封印された超古代史「古史古伝」の謎:最終回
古史古伝の共通点は「神武天皇」以前の歴史で、物部氏系の末裔が残していた超古代からの歴史や伝承で、あるものは歌という形式で残したものだとした。全ては「八咫烏秘記」をベースにして作られた文書だったということで、なぜなら、八咫烏は神武以前からこの国にいた一族で、徐福の末裔のレビ族「海部氏」だったからである。同族の物部氏は秦氏の宿禰である「竹内宿禰」に改宗・封印された一族である。
そして「神代文字」(じんだいもじ、かみよもじ)の正体とは漢字伝来以前に古代日本でも使用されていた多様な文字、文字様で、秦氏がこの国に紀元後にもたらした聖書文字である漢字以前に使われていた超古代文字「エノク文字」であった。古代イスラエルよりはるか昔に使われていた文字であり、現在の人類の祖ノアが曽祖父エノクと3人の息子たちが継承した旧世界で使っていた文字ということである。ノアと3人の息子セム・ハム・ヤフェトとその妻4人の8人、そして神によって死ねない体とされたカインの9人だけが大洪水から生き延びた、旧世界からの人類である。つまり、彼らは旧世界で使っていた文字をそのまま使用し、継承したのである。その末裔だからこそ、八咫烏たちは神代文字を理解できたのである。
◆ 「宿根」と名乗った竹内巨麿と「ねこ」
竹内巨麿は「武内宿祢」の第66代目の子孫だと称し、時に自らを「宿根」(すくね)と名乗ったという。「根」とは「物事のもと、ね、ねざすところ」という意味を持つ。つまり「根源」で「根っこ」ということである。
この「根」(ね)= 「根っこ」には隠された意味があるという。 「根っこ」を「根子」(ねこ)とすると、そこには「禰子」(ねこ)が現れる。「禰」は「契約の聖櫃アーク」を表す「爾」+「示」で、「示」はそのまま「神」を表すので「神の箱」の意味となる。さらに「絶対神」は「天帝・天皇・天王」とも記されることがあるが、その絶対神が住まとされる天帝の星である「北極星」のことを「子の星」(ねのほし)という事から、「子子」と書くと「ねこ」となり、それは「天の御父の子」となりイエス・キリストが登場するのだ。
北極星
飛鳥昭雄氏が非常に面白い指摘をされているが、日本で一番多い種類の「猫(ねこ)」は「三毛猫」であり、「三毛猫」ということは、救世主が解き明かした神界の構造「父・子・聖霊」の三柱が三毛の具現化かもしれなくなるという。さらに「三毛」には「雌」(メス)が圧倒的に多いのも、救世主の復活を最後まで信じたのはマグダラのマリアなどの女性使徒たちだったからであろうという。
かなりハッとさせられたが、思わず笑ってしまいそうにもなった。実際、筆者の実家では幼少期に大量の猫たちが住んでいた。最大時には17匹の猫がいたが、たしかに「オスの三毛猫」は全くいなかったことを思い出した。
「三毛猫」の種類
実際に「新約聖書」を読むと、意外と12使徒の男たちは情けないというか心が弱い。自分たちを導いたイエスのことを、3日後に復活するまでは「神」とは信じきれていなかったのである。イエスの磔刑の直前には使徒ペテロはイエスのことを「知らない」と3度も言っている。
ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。 (「マタイによる福音書」第26章69-75節)
ペテロは「その人のことは何も知らない」と激しく誓ったのである。ひどい話だ。きっとイエスは「梯子を外された」思いがしただろう。「最後の晩餐したじゃないか」と思ったに違いない。まぁ、普通の人間だったら、であるが。さらには男の使徒たちはイエスが復活した時も、最初は全然信じていないのだ。
そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。 見ると、石が墓のわきに転がしてあり、 中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。 そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。 それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、 使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。 しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。(「ルカによる福音書」第24章1-12節)
イエスの復活
変な言い方かもしれないが、イエスが十字架に釘で打たれようとも、ロンギヌスの槍で突かれようとも、何事もなかったかのように平然とした顔をして話でもしていたら、使徒たちは「死なない超人」だと思って、そうした存在こそが「神」なのだと思ったのかもしれないし、イエスが亡くなった後すぐに復活していれば、「やっぱり神だ」と信じることができたのかもしれない。逆にいえば、イエスとともに十字架に掛けられた罪人の一人の方が、12使徒よりイエスのことを「神」と信じていたのである。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」 すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。 我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。 するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 (「ルカによる福音書」第23章39-43節)
なぜ、12使徒がイエスが復活するとは考えられなかったのかと言えば、それが復活まで3日もかかったからである。イエスは3日間もどこに行っていたのだろうか・・・・・。それは「黄泉」である。「黄泉」のことを「根の国」と呼び、それは出雲のことである。そして「黄泉の国」とは死者の霊が集まる場所で、イエスの人間的な意味での「死」を表す。
竹内巨麿が創建した「皇祖皇太神宮」があるのは茨城=茨木で、荊棘の冠を被った木=神で、イエス・キリストを象徴している。巨麿が自分を「宿根」と呼んだのは「日本の終わり=死=黄泉」が始まる場所であり皇祖神が復活するための始まりの場所として皇祖皇太神宮を「茨木」に建立したのではないのだろうか?
そしてその時には本当の「竹内文書」たる「八咫烏秘記」と共に失われた3000点の神宝類も復活するという預言だったのではないだろうか?だからこそ「禰」には「墓」と「神殿」と「契約の箱」の意味が込められたはずなのだ。
北緯35度〜36度ライン=龍の形?
上の図は筆者が作成したものだが、本州の物部系の古社で一番東にあるのは「鹿島神宮」である。だが、「鹿島神宮」は「香取神宮」と陰陽となっており、要石が地下深くでつながっているとも言われている関係の社である。そこを起点に北緯35度から36度のライン上には秩父神社やら諏訪大社やら籠神社が並び、終点は「出雲大社」で、そこは」「黄泉の国」である。この物部系の古社には全て荒ぶる神で龍神たる「スサノオ」が祀られているのだ。日本列島を「龍体」とした場合。それは龍の背骨にして、龍脈でもある。日本列島の大動脈である。
この「鹿島神宮」の上、つまり「龍の頭」の部分にあるのが北茨城の「皇祖皇太神宮」なのである。つまり、龍が暴れだして大地震「メガクエイク」が発生した場合、「日本の終わり=死=黄泉」が始まる場所となり、それは皇祖神が復活するための始まりの場所となるために、皇祖皇太神宮を敢えて「茨木」の象徴となるこの地に建立したのではないのだろうか?とするならば、それは「預言」ということになる。
◆ 「アイヌの預言」と預言書としての『古史古伝』
『正統竹内文書』は南朝竹内家の宿禰が継承してきた古伝とされ、初めてその内容が公開されたのが、 『正統「竹内文書」の謎』であった。そこにはイエス・キリストの渡来伝承が記されており、キリストを伊勢津彦と表記し青森の八戸から北海道へと向かい、さらに東へ向かっていったとされている。アイヌを訪れた復活後のイエス・キリストのことを、アイヌでは「オキクルミ・カムイ」と呼んでいる。
オキクルミ・カムイの木像
上の写真の「オキクルミ・カムイ」の木像は「大」の形をしている。完全に「人形」である。この「オキクルミ・カムイ」はアイヌの人たちに「あなたがたのところに帰って来る」と言い残したと伝えられている。「竹内文書」が伝えるように、青森に「イエスの墓」があり、もしそこに復活体のイエス・キリストが来ていたとするならば、だ。必ずや同じヘブライの血が流れているアイヌの人たちのところにも「福音」を伝えに行ったはずなのである。
アイヌは文字を持たない人たちである。口承伝承である。そのアイヌ民族の口承文芸である「カムイ・ユーカラ(神謡)」に登場する国土創造の神とされるのが「オキクルミ・カムイ」である。新しい国土の主として人間界に降りたといわれ、伝承では魔神を撃退し、持参した稗で耕作を教え、大船の造り方や角鮫捕りの銛・ヤスの用法、狩猟の際の毒矢や仕掛弓などを教えるとともに、「木幣」(イナウ)を削って神を崇めることなど、神事のやり方も教えたとされている。まるで「カタカムナ」の話のようである。しかし、次第にアイヌ民族がオキクルミの徳にそむくようになったため、遂に島から隣国へ去っていったという。だが、「帰って来る」と言い残しているのである。
オキクルミ・カムイ降臨地「ハヨピラ」
竹内文書をはじめとする古史古伝が「八咫烏秘記」を元に書かれたのであれば、正史である記紀もまた「預言書」であるということである。それは「古事記・日本書紀」:正史=「陽」で、古史古伝:秘史=「陰」の合わせ鏡の預言書という意味となり、さらに「記紀=陰陽」に「先代旧事本紀大成経」が加わり三柱の構造の預言書となるのだ。それらが公開される時、契約の箱は表に出され、皇祖皇太神宮にかつてあった御神宝類、謎の金属「ヒヒイロカネ」で造られた剣をはじめとする三種の神器、3種類の「モーゼの十誡石」、神代文字が記された石、天皇の骨で作られた御神骨像などが登場することとなり、天照大御神が岩戸の中から戻ってくることとなる。
それはアイヌにとっては「オキクルミ・カムイ」の再降臨である。大和民族にとっては封印されてきた物部氏の封印が完全に解かれ、姿を見せなかった「八咫烏」も公然と姿を表すこととなる。そして、モーセ直系の末裔である天皇陛下が大和民族の正体を世界に宣言、アメノウズメたるマグダラのマリアの末裔がいることも公表されることとなるが、それは同時に世界を敵に回すことにもなるのである。天界の三神を奉じ、絶対神イエス・キリストを主祭神としながらも、モーセや釈迦も復活体の天使として行動しているなどと、いったい誰が信じるだろうか。だが、世界は知ることとなる。なぜこの国の名前が「大和」で、そこに住んでいるのが「ヤマト」なのかを。
<終わり>
◆編集後記
いやはや、遂に最終回を迎えた。今回も当初予定の2倍の量になってしまった。なにせ相手は「竹内文書」をはじめとする大洪水以前の記録をエノク文字で残していたものである。そんな簡単に謎解きが終わるとは思わなかったが、さすがに1日も休みなく書き続けるのは疲れる(笑)。しかし、仕方ない。武内宿禰は我が先祖である。そんな簡単には許してもらえないと分かっていたが、相当頭を使った。おかげで、睡眠時間を倍にしないと持たない2ヶ月間だった。
さすがに今後は週末の更新は控えようと考えている。まぁ考えているだけだが(笑)。
「八咫烏秘記」にはエノクの時代の旧大陸「アスカ」の謎が解き明かされている。だからこそ八咫烏の別名が「大天狗」であり「白狐」であり「飛鳥」でもあるのだ。そして「飛鳥」は天皇家の秘密機関の名でもあり、裏仏教を支配する八咫烏の別名でもある。そしてなんで「飛ぶ鳥」が「アスカ」なのか。実はその答えは飛鳥昭雄氏と三神たける氏との共著「失われた超大陸パンゲア文明『アスカ』の謎」で解き明かせれているので、ぜひ買って読んでみていただきたい。
本連載では、超弩級の説を放ってしまった。「竹内宿禰」=「秦河勝」まではいいが、それが「復活体のモーセ」と書いた瞬間に「トンデモ説」だと言われるに違いないが、きっとそういうことを言う輩は「竹内文書」の本質を理解しようとせず、周囲を見ても「偽書」となっているから「偽書」だと思いこんでしまっている人たちだ。要は思考停止状態なのであり、怖くて真実を見る勇気がないのである。なにせ、筆者が唱える説を唱えた瞬間に袋叩きになるかもしれないからだ。しかし、時は待ってはくれない。
本連載の中でマグダラのマリアの血脈について少々触れた。さすがにそれは「イエスの末裔」という話となり、「神の遺伝子」という危険な話となってしまうため、改めて書きたいとした。そして「天皇家」の別の呼び名を「竹の園生」(たけのそのふ)だと書いたが、それは『徒然草』の第一段に、このように記されている。
「竹の園生の、末葉まで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。」
意味はこうである。
「皇族の、子孫達まで人間の血筋でないのは尊い事だ。」
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Re:無題
興味深いですね。この勅使という人たちがどこから送られてきたのかが気になります。もちろん天皇家でしょうが。
GTOこと後藤正成
2024-08-06 12:14:00
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