西田親分が旅立たれた。
親分と呼ぶきっかけとなったのは映画「ゲロッパ!」。大のジェームスブラウンファンのヤクザの親分役が西田さん、その子分役でご一緒させていただいてから。
その後も
「釣りバカ日誌」などなどご一緒させていただいた。
撮影の合間にはスタッフ、
出演者を引き連れて食事に連れて行ってくださり
何度もご馳走になった。
その後にはみんなでカラオケに行き、
「与作」をフランス語風で歌い、締めには「もしもピアノが弾けたなら」まで聴かせてくれる夢のような時間を過ごさせてくださった。
ビッグネーム、超名優でありながら、
誰に対しても優しく、
常にみんなを笑わせてくれる、大きな人だった。
しばらくお会いしていなかったが、
コロナ禍で苦しむ同業のみんなのために先頭に立ち、
声名なども出されていた。
損失補填など党として求めていたが、
当時議員バッジを失っていた自分は、
国会で直接求められない状況に歯痒い思いをした。
その思いをメールしたら、
頑張れ!って逆に励まされたことを思い出した。
親分、本当にありがとうございました。
またあちらで与作、
聴かせていただける日を楽しみにしてます。