尊厳死の話題が出る度に、なんか嫌だなぁと。
かれこれ10年以上前の話。
父が末期の食道がんで入院したときのこと。
食事は点滴のみ、大きな回復の見込みはほぼなし。体力が落ちて、ベッドから起きることはおろか、ほぼ喋ることも出来ない状態。
今後の治療方針をどうするかで、母と私とで意見が分かれてしまった。
母はこれ以上苦しむのを、もう見ていられないと、延命の為の治療はしないで欲しい、と。
私は少しでも生きていられるなら、その時間は無駄ではない、何かしらの治療ができないだろうか?と。
お互い平行線で、なかなか結論が出なかったんだけど、そこでふと「いや、家族とはいえ、これは本人以外が決めていいことじゃないよな…」と思い、翌日、朦朧としている父に「この先の治療、オヤジはどうしたい?」と聞いたところ、ほとんど聞き取れないくらい小さな声で
「…そんなことわからない…しにたくない」
とだけ。
確かにこの状態で、治療がどうのなんて考えられないのは当然だ…。
そして、「死にたくない」という、当たり前すぎる言葉が返ってくると思っておらず、ああ、こんな気持ちにも気づかず、父の命の方向を決めようとしていたのか、と猛省。
とにかく父は自分に迫る死が怖かったんだと思う。当たり前だ。誰でも怖い。それは分かる。
結果、積極的な治療は行わず、とにかく痛みのコントロールをしてもらうことに。
そして、母と私とで、その日まで、交代で病室に付き添うことに。
それから確か、2か月ほどで他界しました。
なんかねぇ、尊厳死ってどうしたらいいのか、いまだに分からないです。
個人的には緩和ケアの延長線上にあってもいいのかな、とは思うのですが、それほど積極的にはなれません。
ただ、最優先で考えなくてはならないのは「対象となりうる本人」の希望であって、間違っても財源がどうの、とかではないはず。
とにかく、当事者不在の議論を見ていると、それは違わないか?それは誰の為の議論なんだ?と思ってしまう。