あなたは伝説の『世界紅白歌合戦』を覚えているだろうか? 多様化した『NHK紅白歌合戦』の裏番組たち

更科 修一郎 プロフィール

洋楽勢だけではなく日本人アーティストも超豪華

シティポップブームで再評価された菊池桃子だが、「ラ・ムー」も?

さらに、西城秀樹、布施明、谷村新司、高中正義、菊池桃子、少年隊、アン・ルイス、チャゲ&飛鳥……と日本勢も充実していたが、ロック・ニューミュージック系以外も洋楽志向の強い歌手を揃えていた。

だったら、この年にデビューしたアイドルの菊池桃子は何なのだ、という話になるが、菊池桃子も1988年にフュージョン&ファンクバンドのラ・ムーを率いていた。ラ・ムー自体は筋肉少女帯の『ビッグマグナム大槻先生のパンクでポン』でネタにされるなど、興行的には失敗したのだが、スピリチュアル・ジャズ・ファンクという音楽コンセプトは後年、堂本剛のENDRECHERIなどに受け継がれている……はずだ。

 

また、出演者の中でも西城秀樹は本家『NHK紅白歌合戦』の常連で、この年も『科学万博つくば '85』のテーマソング『一万光年の愛』を歌っていた。11月にはヴィレッジ・ピープルのカバーを歌っていたことからなにかを勘違いされたのか、バリー・マニロウから『腕の中へ』を提供され、『夜のヒットスタジオDX』でもデュエットで歌っていたが、どちらもヒットには繋がらず、落選していた。

『YOUNG MAN』の大ヒット以降、ハウス食品「バーモントカレー」のCMのイメージもあって、子供向けの安全な歌手というイメージが定着してしまったのだが、万博の開会式でNHK交響楽団をバックに歌ったことが、いよいよ秀樹のロックなイメージを薄れさせ、世代交代の波を被ってしまった。

なので、80年代後半は香港や韓国など、アジア圏での活躍のほうが目立っていた。国内での人気が復活するのは、1991年に『走れ正直者』がアニメ『ちびまる子ちゃん』のEDテーマで使われてからのことだが、10年ぶりに出場した1994年の『第45回紅白歌合戦』で歌ったのは『YOUNG MAN』だった。

同じく復帰組で先に歌った郷ひろみは新曲『言えないよ』だったが、秀樹はすっかり懐メロ歌手扱いになっていた。

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