大古さんのブログは家族が読んでいる

 


という前提をどのくらいの読者が理解しているのだろう。「書かれた本人が読んでるし、そのことを大古さんも知っているのにな」と思うことがたびたびある。

 

 

例えばこんな文章。

 

もちろん何も言わずに見守ってるけど、

この「んぎぎぎぎーーーーI!!」って奥歯を噛みしめるヤキモキマザーの気持ちもわかってくれる?

「勉強しなさいよ!」って言ったって無駄なのは分かってるから

極力言わないようにしているけど、

それにしたってあ~た・・・

kosodatefulな毎日 ~オギャ子の暴走~より引用

 

 

 

 

何も言わずに見守ってても、ブログに書いてそれを次男さんが読んだら黙ってる意味ないのでは?

と思ってしまったり。

 

 

 

お誕生日には次男さんへの複雑な思いを吐露する大古さん。

 

 


 

ゆいたんだけはなんとも言えない心配と不安と

手探り状態がず~~~っと続いてる子育て人生です。

自分の子どもなんていう感覚は全くしないし(3人ともない)

この子はどういう子だろう・・って手探りしながらずっと進んできた感じ

kosodatefulな毎日 ~オギャ子の暴走~より引用

 

 

次男さん「だけは」と、他の兄弟と比べる書き方をしなくても。と思ってしまったり。

「小さい頃の写真を見ると、可愛いより後悔の気持ちが先立ってしまう」とか、本人が読んだら胸を痛めないだろうか。

「感動した」とコメントをしている読者の方たちも、そこに思いを馳せることはしないのだろうか。

少なくとも私は読んでいて心が痛くなった。

 

 

「大人になった頃にこの記事を読んだら見え方が違ってくるし大切な思い出になる」と書かれているけれど、それは大人になった時に初めて知ることでよいのではないか。

 

私自身の話で言えば、思い返すと頭からマグマが吹き出しそうなほど恥ずかしい思春期・反抗期が終わり、「その節は大変失礼しました」と謝った際、「そうね、大変だったねあの頃は」とたった一言しか言わなかった両親の、偉大さと愛情を感じたことを覚えている。

 

親ももちろん辛かったと思う。でも同じように子どもも、複雑な悩みや戸惑いを抱え、どうしようもないホルモンに翻弄されながら日々を過ごしている。自分の子が思春期を迎えるのはまだ先のことだけれど、ただでさえ大変な時期の子どもに「親の苦悩」を背負わせるようなことはするまいと心に決めている。

 

 

 

 

 

※感想を書くために必要な引用です

※個人の人格を否定・攻撃していません

 

 

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