『ドラえもん』のあとは松田優作主演映画の大晦日!?
実際、この年の10月から始まった『笑ってる場合ですよ!』や、1981年5月開始の『オレたちひょうきん族』(共にフジテレビ)でもこの構図を最大限に利用していた。
しかし、フジテレビの『NHK紅白歌合戦』の裏は、竹村健一、フレデリック・フォーサイス、ヘンリー・キッシンジャーなどをメインに据えた『'80大晦日スペシャルドキュメント 1983年何かが起こる? “悪魔の選択・日本の選択”』という、モスクワオリンピックのボイコット問題で湧き上がった反共ブームに乗る怪しげな政治討論番組を放送していた。
あの異様な動物番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』の第1回は、この2日前、1980年12月29日に放送されていたが、有名な「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズが作られたのは翌1981年で、1980年は長く続いた「母と子のフジテレビ」時代の最後だった。
そりゃ、『笑ってる場合ですよ!』でツービートが『全日本勝ち抜きブス合戦』なんて始めたら、「母と子のフジテレビ」なんて呑気なフレーズは吹っ飛んでしまうのだが。
テレビ朝日は『'80大みそかだよ!ドラえもん』から、松田優作主演のハードボイルドアクション映画『最も危険な遊戯』で、やっぱり温度差がひどいのだが、同局の大株主は東映なので、大晦日は東映のスター映画を放送するという方針だったのかも知れない。
翌1981年にテレビ東京への局名変更を控えていた東京12チャンネルにも変化があった。17時スタートの懐メロ&演歌番組だった『年忘れにっぽんの歌』をリニューアルし、『日本レコード大賞』開始前に松田聖子、田原俊彦、もんた&ブラザーズなどを出演させたのだ。
77年から放送していた音楽バラエティ番組『ヤンヤン歌うスタジオ』が定着したことで余裕が生まれたのだろうが、肝心の紅白裏は力尽きたのか、1979年1月2日に全6部を12時間ノーカット放送して好評だった、1959年の映画『人間の條件』第3部と第4部をまた放送していた。
もっとも、年明けの1月2日から初の『12時間超ワイドドラマ』として萬屋錦之介主演の『それからの武蔵』を放送しているので、その露払い的な意図があったのかもしれない。