演奏時間を5分も越えたら大ブーイング?
その中でさだまさしが歌ったのは大ヒット曲『関白宣言』だったが、7インチアナログレコード盤で5分50秒の曲をフルで歌うのは、当時の『NHK紅白歌合戦』ではご法度だった。
1990年、『第41回NHK紅白歌合戦』に初出場した長渕剛が、ベルリンからの特別中継とはいえ16分で3曲フルで歌う暴挙をやらかし、大ベテラン・植木等の持ち時間を大幅に短縮することになったことから、視聴者からも大顰蹙を買ったのは、現在でも語り草になっているが、この頃は5分超えでも大顰蹙だった。
この年のひばりも特別枠で『ひばりのマドロスさん』『リンゴ追分』『人生一路』の3曲メドレーだったが、昔の歌謡曲はフルでも3分前後で収まるように作られており、メドレー用に編曲すれば、3曲でも5分強へ収めることができたからだ。
もっとも、さだは1977年の『第28回NHK紅白歌合戦』にも出場を打診されていたが、この年の持ち時間はさらに短く、2分30秒だったため、歌える曲がない、という理由で辞退していた。要は三顧の礼で招いたひばりの持ち時間を超えるのが、ご法度だったのだ。
なお、ひばりの3曲目は『人生一路』だが、この曲はかとう哲也の作曲で、NHKへの意趣返しでもあった。
結局、さだの持ち時間問題に悩んだ番組スタッフは、当のひばりにお伺いを立てることになった。
この経緯はさだ自身も何度か語っており、直近では20年の『行列のできる法律事務所』(日本テレビ)でも話している。「ひばりさんが歌詞を読みながら聴いてくださって。『これは削れないわね』って。それでスタッフも『さだくん、全部歌っていいよ!ちょっとテンポ上げて』って言われて」と。
実際には普段より早口にして間奏を省略するなど、5分1秒に収める強引な編曲を行い、無事に放送された。
もっとも、当時の映像を観ると審査員席の若山富三郎、ミヤコ蝶々、菅原文太、大原麗子というドスの利いた面々が次々と結婚式の親族のように映るのでかなり怖いし、サゲのところでは翌年の結婚引退を示唆していた山口百恵をアップで映すあざとい演出もあったのだが。