論が根拠であった*1。
規制は本来作品や媒体の認知度を下げ、市場価値を下げて業界の勢力を削ぐことが目的なのでございます。無修正になぞせずとも、成人向け作家さん達はより性的衝動を掻き立てる表現を工夫し、また言い訳程度の修正で作品を販売するなど今や巨大な市場を形成しております。
ざまあカンカン。
規制を望んだり規制による表現の向上を主張しているわけではないものの、いやだからこそ藤栄氏は表現者としてもかなり珍しい立ち位置にいる。作家も読者も作品の評価基準として売上をつかうことはよくあるが、さすがにそれで表現の現状に満足して規制を嘲笑する漫画家は珍しい。
それこそ小林多喜二のように規制されても負けないという心意気なら理解できるし賛同したい気持ちもある。しかし規制に屈服しながら資本主義的な勝者気分からくる揶揄に同調することは難しい。