ある冷遇された裁判官の告白
異動の承諾とともに、最高裁の方針に逆らわないことも、多くの裁判官が、戒めとして受け入れている不文律だ。
「開かれた司法の推進と司法機能の充実」を目指して結成された「裁判官ネットワーク」に自主的に参加した裁判官たちが、その実力、能力を正当に評価されることなく、処遇で遅れているのは、この不文律を犯したからだと感じている裁判官は少なくない。
元福岡高裁の裁判長で、現在、大阪で弁護士をしている森野俊彦(70歳)は、裁判官人生のうち通算10年間、家裁専任判事としての勤務を余儀なくされた。森野は、「裁判官ネットワーク」に参加し、裁判所の改革を唱えてきたひとりだ。
「任官して、23年が経過しようとしていた時期でした。同期のほとんどは裁判長(部総括)になっていたので、私もそろそろどこかの地裁の部総括になれるだろうと思っていたら、支部長から家庭裁判所への異動を告げられた。思わず家裁ですか、と問い返したものです。
すると支部長は、引っ越しせんでもいいし、同じ大阪やからええやろと。そう言われると断れませんわね。言外に、断ったら、どうなるかを匂わせているわけですから。
裁判所というところは、発令予定された任地を断ると、次に言ってくる任地はそれより条件の悪いところになる。転勤人事に協力しない者に、いい処遇したら示しがつかんですから」
家裁では、社会的に注目を集める事件を担当することはなく、国の政策に影響を与える判決を書くこともない。地裁で、瞠目に値する判決が出るたび、ああいう事件を担当してみたいとの思いは募った。
「しかし、ここで腐ったら、裁判官としての向上はない。前向きに、楽天的に仕事をしていこうと、誰もが手を焼く遺産分割の事件に取り組むことにした。遺産分割というのは、兄弟姉妹その他の親族の好悪や愛憎が絡み合う難しい事件です。これを迅速に解決していく方法を、私なりに作りだし、事件処理がかなり向上した。
そういうこともあって、57歳でようやく家裁の裁判長へ異動となり、最後は高裁裁判長にしてもらいました」
高裁の裁判長は、地裁の所長経験者から登用されるのが通例である。その意味で、森野の高裁裁判長は、異例の人事であった。
「裁判所も、冷遇しすぎたと、少しは反省したのではないでしょうか」
笑いながら語っていた森野は、一息つくと、表情を曇らせこう続けた。
「意に沿わない人事を受け入れてきた自分に、不当な配置転換を命ぜられた従業員などから、その無効を求める訴えが持ち込まれた時、果たして裁く資格があるのか。そんな自問をしたことがある」