流行歌の連発で賞レースが荒れに荒れた70年代! 『紅白歌合戦』の視聴率は毎年70%超え!?

更科 修一郎 プロフィール

日本テレビ「出禁」を喰らっていた和田アキ子

若い世代は彼女が歌手出身だと知らない?(写真:Getty Images)

和田アキ子は『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ)の「ゴッド姉ちゃん」で人気を博していたが、現代で喩えれば松本人志のような愚連隊のボス猿キャラだったことから、本業の歌手活動に支障が出ており、1978年3月に自主降板していた。

その後は裏番組の『翔べ!必殺うらごろし』(朝日放送)に出演しつつ、浜田省吾が作詞・作曲したアーバンな主題歌『愛して』を歌い、1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』でも、2年連続で『北国の春』を歌った千昌夫との対戦で名曲『コーラス・ガール』を歌うなど、歌手としては円熟期に入っていくが、ヒットには繋がらず、自主降板の報復で日本テレビを1980年3月の『西遊記II』のゲスト出演まで完全出禁になるなど、タレントとしては冬の時代に突入していた。

 

和田が復活するのは、1983年に当時の業界暴露本ブームに乗って出した『和田アキ子だ!文句あっか!』(日本文芸社)が120万部の大ヒットとなり、ボス猿キャラを確信犯的に演じるようになってからで、現在の「芸能界のご意見番」イメージもこの本から始まっている。

とはいえ、41年も経過すると、さすがに威光も減退するようで、1985年スタートの冠番組『アッコにおまかせ!』(TBS)はパリオリンピックでの北口榛花への失言から終了を取り沙汰されているが。

その一方で、和田は10月8日放送の『ワルイコあつまれ』(NHK)の「子ども記者会見」にゲスト登場し、歴代の紅白歌合戦出演映像が流れていたが、実は紅白再出場も1986年の『第37回NHK紅白歌合戦』で、1979年の落選から8年のブランクが空いていた。

紅白の常連歌手だったイメージがある和田だが、歌手としてもっとも脂の乗っていた時期には出場していなかったのだ。

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