「光る君へ」から皇族女子の生き辛さを思う 18th season

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 「光る君へ」では、藤式部(まひろ:後の紫式部:吉高由里子)が『源氏物語』の作中で『日本書記』をディスりつつ「物語」を持ち上げたため、彰子サロンの朗読会では藤原公任(町田啓太)や斉信(金田哲)から「よく帝に見せられたな」とツッコまれていました。しかし、当の一条帝(塩野瑛久)は構わず「藤式部は日本記にも精通しておるしな」と学識を褒めました。天皇の事績を記した公式の歴史書『日本書紀』より物語調の『古事記』の方が「もののあはれ」を表すには適しており、後世の国学者・本居宣長らは『古事記』と『源氏物語』を大いに評価しました。

 また、藤式部の局を訪れた清少納言(ファッサマ)は一条帝の心から皇后・定子(高畑充希)と『枕草子』(清少納言著)の灯を消した『源氏物語』と作者の藤式部を恨んでいる描写があり、それが左大臣・藤原道長(柄本佑)の依頼だと確信した清少納言は道長への恨みも募らせました。

 さて、『源氏物語』の主人公・光る君を敦康親王(帝と定子との子:渡邊櫂)と比定すれば藤壺宮は彰子(帝の后・道長の娘:見上愛)となり、であれば敦成は彰子と敦康の子となりますが、そこまでアグレッシブな展開には流石の大石静さん(脚本家)もしませんでした。しかし『源氏~』愛読者の一人である藤原道長(柄本佑)は敦康と彰子との密通を恐れたために敦康の元服(藤壺での彰子との同居の解消)を急がせ、それは公卿たちから敦康を皇位継承レースから排除する動きと受け取られ(道長は敦康の後見を止めた?)、もし敦康の伯父・伊周(三浦翔平)が敦成を呪詛した件で自滅してなければ道長の立場も危うくしたはずです。

 ところで、道長の父・兼家(段田安則)は生前「政とは自家の繁栄だ」と言うほどの公私混同ぶりで、「父と同じことはしたくない」が口癖の道長は”まひろ”との約束である「民のための政」を志すも、権力を握るために帝と娘を政治利用する方法は踏襲しました。兼家は円融帝と花山帝を退位させて一条帝の外祖父となり、道長は一条帝が病死したら三条帝を退位させて後一条帝(敦成)の外祖父となりました。

 今まで藤氏長者ばりに皇位を政争の具としてきた自民党(動機は男尊女卑保身には直ぐにも下野していただき、尊皇心あふれる議員を多く擁する立憲民主党に返り咲いていただきましょう。それこそが本物の「民のための政」だからです。    

文責:京都のS

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