2019.07.10
# エンタメ

ジャニー喜多川みずからが語った「芸能史を変えた」数奇な人生

5時間インタビュー全文公開【後編】
現代ビジネス編集部

終戦後に渡米した芸能人との出会い

米軍を経てアメリカ大使館勤務、そしてショウビジネスの世界へ。ジャニーズデビュー前後の彼の経歴からは、ジャニー喜多川とショウビジネスのつながりを見つけることは難しい。その接点を探るには、さらに彼の過去を遡らなくてはならない。

第2次世界大戦前のことである。彼の父親は真言密教の布教のため、アメリカに渡った。父親はリトルトーキョーでかなりの信望を集め、念願の教会を建てた。メリーもジャニーもロサンゼルスで生まれ育ったが、日米開戦の少し前に日本に帰国し、終戦を迎える。その後、日本の戦後の混乱を避け、アメリカで教育を受けるために再び渡米している。このころ、ジャニー喜多川は日本の芸能界の知遇を得ることになる。

 

「終戦後、日本から田中絹代さんを始めとして、山本富士子さん、笠置シヅ子さん、服部良一さんなど、日本の芸能界の方がアメリカにたくさんやってきたんです。とにかく『アメリカに行く』ことがステータスの時代ですからね。でも、終戦間もないころだったから、そうしたアーチストたちは皆さんうちの教会でショーをやったんです」

そう話しながら、ジャニーが見せてくれた古いアルバムは、往年のスターの写真とサインでうめ尽くされていた。ディック・ミネ、古賀政男、霧島昇、山口淑子、高峰三枝子、大河内伝次郎、菊池章子、二葉あき子など、錚々たる名前が並んでいる。「ヒー坊へ」(本名の擴(ひろむ)から)というサインが、ジャニーと芸能人たちの親密さを伝えている。日付は1950年と記されていた。

女優・山口淑子〔PHOTO〕Gettyimages

しかし、この出会いの話は、それだけでは終わらない。

「当時、松尾という悪徳の興行師がいて、日本のアーチストに交通費しか払わないで、ノーギャラでアメリカに呼んでいたんです。でも、芸能人といえども簡単にアメリカに来れる時代じゃなかったから、皆その彼を頼っていたわけですよ。だから、お土産を買おうにもドルがない。

それで、たまたま親戚に宮武東洋という写真家がいましたので、彼らのブロマイド写真を無料で撮ってもらうように頼んだんです。そして、場内でそれを売って、その売り上げを全部、日本から来たアーチストにあげたんです。僕はまだ子供だったけど、(美空)ひばりちゃんを始めとして、アメリカに来たアーチストには全部関わっているんですよ」

ブロマイド売り以外にも、ジャニーは訪米する日本人アーチストの通訳やコーディネーターなどもやっていたという。この時の貴重な知遇は、その後、彼の芸能界での重要な人脈として繋がっていく。

「そうしたことが、マネージャーの始まりです」

ブロマイド売りなどに見られる、ジャニーの機知に溢れた精神は、彼の経歴のあちらこちらに垣間見ることができる。前述の朝鮮戦争でのエピソードなどもそうだ。

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