モットーの概要
概要
モットー(Motto) とは心がけるもの全般です。本来の意味は「標語」ですが、本書では「心がけるもの全般」を示すタスク管理用語として使います。
モットーの例
モットーの例を挙げます。人生全般に関わるものから、仕事において明日から行うことまで様々です。
- 標語
- 座右の銘
- 格言
- 金言
- 人生哲学
- 今年の抱負
- 今月の抱負
- 次から気をつけること
- KPT など振り返りで導いた「次やること」
応用と格言問題
モットーの性質はただ一つで、正しく使うことが難しい――この一点に尽きます。
たとえば仕事で上司から「上位上司や幹部や社長にいきなりメッセージを送るな」と怒られたとします。モットーとして「直属上司の先の、目上の人とは勝手にコンタクトを取らない」を掲げたとします。これを守るにはどうしたらいいでしょうか。言葉で書くと、然るべきときに思い出して、然るべき行動を取り続ける、となります。この場合は外の目上にメッセージを投げるときに、このモットーを思い出して、そのとおり投げる行動をやめる、となるでしょう。そのためにはメッセージを投げるときにちょうどこのモットーを思い出せなくてはなりません。また、思い出しただけでは意味がないので、投げない、との行動もちゃんとしないといけません。
個人タスク管理の章にて忘迷怠を取り上げましたが、人は忘れるし迷うし怠ける生き物です。特に普段とは違ったことや気が進まないことは中々行動に移せません。この例については、「それくらいできて当たり前でしょう」と考える方も多いかもしれませんが、人によっては決してそうではないのです。
特にモットーは当てはまるシチュエーションがいつ来るかがわからず、事前に備えることができません。タスク管理の場合ですと、タスクという言語化された情報を上手く仕込んで目に入れればオッケー(あとは行動すればいいだけ)でしたね。目に入ったときに行動できるとは限りませんが、それは行動しやすくなるように生活やタスクを組み立てていけばいいだけのことです。それがまさに個人タスク管理という営みです――が、モットーに対しては通じないのです。
かといって常に頭の中で「直属上司の先の目上の人とは勝手にコンタクトを取らない直属上司の先の目上の人とは勝手にコンタクトを取らない直属上司の先の目上の人とは勝手にコンタクトを取らない……」と唱え続けるわけにもいきませんし、紙に書いて貼り付けてそれをずっと読み続けるわけにもいきません。タスク管理的に言えば「直属上司の先の目上の人とは勝手にコンタクトを取らない、と10回音読する」タスクを毎日朝に仕込む、なども可能ですが、やはり意味がありません。せいぜい暗唱できるようになるくらいですし、このやり方はそのうち麻痺して形骸化します。
モットーの適用は難しいです。当てはまるシチュエーションが来たときに、適切に思い出して行動できる必要があるからです。これを 応用 と呼ばせてください。勉強や試験でも応用問題と言いますが、まさに同じことで、何が使えるかを適切に思い出せないといけません。基礎ができているからできるとは限りません。基礎ができていても、その基礎を思い出せないと意味がないからです。前の章にてタスク管理はトレメントゆえに難しいとの話をしましたし、正直言って筆者はある種の才能が必要とさえ考えていますが、モットーについても同じことが言えます。応用という才能が必要です。
このようにモットーを使いこなすのは難しいのです。これを 格言問題 と呼びます。格言を使うのは難しいのです。
アスリートとアプライア
タスク管理には 2 種類の才能があると考えます。
一つはトレメントと愚直に向き合える才能です。たとえば毎日朝に 1 時間の散歩をやりますと決めて、実際そのとおりに行います。面倒くさくても、苦しくても、基本的にはやります。誰に言われるとか報酬があるとかは関係なしに、自分の意志で行ないます。自己啓発ではよく「意志や決断ほど役に立たないことはない」との言い回しと出会いますが、それはトレメントと向き合う才能がない人の言い分です。トレメントと向き合うタイプの人を アスリート と呼びます。
もう一つが、上述した格言問題をこなせる才能です。一度モットーを掲げたら、あとは状況に応じて、必要に応じて適切に思い出し、そのとおりの行動をしていくことができます。応用力が高いとも言えるでしょう。格言問題を容易くこなせるタイプの人を アプライア(Applier) と呼びます。
筆者の持論ですが、アスリートとアプライアは両立しないと感じます。
筆者は典型的なアスリートであり、その空気感は本書をここまで読んできた読者の皆さんも感じていると思います。個人的にも毎日一定の生活リズムで過ごすのは苦ではないですし、むしろリズムが乱れることを嫌うまであります。毎日同じ起床時間と就寝時間を守ったり、律儀に1日3食食べたり、風呂に入ったり、掃除したりといったことは難なく行えますし、むしろできない人達がなぜできないのかがわかりません。こんなかんたんなことなのに一体何に苦戦しているのだろう、と宇宙人を見るような気持ちです。逆に格言問題は苦手で、上記の例も実は筆者の実例なのです。筆者が上記の格言問題に対処できるようになるためには異文化理解力という本との出会いを待たねばなりませんでした。同書では日本を含む各国の文化や価値観を言語化しており、なぜ日本では直属上司を越えた先に直接コミュニケーションしにいってはいけないかも書いてあります。なるほど、そういう文化があるからなのか、文化ならまあ仕方ないなと理解して納得できたことで筆者はようやく腑に落ちました。ちなみに同書では「階層主義」という言葉が使われています。階層的な社会であり、直下と直近だけを相手にしなさい、その先まで行くのは越権にあたります、とのモデルになっています。
話を戻しましょう。一方でアプライアの方も数多くいらっしゃいますし、体感的にはこちらの方が多い気さえしています。仕事の場はよく忙しくなりがちで、OJT という言葉もありますが、これはアプライアの価値観に基づいています。アプライアは応用が得意なので、忙しいシチュエーションでも一度学んだことは応用していきやすいのです。逆に、そのような人は忙しさに溺れたり場当たり的にこなすことを好みがちで、アスリート的な過ごし方は苦手です。応用できればどうとでもなるからトレメントに従う必要性がそもそもない、ないから納得感もないわけですし、そもそも応用できる自分の強さに従ってばんばん仕事や予定を突っ込むので基本的に忙しくて、トレーニングを行ったりといった余裕がなくなるのです。
もちろん何事にも例外はあります。特にプロと呼ばれる人達は、アスリートでありながらもその種目や仕事についてはアプライア的にガンガン応用していきます(できないとプロとして通用しない)し、逆にアプライアであっても規則正しいトレーニングや生活リズムを踏んでいたりもします(こちらは場やチームやトレーナーなどの力に頼っていることが多い)。
ですが、プロは例外的なものであり、筆者としては才能と呼んでもいいものであり両立はしない――基本的にはどちらか片方に偏るものだと考えます。
モットーはどう扱うか
アスリートとアプライアとで分かれます。その前に両者に共通する扱い方もあるので先に取り上げます。
モットーを扱う際の原則
アスリートにもアプライアにもどちらに当てはまるものです。
まずはありきたりですが、詰め込みすぎに注意します。モットーが多すぎたり、状況があまりに忙しかったり、あるいは単に疲れていたりするとさすがに応用しづらくなります。モットーを掲げすぎている(or 仕事など軽微なモットーが発生する立場が多数ある)ならある程度は捨てた方が良いですし、忙しいときは慣れた行動や反射的な思考が主戦力になるのでモットーどうこうとのんびりしてはいられません、つまり一時的にモットーの適用を諦めた方がいいかもしれませんし、疲れているならもちろん休むべきです。ありきたりですね。
それから納得感も大事です。結局私たちは納得してないことはできません。納得したふりをして、とりあえずモットーにしてみることはできますが、どうせ定着しません。納得感を増やすためには調動脈――調子と動機と文脈を追求するのが良い、とはすでに述べました。特にアスリートの人は「正直全然納得してないけど、皆が言っているし、とりあえず従ってみるか」と抱えたがりがちですが、アンチパターンです。どうせ(上手く応用できないので)定着しません。納得感を得るには、モットーとして抱えるのではなく、その調動脈に目を向けた方が良いです。特に重要なのが文脈で、なぜそのモットーが必要なのか、そのモットーを掲げている人達はなぜ納得できているのか、といったことを理解できるかが鍵になります。そのためには落ち着いて内省したり、対話したり、あるいは本などで勉強してみたりできればいいのですが、ここでも余裕が要ります。特に自分の価値観や傾向を知る自己理解がポイントで、ここがないと納得感は醸成できません(感情に振り回されるか他者の言いなりになってしまいます)。そういう意味でも、やはり詰め込みすぎには注意したいのです。
というわけで、総じて詰め込みすぎを避けて余裕をもたせましょう、と言えます。
アプライアから見たモットー
アプライアには応用の能力がありますので、格言問題に悩まされることは通常ありません。
強いて言えば、粒度の粗いモットーは行動しづらいので分解しましょう、というくらいです。たとえば「誠実な人になる」とのモットーはざっくりしすぎて、さすがに行動しづらいでしょう。誠実の定義や構成要素を洗い出して、もっと具体的にした方が良さそうです。「約束は必ず守るし、守れない場合はその旨を必ず伝える」はどうでしょうか。例外が欲しいなら「心身上の危険が迫っている場合は問答無用で逃げる」とか「最悪あとで誠心誠意謝ればいい、壊れたらそれすらもできなくなる」とかいったモットーも追加すると死角がなくなります。
とはいえ、アプライアは応用の能力が強いので、どちらかといえば粗めが良いと思います。粗めの方が何かと融通が利きやすいし、アプライアにとっては理解もしやすいのです。上記の例はアスリートの筆者による具体化であり、おそらくアプライアの人にはあまり刺さらないでしょう。よく使われるのは、具体的な人(フィクションでも構いません)を思い浮かべて、この人ならどう捉えるだろうか、と考えることです。誠実な人として A さんが思い浮かぶのなら、A さんをモットーにします。言語化されているわけではありませんが、自分が応用できればそれでいいので問題ありません。
アスリートから見たモットー
アスリートはおそらく応用の能力が乏しいので、工夫が必要です。
一番かんたんなのは環境の力に任せてしまうことです。上司でもチームメンバーでもルームメイトでも何でもいいですが、高頻度に素早くフィードバックをくれる存在と一緒に仕事をすれば、応用できなくてもその場で教えてもらえます。度が過ぎると仲がこじれてしまいます(よくあるのは「何度も同じ失敗をしやがる」ですかね)が、孤軍奮闘よりは応用しやすくなるので意外と何とかなります。こう書くと、最初から環境に頼っているようで他力本願ですが、応用に向いていないので仕方ありません。むしろ、アスリートはいかに早く環境に、特に人に頼れるかが勝負なところがあります。上手くいけば、自分でモットーを運用することなく、指示に従うだけで過ごせるような快適な環境が手に入ります。ここも行き過ぎると「管理」「隷属」「思考停止」になってしまいますが。
次にモットーを一つずつ相手にして仕組み化していく作戦も使えます。モットーを上手く仕組みに変換し、その仕組みを定着できたら、もう忘れません。上記のコンタクトの例を再び使うと、たとえば「仕事中に私が自己判断で連絡してもいい人リスト」なるものを導入します。ここに自分の直属上司とチームメンバー、また許可してもらった人や利害関係者外の人(一緒に入社した同期やイベントで知り合った社員など)などを追加していき、普段は常にこのリストを見て連絡を行うようにします。要は頭で判断するのをやめて、リストの中に入っている人にだけ送っても良いルールにするわけですね。ちなみに、リスト内にない人と連絡したいときは、まずは上司に確認して、それで許可をもらったらリストに追加します。追加したら以降は自己判断で送れるようになります、なぜならリスト内に記載があるからリストを見た自分が送っても良いと判断するだろうからです――と、かなり機械的に仕組み化していますが、こうすることによって仕組みに従うことに帰着できています。このようにして定着できたら、もう忘れませんし、一度定着したら仕組みを多少端折っても上手くいきますので融通も利きやすくなります。ここまでできたら、次のモットーに着手します。このようにして、一つずつ定着させていくのです。
筆者としてはもっと上手いやり方を模索しているところです。モットーをランダムでリマインドするツールはどうかとか、モットーの適用を映像化したり小説家したりして「豊富な情報」として記憶するのはどうかなどを検討していますが、まだまだ未完成です。アプライアのようにバリバリ応用できるようになりたいものです。
モットーをどうつくるか
モットーには他者からもたらされるもの(エモットー, External Motto)と、自分が掲げるもの(イモットー, Internal Motto)があります。
どちらもモットーには違いありませんが、どちらが適しているかは人次第です。
行き来する
エモットーだとわかりづらいから自分なりにアレンジしたり(イモットー化)、逆にイモットーをつくったけどいまいちわかりづらい、どうしよう、あ、このエモットーはわかりやすいし似ているからこっちに寄せよう(エモットー化)といったことも可能です。
すでに述べたとおり、モットーには納得感が大事ですが、その納得感は自分なりに理解できるかにかかっています。そしてその理解は言語化にかかっています。エモットーとイモットーはどちらも使うのが望ましいですし、むしろ行き来するのが望ましいです。
どうつくるか
エモットーについては、古典や偉人の格言に限らず、マンガだろうと周囲の人だろうと何にでも目を向けた方がやりやすいと思います。前者の優れた格言は抽象的すぎますし、自分の生活とも紐づいてなくてピンと来づらく、応用しづらいです。それよりも X でバズっているツイートとか、身近な人に言われたはっとすることなどの方が理解もしやすく、納得もしやすいことはずです。かといって、後者ばかりに依存していると視野が狭くなってしまうので、前者の格言とも見比べてみたり、関係を整理してみる(例: これって結局「誠実であれ」ってことだよなー)などして自分なりに洗練させていきます。
イモットーについては、とにもかくにも言語化です。まずは日記などで自分の感情や思考を書くところから始めます。慣れてくると、こんな感じの考え方なるものがあるから仮に XXX と名付けよう、みたいなこともできるようになってきます。向き不向きがあり一向にできない人もいますが、重要なのは言語化です。頭の中で思っているだけでは何も変わりません――と言いたいところですが、それでも応用できてしまう感覚派もいます。向き不向きですね。
イモットーは個人的なものですから、遠慮は要らず、自分にとっての納得感があればそれでいいです。遠慮して言語化しないのはもったいないので、迷っているならとりあえずやりましょう。あとから洗練していけばいいのです。とはいえ、こちらも溺れすぎると認知が偏ってしまうので、エモットーと比べて微調整していきたいところです。ここで「他人に相談してフィードバックをもらってもいいのか」と思うかもしれませんが、おそらく通じないし、むっとすると思うので控えた方が良いでしょう。イモットーはあくまでも自分の内にとどめておいて、でもそれだけだと偏ってしまうから、エモットーも参考にして微修正する、とのバランスになります。
エモットーは参考程度に
エモットーは実はかなり漂白されています。本当はその人自身の個人的な思いや細かい例外などがたくさんついているはずですが、その辺は綺麗さっぱり取り除かれていて、口当たりのいいフレーズだけが残っています。
そういう意味で、エモットーは、それ単体では実はあまり使い物になりません。モットーを聞いてもよく「ふーん」となって終わると思いますが、まさにそうなります。特にことわざはそうで、「早起きは三文の徳」と聞いても「ふーん」「そりゃそう」としかならないでしょう。
「いや、中にはものすごく共感できるものもあるよ」と思う方もいるかもしれませんが、それはモットーというよりも共感事項ともいうべきもので、モットーとは違う可能性が高いです。昨今は SNS などで注目を集めてお金を稼ぐ時代ですし、自己啓発や人生に関するトピックは依然として需要もあるため、モットーの皮を被った共感事項はよくあります。特に「男は」「女は」「日本は」「海外は」「東京は」「田舎は」「若者は」「老人は」といった主語の大きなものには要注意です。
大事なのはエモットーを踏まえた上で、それを自分なりに解釈することです。「早起きは三文の徳」にしても、早起きとは何かとか、三文とはどういう意味なのかとか、徳とは何か、得じゃないのかなどはすぐにでも調べられますし、自分の経験と照らし合わせると色々見えてきます。答えは唯一ではなく、仮説として定めることもありますが、それはそれでいいのです。あとでまた修正すればいいのです。夜型人間の人が「時間帯は関係がない」「起床直後のリフレッシュした頭を有効活用することが大事なのだ」と解釈してもいいわけですし、ここまで来ると「起床直後は最もやりたいことに時間を使え」のようなイモットーに昇華できます。これが正しいかはわかりませんが、正しくなかったらまた直せばいいだけの話です。
まとめ
- モットーとは心がけるもの全般
- 標語以外にも格言、抱負、次から気をつけることなど色々ある
- モットーは適切に使うのが難しい
- 然るべきときに思い出し、かつ行動に起こすことが必要
- これを応用と呼ぶ
- タスクを認識した後に行動すればいいだけのタスク管理とは異なり、応用は難しい
- この問題を格言問題と呼ぶ
- 然るべきときに思い出し、かつ行動に起こすことが必要
- 実はタスク管理の才能は 2 種類あり、アスリートとアプライアに分かれる
- 格言問題はアスリートが直面する問題
- 格言問題に対処するには
- まずは納得感を増やす
- アプライアなら基本的に困らない
- アスリートの場合、環境の力に頼るか、一つずつ仕組み化して定着させるか
- モットーをつくる際は、継続的な営みにするとよい
- 外からも借りる(エモットー)し、内からも考える(イモットー)
- 一度掲げて終わりではなく、継続的に微修正する