そめこ(@ushimimilk)の自殺企図の話 そのに。

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2014-08-07 22:48:22
Posted by @ushimimilk

こちら(


そのにです。

さて、前回(http://privatter.net/p/366803)はウォーミングアップというか、ただの中二病の話なので、こっから本番いきます。うっかりですます調で書いちゃったんだぜ。文体統一してなくてすみません。

そんなアホな中二時代を過ごした私は、今25歳です。

非定型の中では割とイカした人生を送ってる方だと思います。
幸運にも環境に恵まれたもので、立ち直った後、私は猛烈に自分の長所を育て、1浪くらいしましたが立派な高学歴者になりました。
日本は非定型とかに理解があるとは言い辛いですが、割と良い国です。
なんつっても、社会性にある程度の不安があっても、お勉強さえできるなら、立ち回り方次第で半分くらいは帳消しです。
やったね。


しかし、一度足を踏み外すと、やっぱり深淵が待ってるもんです。
24歳、実家で事故があり、そこに実習先とのトラブルと、卒論とかいう学業の上で最大の山場、更に就職活動が示し合わせたようにいっせーのせで突撃してきやがりまして、鬱になりました。

病名は適応障害でしたが、結局鬱だよね。

中2病の頃にも素因が見え隠れしていた通りなのですが、私はかなり精神バランスを欠きやすく、また精神バランスを欠くと非定型の悪い部分が剥き出しになるので更に泥沼にハマります。

スタートは不眠症でした。
実家の庭めがけてご近所さんの自殺死体が降ってきたら誰だって不眠くらいにはなると思うんですが、不眠の理由はそんな感じでした。
自殺死体だけならいいんですが、死体と一緒に、加害者死亡によって誰も保証してくれない負債がン千万単位で降ってきたもんですから、家庭も殺伐とするってもんです。

結局、引っ越しせざるを得なくて、大慌てでダンボールに荷物を詰めて狭い仮住まいへ移動したのですが、ダンボールの山を荷解きする暇もなく、ベッドと布団と勉強道具しかない部屋で、実習だの学業だの就活だの、土日もなく、平日は朝6時に家を出て、22時に帰宅し、週末は始発の新幹線に飛び乗って遠征するみたいな生活をしていました。
衣食住が乱れるとダメだっていいますが、本当にダメでした。
不眠症は改善せず、1日の睡眠時間は3時間程度だった気がします。

ボロボロでしたが、留年とか休学に逃げることはできませんでした。だって実家は多額の負債で今にもぶっ倒れそうなくらい傾いてるので。かといって中退なんかしてしまったら、自分みたいな勉強しか能のない、24歳就労経験なしの人間に未来はない、とわかっていました。

最後の一番キツい一ヶ月は、ラムネか何かのような勢いで精神安定剤を消費して、意識朦朧状態にしてどうにか自分を誤摩化しながら、精神力だけで立っていた気がします。
途中、胃潰瘍で胃に穴があきましたが、薬の使い過ぎで、お通じから血液がどっと出るまでそのことに気付きもしなかったんですから、とんでもねー話です。

「お腹が重たくて三日くらいなんにも食べられなかったの胃潰瘍だったんだ〜」

とかへらへらしてました。そんなでも、実習先が病院だったので、お昼休みに職員用の保健室みたいなところで受診しまして、結局一日もお休みしなかったんだから、よくやったと思います。

さて、鬱の話はおいといて、希死念慮の話。

最初は、「死にたい」とか「死なねばならぬ」ではなく「殺される」と思っていました。
確かツイッターでも毎晩のように呟いていたと思います。

このままでは殺される、このままでは死んでしまう。
明日電車に乗る時に、ふらっと線路に飛び込んでしまうかもしれない。
死にたくなんかないのに、それを止められる気がしない。

それを希死念慮に変えたものがあります。周囲の「優しさ」でした。


私の実家がのっぴきならない状態で、私自信も大変なことになってて。
と、いうことを、みんなが知っていました。

実習先の先生。
辛かったらいつでも言って、と言ってくれました。本当に無理で、何日も休んでない、寝てない、限界が来て泣き崩れた私に、「減点しないから、休んでていいよ」と言ってくれたものです。

実習先にいた学友達は、みんな後輩だったんですけども、ひとりだけ学年の違う私にそれなりに親切にしてくれました。

教授や指導教員の先生。
実習終わって夜に研究室に駆け込む私を待っていてくれました。ポスターの印刷機とかの予約取っといてくれて、研究室の鍵もくれて、学会の合流も当日だけでいいからと言ってスケジュールを細かく調整してくれて。
夜の十時くらいだったと思うんですが、お昼から何も食べられてない、と崩れ落ちた時に、あとはやるから帰って良いと言ってくれました。私のポスターなのに。
就職の心配も、しきりにしてくれました。

親も優しかった。
家のことでたいへんなのに、引っ越しは続くし、弁護士さんとか立てていっぱい法律のこととかあるのに、胃潰瘍でごはんがまともに食べれないわたしに何とかして栄養を取らせてくれました。

正直、最悪の状態でした。
誰もが最大限に譲歩してくれているが故に「もう無理」と誰にも言えないのです。

それだけ譲歩してもらっても、体はひとつです。できないもんはできないし、胃潰瘍は息ができないくらい痛いし、ご飯は食べられないし、でも朝から何も食べてなければお腹はすくし、低血糖の上に精神安定剤がないと起き上がることもできない人間が、一日に三時間しか寝ずに、まともな論文欠いたりまともに課題こなしたりできる訳がないんです。

でもそれを、誰に言えばいいのかわかりませんでした。
逆に「こんなの無理だ」と思うことに罪悪感を感じるくらいだった気がします。私はもう限界だ、死ぬほど頑張っている、なのにこれ以上頑張らせる気か、ふざけるな、嫌だ、やめて欲しい。こんなことならいっそ、見捨てて欲しい。

殺される、と思っていました。
周囲の人間に殺されるのだと思っていました。

そして、周囲に応えたいという気持ちと、なんでこんなに無体を強いるのだという憎らしさが渾然一体となって、ふっと私はその結論に辿り着いきました。

悪いのは周囲じゃなくて、自分じゃないのか。

こんなにも何も出来ない私のために、譲歩させている、自分が極悪人なのではないか。
「死ななきゃいけないのかもしれない」と思ったのはこの時でした。


子供の頃のことを、覚えていないと書きましたが、当時もなんとなく、このときと同じような気持ちの萌芽を、抱えていたのではないかと思います。
あの時も、「なんにもわからないけど、怒られるから、わたしが悪いんじゃないのかな」と、思っていた。「わたし、なんにも悪くないはずなのに!」と叫びたくなる度、「お前がわるいくせに何でみとめないんだよ!」と自分を責める気持ちとの間で板挟みになっていた。
私が自分を傷つけて「伝えたい」と思ってたことというのは、そういうものだったんじゃないだろうか。


拝見した記事には、希死念慮は、周囲への思いやりからくるなんて素敵に書いてありましたが、私は愛情と同じくらいか、上回るくらいの憎しみがありました。

周囲が大切で愛しいから、それを憎む自分が許せず、こうなったら自爆ボタンだ! という感じかもしれない。


さて、もういっこくらい続きます。


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