歯向かう者は許さない
司法研修所の研究会資料(『裁判官の在り方を考える』)には、そんな傲岸不遜なOBの振る舞いについての報告がある。
「弁護士になっておられた元最高裁判事の二人が、ある暴力団事件の弁護人となってこられた事件があったときのことです。
(略)法廷で、そのうちの一人の弁護人が大口を開いて居眠りを続け、そのうちいびきが聞こえてくるようになり、それを気にしたもう一人の弁護人が止めさせようとして身体をつつくが、一向に止まらない状態になったとき、裁判長はこれを放置しておかないで、法廷では大口を開いて居眠りをするものではない、と言って叱られたそうです」
法廷指揮権があるとはいえ、地裁の裁判長が、傍聴人のいる法廷の場で、元最高裁判事に注意するのは勇気がいることだ。しかし法廷でのマナー維持のため放置できなかったということだろう。
暴力団員の前で、面目をつぶされた元最高裁判事は、反省するどころか、閉廷後、いきり立って裁判官室に行き、横柄な態度で面会を求めた。
しかし主任書記官が、裁判官室への入室を断ると、二人の元判事は、その足で最高裁に乗り込んでいき、顔見知りの幹部や元部下を前に感情のまま、鬱憤をぶつけて回ったという。
この一件を知る元裁判官が言う。
「叱った裁判長は、悪く触れ回られることはある程度覚悟の上だったでしょう。大先輩をたしなめるわけですから、面倒なことになるというのは誰だってわかる。しかし裁判長としての職務上、必要と考えて注意したわけです。
ところが、司法行政部門にいるエリートと称される裁判官には、そういう緊張感がない。それどころか、最高裁事務総局で、総務とか経理とか人事部門にいるだけで、偉くなったと思い込んでいる人は、元判事に怒鳴り込まれると、それだけで気圧されてしまう。
追従とへつらいから、注意した裁判官は、分をわきまえない、けしからん奴となったということです」
本来、事務総局は、司法行政部門としてロジスティクス機能に徹すべき役目を担っている。
ところがその使命を忘れ、裁判所全体を統治しているとの思い上がった幻想が、人材の登用や組織の運営面で弊害を生み出しているのは明らかだ。
裁判所の組織構造は、時に裁判官の意欲を削ぎ、ヒラメ裁判官を作ってきた。このような現状にあって、国民は、本当に公正な裁判を受けられるというのだろうか。
(文中敬称略・以下次号)
「週刊現代」2017年5月27日号より