恋と革命に生きた寂聴さん 弁護士の大谷恭子さん「女性たちを応援」

有料記事寂聴 愛された日々

岡田匠
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大谷恭子さんに聞く①

 2021年11月9日に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんは社会運動にも積極的だった。連合赤軍事件の裁判の証人に立ち、若い女性たちを支援する若草プロジェクトに取り組んだ。40年にわたって交流してきた東京の弁護士、大谷恭子さん(73)に思い出を聞いた。

 ――寂聴さんと出会う前、作品の印象はいかがでしたか。

 私は1969年に大学入学ですから、学生運動真っ最中の世代です。女性が社会活動するというのは、どういうことか。活動に大義はあっても、若い私たちは恋愛したり、小さないさかいもあったりして、分派に分かれて内ゲバにもなった時代でした。それをリアルタイムで見てきました。

 あの時代、闘争する仲間といっても、男性と女性はフェアではありませんでした。「闘う男、支える女」という役割分担がありました。個人的な生活でも男女の役割分担が当然視されていました。それに対して、ウーマンリブが出てきた時代です。

 そんなとき、寂聴さんの小説に出会いました。明治から戦前に活躍した女性革命家を描いた評伝作です。

 岡本かの子の「かの子撩乱(りょうらん)」、伊藤野枝の「美は乱調にあり」、管野須賀子の「遠い声」、金子文子の「余白の春」……。

 どれもすばらしくて、私の愛読書になりました。

書きたかったのは「時代を象徴する女性」

 ――60年代から70年代初めの作品ですね。

 それまで、明治から大正の時代に革命に生きた女性を取り上げる小説は、ほとんどありませんでした。男性を支えるのではなく、男性と対等、もっと言えば男性をリードする、そういう女性たちを描く寂聴さんには随分と救われましたし、活動するうえで励みになりました。

 ――寂聴さんが、革命に生きた女性たちを書いた理由は何だと思いますか。

 世の中を変革することに寂聴さん自身がものすごく情熱を持っていたからでしょうね。変革する過程で苦しみ、葛藤する女性たちを応援したいと思っていたはずです。

 時代を象徴する女性を書きたかったのだと思います。書き続けることで、社会との関わりのなかでの自分の立ち位置をどう作っていくか、そこに軸足を置いていたと感じます。

 ――「青春は恋と革命」と何度もおっしゃっていました。

「命を懸けた闘いのなかで、男性も女性もエロスが生まれる」と寂聴さんは確信していたそうです。記事の後半で大谷さんが詳細を語ります。

 寂聴さん自身も、寂聴さんが…

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