先日私が「賽の河原で石詰んでる気分」と言っておきながらあれは元々仏教ではなく伝わってくる過程でシンクレティズムを重ねてた結果であり、元は十王思想とかからなんだよなーと注釈をつけようと思ったもののあやふやなのでこの機会に、と色々と調べてたら興味深かった。

まず賽の河原は日本に入ってきてから、平安時代中期ごろには文献として言葉になってるとか。
元ネタは三途の川なのだが、中国では奈河と呼ばれてたらしいことが西遊記などでも確認できるそうな。

んで色々調べると奪衣婆などのオプションも中国の伝統ではみられず、日本のアレだと。
これは日本の仏教学者とかの意見なんだけども。

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ところで興味深いことに韓国では三途の川という言葉を共有しており、奪衣婆もわりかし認知度が高そうな感じ。
ドラマのキャラにもなったとか。
韓国語の検索スキルが高くないので詳しく調べきれてないのだけれど。

日本の民俗学者とか仏教学者とかはデフォルトで朝鮮半島から文化が伝わってきたことを頑なに無視する傾向にあるのでこういう事を言わないのだけれど、朝鮮半島経由で仏教が日本に伝わった際に三途の川とか奪衣婆とか付け加えられた、と仮説を立てるとすんなりくるかもなー、と。

んで死者と生者をわけるバウンダリーとして川というのはポピュラーだったらしく、いろんなところでそういうのがあると。
インドだとVaitaraniという川がポピュラーで、英訳されるときにはギリシア神話のstyxという川に翻訳されてしまうこともあるとか。
ちなみに英雄アキレスは死産続きだった母親がおまじないでこのスティクス川に新生児のアキレスの踵を掴んでジャブジャブしたところとても強靭な青年に育ったが踵だけがジャブジャブされなかったのでそれが元で死んだ、みたいな。
ジークフリート的なシミラリティーがあったんだあーへえー、と。

ちなみにインド・ヨーロッパ語族というのは言語だけでなく神話もスカイファーザーみたいなのを共有するところがあるそうで、こういう生者と死者をわける川っつーのもそういう類なのかなーとか。

しかし臨死体験をした人によれば水の中にいたとかいう体験がわりかしポピュラーらしく、脳のある部分を刺激するとそういうのが体験できるそうで、というのを思い出してみるにそちらに相似点を求めなくてもいいのかなーとか。

ちなみのちなみに奈河といえば私の住む神奈川なのだが、これは中国からのいわれではなく上無し川という当て字でそうなったのでは、という説がドミナントらしく。
じゃあわざわざ奈の字はどっから持ってきたのよ、と思いますが、どうもホントに深い意味はなさそうでした。

んで、今まで神奈川って川は帷子川のことかなー、となんとはなしに思ってたんですが。
どうやら調べると関東大震災以降は完全な暗渠になってるそうで。
15号を東神奈川の交差点から上り方面に行くとオートバックスがありますが、そのそのちょうど中間くらいを流れてたようで。

なんでそんなとこの小さな川がわざわざ県名にまで、と思ったら、ペリーから開港を迫られた際に開港を決めたのがそのあたりなんだそうで。
でも東海道で人通りが多いし、ということで「あの横浜村も神奈川だから」と理由をつけて開港の場所を移してしまったと。
当時は寒村だったのでアメリカ側からは当初は不満が出たが、関内あたりを埋め立ててみると大型船も横付けできたりしたので利便性が良かったと。

んで一時期は横浜県にする案もあったらしいけども、なんやかんやで神奈川県になったそうな。

相模川から向こう、伊豆半島までが足柄県だったのが数年で足柄県は神奈川県と静岡県に統合される形で消滅したりとか、紐解いてみると色々な変遷を辿っているというのがわかり面白かった。

あっそんで最後ですが、神奈川から横浜村にしたのは生麦事件があったからなのかなーと思ってそこも調べたところ、どうやら時系列的に生麦事件は横浜村に開港場所が移動してしばらく経っての出来事のようで、意思決定には関係なさそうでした。

しかしまあ、そういう川が、関東大震災時に関所を張って道行く朝鮮人や中国人を殺しまくった青木橋に程近いそういう川が、関東大震災以降に暗渠になってるっつーのも。
掘ったら人骨出てきそうだよなあ、とか。

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