光る内大臣は、軽い気持ちで相手をした、言い寄られた辺りの女たちにも、今一度会いたいと思った。
承香殿の女御が実家にいるので、尋ねようと思い立った。
いつもは人が住むとは見えない西の対の方に、筝の琴をさりげなく弾いている音が、とてもすばらしく聞こえてくる。
近くに歩み寄り、灯火の光が見える所から見ると、全て見える。
薄色の衣の柔らかなのを着て、琴を弾き止んで、灯火をつくづくと眺めて、とても物思いをしている目元のあたりは、趣があって、慕わしく、可愛らしいこと限りない。
十二、三歳ばかりの童と、また若い女房が前に座っているのも、たおやかな姿なども、見たことがなく、風情がある。
「いつまで、こうしておいでですか? 人々が申したことでも、事実でありましたでしょうか? これほどまで長く籠もっていなければならないことでしょうか」
などと、女房が溜息をついて言う様子から、事の次第は、朱雀院の心にかけていた女を、承香殿の女御が憎んで、離れた方に戒めに住まわせているとのことらしい。
女本人は、物も言わずに、涙が零れるのを紛らわしている気配、有様に、光る内大臣は、あれほど全てを思い諦めていたのに、この女を見捨てて帰ろうという心地もしないのは、我ながら思いがけないことだ。
心安い所だから、妻戸をそっと引き開けてみると、開いた。
入って中の障子を開けると、皆驚き呆れる。
白雪の姫君が奥のほうへ滑り寄るのを、光る内大臣が引き止めると、御前にいた女房が、
「これはどなた様でいらっしゃいますか? このように人がお訪ねすべきところではございません」
と、泣きそうな声で言うので、
「ここが駄目なら、姫君をお連れして出て行こう」
と言う様子、有様のすばらしさは、誰なのかと紛れようもない光る内大臣の様なので、女房たちは嘆きながら引き退いて寝た。
なんの隔てなくうち伏して、様々に語るが、白雪の姫君が愛おしく可愛らしいことは、他所から見た時より千も優って、光る内大臣の愛情は、限りない。
白雪の姫君も、驚き呆れたけれど、あれほど世の女が、行きずりにも、消え惑うばかりに思い焦がれている光る内大臣が、心を留めて、契り語らうのを、仇疎かには思わない。
心を靡かせつつも、我が身の有様を思い続けると、激しく泣く。
女との逢瀬では、宵の間のうたた寝程度で帰ってばかりいた光る内大臣も、鐘の音がしきりに聞こえるまで、白雪の姫君の傍から立ち去ろうという心地にもならないままに、
暁の心づくしもならはぬにいかがはすべき暮れを待つ間も
(暁の別れの辛さも慣れていないのに、いかがしたらいいのか、今日の暮れを待つ間は)
と言うと、白雪の姫君は、
さらでだに憂かりける身に暁の別れの後をいかにしのばん
(そうでなくとも辛い我が身に、暁の別れをどう耐え忍んだらよいでしょうか)
光る内大臣は、車をさし寄せて、ただ今すぐに白雪の姫君を連れて行こうかと思うが、落ち着いて住まわせておくところも急には思い浮かばないので、昨夜の女房に、
「どこかに移すつもりだが、かえって人目につかないようにと思うので、今朝も使いの者は送らないから」
などと言う様子の美しさが眩いほどなので、女房は相応しい返事もできず、ただ承るばかりだ。
いつものように、一品の宮のほうにはすぐには行かず、光る内大臣は、愛おしい白雪の姫君の面影、気配が、身を離れない心地がして、心苦しい。
「一品の宮と別々の場所で一夜を明かせば、ここもまた心配だ。何とかして、こっそりあの姫を隠したい」
と思う。
住吉の三位中将が来て、
「うたた寝の夢ではないこともあったのですか?
めづらしやいかなるかたに旅寝してあやしき今朝の気色なるらむ
(珍しい。いかなる場所に旅寝して、怪しい今朝の様子になったのか)」
と言う。
光る内大臣も可笑しいので、
「我ながら思はぬ他に旅寝してよそにもげにぞあやしかるらん
(我ながら、思いがけない場所で旅寝をしてしまった。傍目にも、本当に怪しいと思うであろう)
風邪気味で眠たいから」
と言って、いつものように住吉の三位中将と一緒に、隙間なく寄り添って休み、昼頃に、一品の宮のほうに渡った。
一品の宮は姫君を連れて来て、遊んでいるところであった。
姫君は六歳になったが、髪も長く、雛のようにとても美しい。
光る内大臣は、
「女はすばらしいこともあるけれど、良くないことも多いので、心苦しいことだな」
と、じっと見守りつつ、一緒に遊んでいるうちに、日も暮れてきたので、
「今宵もまた用事があって出かけます。細かいことは、後でも話しましょう」
と、出かけようとすると、京極の関白の方から、今日、明日は厳しい物忌みであるとの知らせがあったので、
「父上には、すでに出かけてしまったと申せ」
と言って出かけても、
「我ながら、物忌みとかも信じていたが、さしあたって悩みが無い時だったからだ。我が心の果ても、どうなるのか、心配だ」
と思う。
十一月の末なので、夕闇に雪さえ空をかき暮らして降るのを、打ち払いつつ部屋に入れば、白雪の姫君はただ昨夜のままでいた。
「あなたへの疎かならぬ思いで分け入った道の空で、目立たないようにと身をやつした狩衣も、ひどく濡れてしまいました。このような迷いは、身の覚えがないことですよ」
と光る内大臣は言って、
かくばかり積もれる雪を踏み分けておぼろけにやは思ひ入りつる
(これほど降り積もった雪を踏み分けて、月並みな思いでこちらに入ってきません)
と聞かせると、白雪の姫君は、
思ひわび消えなましかば白雪のしらでややまん深き心も
(思い侘びて消えてしまったならば、白雪も知らなかったでしょう。あなたの深いお心も)
光る内大臣は昨夜の女房――侍従の君を召して、明日の夜の手引きなど話しつつ、
「こうは申し上げるものの、こちらの姫君はいかなる素性の人ですか。承香殿の女御の姉妹などであろうかと、思ってみたりしているのですが」
と言うと、侍従の君は、
「そうでございます。母君は大納言の君といってお仕えしていたのですが、この女御の母上のご機嫌を憚り申し上げて、この姫君がお生まれになられたのですが、亡き式部卿の宮様が人知れずお育てになられて、言い残されていたので、女御の母上が亡くなられた後に、こちらのお屋敷にお迎えして、姫宮様とご一緒に住まわれていたのですが、去年の今頃から、煩わしいことが出てきまして、こうして離れた所にお住まいです。姫君を斎院へお移しするようにとの事でございます」
と言う。
光る内大臣が、
「釆女、主殿司まで見過ごさず、隈なき朱雀院のお心に、さぞお気に召されたことであろう。さりながら、三瀬川は、言う甲斐のない我が身と一緒に渡ってくださることになりましたな」
と言うと、白雪の姫君は、横を向いている様子、何事にも可愛らしく愛おしい人柄だ。
程無く夜も明けていく様子である。
この暮れにも会えると思うが、いかなることになるか、心細く名残惜しくて、袖も涙で濡れるので、光る内大臣は自分が下に着ていた白い単衣を、この暮れまでの形見として白雪の姫君に着せ、姫君の単衣の袖のほころんでいるのを纏って、出ていく時に手を取って、
小夜衣昼間のほどのなぐさめに形見に袖をかへつつもみん
(この小夜衣を、昼間離れている間の慰めとして、袖を形見に取り替えて見ましょう)
白雪の姫君は、
頼むれど思ひの他に隔たらばこれや形見の中の衣手
(あなたを頼りに思っていますけれど、思いの他に隔たってしまいましたら、これが形見の中の衣手となるでしょう)
光る内大臣は、何度も何度もこの暮れの逢瀬を約束して、出て行った。
光る内大臣は心を鎮めて、今朝は一品の宮のほうへ急いで渡り、二夜までの思いがけない旅寝の侘びなどを言って聞かせて、一緒に休んだ。
昼頃に、住吉の三位中将が来て、
「昨夜はいかが? 雪を踏み分けて、小野の里へお出かけになられたのですか。春の雪でさえ大変なのに、今の季節の雪は、どんなにしみ凍るでしょうね。惟喬親王は、お喜びでしたか?」
と言うと、
「私が『夢かと思う』と言うと、『現よ』とおっしゃっていたかな」
と光る内大臣は言って、二人で笑いあう仲は、尽きることもないと見る。
光る内大臣が、しかるべき家を準備して、白雪の姫君に知らせることを言い聞かせて遣わした使者が、思ったよりも早く帰ってきて、
「昨夜の所には、人もいませんでした。とにかく案内を請いましたら、下仕えらしいものだけが会いまして、『そこにおられた人は、この昼、他に移ってしまった』と申しましたので、私が『どちらへ行かれたのですか』と尋ねましたら、『どうして存じましょう。何事も朝のように明るい世であるならば。南無阿弥陀仏』と申す様子、訳のわからないことで」
などと報告するので、何も言うことができない。
「私のことが原因なのだろうか。何も準備できなくとも、ただ昨夜のうちに移してしまうべきだった。やはり日柄など考えていたのが悔しい」
と思うと、悔しさが胸に余る心地がする。
住吉の三位中将が部屋に入ってくると、頬杖をついて、灯をつくづくと眺めている光る内大臣の様を変だと思って、真面目に座っていた。
それを光る内大臣は近くに呼んで、例のように隔てなく横になって休みつつ、白雪の姫君とのことを初めから話して聞かせて、おしまいには激しく泣いて、物も言えず、我慢できかねている様子を、住吉の三位中将は、
「どれほどその姫君のことを思っているのだろう」
と呆れ、悲しくて、一緒に泣いていた。
住吉の三位中将は、
「やはり、その念仏を申していたという者にも、尋ねたいです」
と言うが、光る内大臣は、
「承香殿の女御は、簡単に露見するような命令は、よもやなさらないであろう。ますますこのような色恋沙汰のことは、懲り懲りだ。早く太政大臣殿の屋敷へ行きなさい。君までが、そわそわしていたら」
と言うけれど、光る内大臣のこの落ち込みようが心苦しくて、住吉の三位中将は起きて出かけることは辛く思っているので、光る内大臣は愛おしくて、
「よし、いくらでもないこの世は、君とこうして過ごすばかりが、心慰められることだ」
と、我が心を奮い起こしてみるけれど、
「これが形見の」
と言った白雪の姫君の面影、気配を、二度と見ることができないとは、思いもしなかったと、どうにも心を晴らすこともできない。
珍しく二夜続きの夜離れに、今日はまた風邪だと言って光る内大臣が自分の部屋に籠もっているのを、按察使の乳母などは、珍しいことだと思い驚いていた。
次の日の昼過ぎになってから、光る内大臣は一品の宮の部屋に入った。
弘徽殿の皇太后宮から文が参ったので、一品の宮は返事を書いたついでに、手習をして無聊を慰めていた。
光る内大臣がすっと寄って、書いたものを手にとって見ると、
色かはるけしきの森は身一つにあきならねどもあきやきぬらん
(色変わる紅葉の森のように、あなたは心変わりされました。今は秋ではないのに、我が身だけに秋が来たのでしょうか――あなたは私に飽きたのですね)
近頃の自分の様子に、一品の宮は何か感づいたのであろうかと、光る内大臣は愛おしく、可愛くて、歌の傍に、
色深く思ひ染めにし君なればいづれの世にもあきは知らせじ
(私の心に色深く思い染めたあなたですから、どんな時も、この世でも来世でも、飽きを知らせることはないです)
と書いた。
「この頃の私の様子は、まこと珍しいことだと、お思いのことでしょうから、細かく事情をお聞かせしたいのですが、相手の方が、おしまいには行方知れずになったので、不吉なことでして、言葉にするのも忌まわしいのです。年内のうちに、勤行を始めるのですが、いかに世間の人が取り沙汰すかと、嘆かわしいですが、ただそれも、あなたといく久しく暮らしたいと思ってのことでして」
と光る内大臣は言って、物悲しい折の涙は、やがて続いて落ちる。
流れる方向を決めてやると、そのまま流れる水のように、夫に従ってきた一品の宮の心が、いつもと違って、解けがたく見えたのも、光る内大臣は無性に愛おしくて、とにかく宥め慰めているうちに、住吉の三位中将も参上した。
そのうちに夫婦が帳の内に抱き合って臥したので、住吉の三位中将は安心して、そっと足音を忍ばせて帰った。
コメントを書く