すごい人、すごくない人
僕はきっと脳みその一番深いところで、「すごい人でありたい」と思って生きているのだと思う。
「すごい人になりたい」と思うことはとても健全な上昇志向なのだけれど、「すごい人でありたい」と思ってしまうことは、今の自分はすごい人で、すごくない創造物は人に見せるべきではなくて、常にすごい人として振る舞うべきだと考えてしまうことに繋がる。
「すごい人になりたい」というのは、つまり自分がすごくない人だと認めているということでもある。今の自分を認めて、もっとすごくなるためにはどうすべきか、そう考えながら生きているのだろう。
「すごい人でありたい」自分はどうか? 僕はすごい人「であるべきだ」、すごい人「でなければならない」、それが僕の存在的地位。
僕がこう思ってしまう根本の原因は、あえて客観的に見ると、その50%は環境にあったのだと思う。僕はずっと、ずっとというのは小学校から大学まで、周囲から「すごいやつ」だと一目置かれて生きてきた(と自分では認識して(しまって)いる)。「すごいやつ」である自分は、「すごいやつ」でなければならない。そう思ってしまって、そう動いてしまって、そしてそう動き切れてきてしまった(と自分では認識して(しまって)いる)のが、残り50%の原因だ。
僕が時々不安になるのは、例えば今回のことで言うなら、Twitter上でゲーム制作者の方と交流しようと頑張ってみてちょっとうまくいかなかったり(それは単純な意味でコミュニケーションが不得手なのだろう)、周囲のゲーム制作者の方がリリースした作品がとても評判が良かったり、「僕はすごい人じゃなければならないのに、僕はすごい人になれていない」と思ってしまったときなのだと思う。
周囲のすごい人を見て、自分の作っているものを見て、これは他のものと比べて、すごくないんじゃないかな、独りよがりなんじゃないかな……でも、そういった制作の不安に限って言えば、頑張ってどうにかして、「すごくない」状態でも制作に協力してくれる人たちに見せてみて、すごいかすごくないかを教えてもらいたいと思っているので、これから変わっていけると信じている。
僕が不安になるのは、不安定になるのは、「すごい人であるべき」な自分と、「実はすごい人ではない」自分を同時に認識して、思想と客観的認識が矛盾するときだ。
僕は今バーチャルリアリティ(VR)技術を研究する大学の研究室に所属しているのだけれど、僕はそこでも「すごい人」だと思われている。今まで通り。これはある意味僕にとって慣れた環境であり、望ましい環境だ。現に、「すごい人」という地位を頂けることで、あまり得意ではない人との交流もしやすいからだ。あとは僕がすごい人として振る舞うだけで、コミュニティに欠かせないご意見番としてのポジションをもらえる。楽にコミュニティに参入することができる。
なまじゲームを作ってきていて、プログラミング的思考もかじってきていて、VRメディアでライティングをしているものだから、きっと「少しはすごい人」なのだと思う。でも、僕がすごいのはそこまでだ。僕は人間的に素晴らしいわけでもなければ、全知全能なわけでもない。僕は「すごい人」なんじゃなくて、「プログラミングとコンテンツ制作とバーチャルリアリティに詳しくて慣れている人」なだけだ。
ええと、書き始めるまでに少し考えを進めてしまっていたので、どういう流れでこの思考を完結させる予定だったかいまいち思い出せないのだけれど。
結局、「すごい人」と「すごくない人」の違いはなんだろう。
僕は「すごい人でありたい」と思っていて、その実「すごい人ではない」自分を認識している。そのギャップがいつも窮屈なタイミングを生み出す。
でも、そもそも「すごい人」ってナニ? 「すごくない人」ってナンダ?
世の中には二種類の人間がいる。「すごい人」と「すごくない人」……そんなはずはない。あなたが知っている人間を3人思い浮かべた時、そのうち2人が全くの同一人物、ドッペルゲンガーも見間違うそっくりさんであるだろうか? そんなことはない。世の中には千差万別の人間がいる。それは「すごい人」と「すごくない人」の二種類じゃとても説明しきれない。
なのだから、僕は「すごい部分のある人」だし、「すごくない部分のある人」であるだけで、それは矛盾せず、ただの僕にすぎないのだろう。
でもちょっとわだかまりは残る。それはきっと、僕が「すごい部分のある人でありたい」ではなく、あくまで「すごい人でありたい」、「全知全能のすごい人でありたい」と思ってしまっているからか。きっと、凝り固まった価値観はなかなか覆せないし、どうにか変わっていきたいけれど、それはしつこく自己認識していくしかないのだろう。
話は変わるのだけど、いや実は変わっていなくて、真逆の見地からこの話題に切り込む話なのだけれど、僕は度々「自信を持て」と言われる。思い返すだけで3人からは少なくとも言われてる気がするし、もうちょっといたかもしれない。とにかく、僕の耳には「自信を持て」というアドバイスが残っている。
僕は度々「自分は天才だ」という趣旨(そこまで直接的でなくとも、自分は優れている、エリート、頭がいい、云々)の発言をすることがある。そういうとき、それは(それに限っては)事実本心で言っていると僕は思っているのだけれど、しかし実際「自分は底辺の人間だ」と思うことも少なくないような気もする。僕は確かに頭はいいし、そこは事実間違いないと思っているけれど、だから僕は決して自分に自信がないわけではないと認識しているのだけれど、事実今回のように(今回というのは、そもそもなぜこの記事を書いたのかというと、僕が今作っているゲームに自信がなくなってきたからだ)、自信を見失ってしまうことも多々ある。これはある意味周期的に来るテンションの波だと受け入れていたけれど、うーん、どうなんだろう。ちょっとよく分からない。
結局、自信を持っているようで、きっと自分は自信をまだまだ持てていなくて、だからみんなから「自信を持て」と言われてしまうのだとは思う。難しい。
でも、そこに関しても、もっと客観的に自信が持てるように、あるいは間違った自信に縋らないように、制作物を人に見せる(完成物だけではなく、テストプレイという形でも)ということに挑戦していきたい。だから、それについてはまた経過報告かな。
はい。
そんな感じで、今回の記事は終わります。
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