よ~し。
この古代山陽道から枝分かれ
する地図には載っていないピ
ストン林道に行ってみるべえ。
なんでも今は途中で閉鎖され
ているらしいけど。
7年ほど前は通れたらしい。
ここらあたりはソブの山。
砂鉄製鉄以前の超古代製鉄の
原料である赤土の山だ。
超古代製鉄原料の宝庫だ。
三原市の赤土の山に生える
通称「カネクサ」。
地元の古老の話では、ここら
あたりの山中には、いたる所
に土を掘った大きな穴が野ざ
らしの遺跡のように残ってい
るという。
鉄穴流し以前の遥かの昔、露
天掘りによるリモナイト採取
の遺構だろう。
地元では俗称で「かなやま」
とも呼ばれているそうだ。
そして、それらの穴を「かん
あな」と呼ぶらしい。砂鉄
採取の鉄穴流しとは異なる
遥か大昔の古代前期から伝わ
る言葉の伝承だろう。
だが、超古代赤土製鉄は学術
的なメスはまだほとんど入っ
ていない。
というのも、日本固有の製鉄
はヤマトが掌握した砂鉄製鉄
から、としたい勢力が学術界
を未だ牛耳っているためだ。
つまらん話だ。
実際には縄文時代末期から
日本固有の製鉄は存在した
だろうに。
炭素量が高い銑鉄や鋼が採れ
るから新技術の砂鉄製鉄に
国内権力掌握派が後に飛びつ
いただけの事だ。
古代赤土製鉄は旧古から国内
を統一しつつあったヤマト連
合政権が掌握していて、自分
らよりも優れた製鉄技術を持
つ出雲と吉備(兵庫県西部か
ら広島県東部まで)、あるい
は東北地方の地元産鉄勢力の
別種の優れた技術を欲しかっ
ただけだろう。
そして、ヤマトは連合政権か
らヤマト王権になるにつれ、
「白」を掌握し、自らの建前
とした。白=砂鉄製鉄での鉄
だ。そして、旧来、自分らが
掌握していた「赤」=超古代
製鉄をイテキの物とみなした。
それらは神社の「白い神社」
と「赤い神社」という区分け
に経脈がのちに継続された。
赤い神社は中央への反対勢力
であるかのように設え直され
て。
「赤鬼」と「青鬼」はいるの
に、なぜ「白鬼」がいないの
か。白は赤と青を征服して排
除した自分たち本人だからだ。
王権は鐵(てつ)の歴史であ
る。
三方に載せる鏡餅の下には何
故カネクサを敷くのか。
また、なぜ蜜柑を載せるのか。
すべて古代製鉄に密接な関係
がある。
そもそも鏡餅そのものが製鉄
の象徴だ。
稲作文化などとは関係ない。
そして、豆まきは、植物の豆
をまくのではない。
鬼(とされた旧古勢力)に投
げつけるのは、玉砂利のよう
な小粒の玉鐵だった事だろう。
小たたら砂鉄製鉄によって生
じた玉砂利のような粒鉄。
その時「鬼は外。ふくは内」
と大王隷属下の「おおみたか
ら」たちは口にする。
「ふく」とは眞鐵(まがね)
吹く小たたらの事だっただろ
う。
中世以降に登場した大型送風
機を持つ「たたら吹き」では
なく、小型炉の古代「たたら
製鐵」の普及した時代、ヤマト
が既存技術保持勢力を征服傀
儡化させた時期に「豆まき」
の行事は始まった事だろう。
桃太郎伝説の歴史史実が発生
した頃に。
たたら。たたらとは踏鞴とも
書き、送風機のフイゴの事も
表す。だが狭義においては、
製鉄炉の事をたたらという。
それがいつの間にか天秤鞴
のように踏む鞴(ふいご)と書
いて「タタラ」と読ませるよ
うになった。
「たたら」の事を送風機その
もののみを指すとしたら、
登り窯や超古代自然送風の製
鐵炉の存在の説明がつかない。
製鐵自体は、七輪からでも鐵
を作れる。赤土から製鐵を。
吸炭としての卸鉄の技術が無
いと実用鐵に変化させるのは
難しいが。ぐにゃぐにゃの軟
鐵では使い物にならない。
鐵や鋼を得るには砂鉄のほう
がかなり効率が良い。
それはヤマト政権はその技術
が喉から手が出る程にほしか
った事だろう。
小たたら。
なお、日本のアカデミックな
場面においても、「たたら製
鉄」と「たたら吹き」の違い
について混同したまま言を成
すケースが異様に多い。
つまり、製鉄史の明確的確な
識別ができていないのだ。
また、言語学の分野からの
コンタクトとして、「鐵」と
「鉄」の文字の違い、「鉄」
の字が生まれた時期が国内
で製鉄法が激変した時代で
ある事を指摘する言語学者は
いない。何が失われて「鉄」
となったのかを説明する歴史
学者も考古学者も冶金学の人
もいない。日本刀界にやや
いるだけだ。
言語学者が無関心なのは、
文字だけ研究して「鐵/鉄」
という文字であるのに鐵を
知ろうとしないからだ。
「鐵」が「金(かね=金属)
の王なり」である原意を説
明しても、何がある時期から
消滅して「鉄」という文字に
なったのかは明瞭に説明はさ
れない。(なお、中世末期か
ら近世江戸時代初期の剣術の
新陰流伝書にはすでに「鉄」
という文字が使用されている)
えてして学術界はそれだ。
自分の専門分野以外には興味
が無く、別分野との学術的な
横の連帯などには無頓着な、
ただ象牙の塔の中で勉強だけ
をやっていた連中が学者とい
うものになっている。社会的
協同性についての学習訓練を
重ねないまま。
極めて残念ではあるが、現実
的な縄張り意識の発動を学術
界で多くみる時、実に学者先
生方は、見識が浅く、了見が
狭いと言わざるを得ない。
道は地図にも載らない道も
あるのだ。
それは踏破者だけしか知り得
ない。