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キャストQ&A: 堅二役ジェームズ・ヒロユキ・リャオ編 抄訳

2021年5月15日(日本時間16日)、ダイスケ・ツジ、アール・キムの合同配信において、『Ghost of Tsushima』堅二役ジェームズ・ヒロユキ・リャオへのインタビューが行われた。ジェームズはジュリアード音楽院で演劇を学んだのち、『プリズン・ブレイク』『アンフォゲッタブル』『24』『フランケンウィニー』『Barry』等、映像分野中心に活動してきた俳優。2020年夏、ツジ氏の初めての『Tsushima』配信中ちらっとチャット欄へ挨拶に現れて(「俺も配信やってみようかなー!」的なコメントをしていったと記憶)以来初の登場となるわけだが、「相当開けっぴろげな人間」を自認する彼は今回、自身のバックグラウンドや俳優としての考え方について、手加減なしのガチンコで語り倒してくれた。以下、印象に残った部分を抜粋する。実際のアーカイブはこちら


◆アジア系に留まらぬバックグラウンド

はじめに少々技術トラブルがあったことを司会ふたりが詫びつつ、インタビュー開始。

ダイスケ・ツジ、以下D: ジェームズ、DandE Sagaへようこそ! ハーイ、みんな、ジェームズだよ。

ジェームズ・ヒロユキ・リャオ、以下J: ハーイ。よう。ようみんな、調子はどう?

D: ラストネームはどう発音するんです? 間違えたくないので一応。

J: ラストネームの発音は「リィアォ」。まあうちの家族内での言い方だけど。

D: 「リィアォ」ですね、OK。ミドルネームもあって、「ヒロユキ」は僕もちゃんと発音できる(笑)

J: だよな(笑)。父親が台湾人、母親が日本人なもんだから。俺はブルックリン出身なんだけど、母親が──子供たちみんなファーストネームがアメリカ名、ラストネームは父親のだから中国名になるだろ。母親が自分の要素も欲しいって言い出して、全員日本名のミドルネームがあるんだ。

アール・キム、以下E: すてきな話だなあ。

D: ほんとに。アイデンティティ的には、どういった感じで育ってきたんですかね? 僕の場合は日本とアメリカの葛藤があったけど。あなたの場合は3つ、スリーポイントというか。それとも、とくに困ることなく?

J: えーと。地元(ブルックリンのベンソンハースト)は今でこそ皮肉にも、ブルックリンの新チャイナタウンになってるんだけど。俺が生まれ育ったのと同じブロック、同じ地域で今育ってる子供たちにとっては、まったく異なった体験になる場所でさ。俺が赤ん坊の頃からティーンだった頃ぐらいまでずっと、イタリア系が一番多い街の中でもイタリア系が一番多いエリアだった。うちの近所に定住したのはみんな南伊やシチリア系移民で、住民もその孫やひ孫。子供時代はおもにイタリア系に囲まれて育ったんだよ。

E: すごい。

J: だからまったく違う経験。家の中だと、父親は俺の祖父でもおかしくない年で、戦中世代なもんだから日本語が流暢だった。学校の授業を全部日本語で受けてたから、ネイティブ言語である中国標準語より上手かったくらい。

D: ワオ。

J: だから、英語以外に家庭内で話す言葉も当然日本語。今でも思うんだけど、あの界隈に初めて住んだ日本人は俺の母親だったんじゃないかな。アジア系の住民もまったく多くはなかった。そのへん変わり目の時期ではあって、中国で天安門事件が起きてから、一夜にして──俺にはそんな勢いに見えたんだよ、緩いペースじゃなく。爆発的な勢いで、うちみたいな中国からの移民がどっと近所に入ってきた時期だったんだ。でもそれまでは、アジア系の人口はごくごくわずかなもんだったよ。日系はおろかチャイニーズもコリアンも、東南アジア系も、あとは中央アジア系とかも(笑)、住んでなくて。

E: シチリア系イタリアンばかりだったわけかぁ。

J: そう。ただ目と鼻の先にはめちゃくちゃ強力なユダヤ系地区もあったから、子供時代のしつけの大部分は、イタリア系とユダヤ系のベーカリーへおつかいに行くことだった(笑)

E: そういう生活なら僕も身に覚えがあるなぁ(笑) (訳註: アール・キムもシカゴのユダヤ系住民が多いエリアで育ち、友人達のバルミツヴァーに出席しまくったため今でもヘブライ語の聖句が暗唱できるという)

J: あそこで育って良かったのはその点で、人生の大半はイタリア料理を作ってきたんだよな(笑)。やっぱほら、自分が住んでる場所に影響されずにいるのって不可能だし。ただ、半端なくタフな界隈でもあったよ。本当にね。あとちょうど俺の育った時期には多分、実際にマフィアの正式メンバーなんかもいたのかな? とにかく近所の子供がみんないっぱしのマフィアみたいなフリをしたがって、まあ概してあんまりいいことじゃなかったよ(笑)


◆堅二のイメージとは?

D: 事前にはみんなでサケを呑もうっていうアイデアがあって、僕もひとつ用意してきたんだけど(と、ワンカップ大関を取り出して)、実はあなたはお酒を呑まない人だったんですよね?

J: (笑)そう。呑まないねぇ、一切。

D: それは健康に気を遣って?

E: カフェインはどうなんです? コーヒーならいける?

J: オーケー。いや、どうだろ。俺は相当開けっぴろげな人間ではあるんだけど、あまり個人的過ぎる話にならない範囲で言うと──そうだなぁ、まあ皮肉ではあるよな? 酔っぱらいの日本人酒売りを演じておいてさ(笑)

D: ただ堅二は自分で酒も製造してるわけだし──

J: 自前の製品をほぼ自分で呑んでるし(笑)

D: ──もしかするとそういうフリをしてるだけかも、案外ね。とにかく、ちょっと乾杯。失礼(ワンカップを一口)

J: まあ育った家の中で、俺の人生のごく早い段階に色々と問題があったもんだから。子供の頃に下した人生最良の決断は、特定のものには手を出さないと自分に約束したことだった。自分が見聞きしたこと、経験したことから「こういうものは俺の人生にはなかったことにしよう。絶対にやらない」とな。そのひとつが飲酒で、あとは煙草。だから酒も煙草もやらない。

E: (無言でサムズアップ)

J: 他にも手を出さないものは色々あるけど、細かい話になり過ぎるから言わない。理由としては、そういうものを使うことで起こる結果、人からされることが嫌だったから。だから近寄らないようにしてきた。ほら、初めから知らないものは、またやりたいとも思わないだろ。ただ自分がそうだからって、他人をジャッジしたりもしない。単に俺の育った環境、経験した範囲での話だし。

E: (イタリア語で「乾杯」) チンチン。

D: (笑)ところでちょっとだけ補足すると、元々はもっといい酒を買うつもりだったんだけど、いや、堅二だしなあって思い直して、店にあった中では一番お求めやすいお値段のワンカップ大関にしたんだ。

E: 堅二の酒なら価値があるんじゃ?

D: いや、堅二の酒より美味いよ、全然美味い(笑)。

J: (笑)

E: うへえ(笑)

D: (笑)ゲーム内で聞いた話からするとそういう感じみたいだし。とにかく、みんな乾杯。で、それはかなり自制心が強いというか──ちょっと驚きではあります。自制心という言葉で合ってますよね? すべては芝居の賜物なんでしょうけど、堅二みたいな役をやるのは、素のあなたの性には合ってたんでしょうか。

J: うーん、そうだな……え、こっからなんか演技オタクが集まってするっぽい話になるわけ?(笑)

D: ですよ! だって今日の目的それでしょ(笑)

E: だから今ここに集まってるわけで!(笑) そういう話をしたくてやってますから。

J: だよな、わかった(笑)。大概の場合、大概の人は相手の特徴を見て人を判断するだろ。俺が一番カチンと来ることのひとつは、たとえば「この人はNYの人間」と言ったら、突然ステレオタイプに当てはめられて人間性を決めつけられたりすること。でも世間の人がそういう見方をして、自分でもコミックリリーフや物笑いの種みたいな奴だとわかってても、やっぱり人間ではあるわけで。 俺がいつも演技のとっかかりにしたり、興味をひかれたり、心が躍ったりする部分はその人の本当の人間性であって、パッと見でわかるような特徴じゃないんだよ。一見ストリートのクラウンみたいに見える人間でも、どんな生い立ちで、過去にどんな経験をしてきたかはわからない。どういう処世術をもっててどんな社会的価値感があるかも、何ひとつわからないだろ。わかってるのはただ、見た目や話し方からしてああだろう、こうだろう程度。堅二も間違いなくああいう人間ではあるんだけど、まあ色々とんでもないもんを目の当たりにしてきてるわけで。何の権利も与えられていない世界で、悪戦苦闘しながら必死になって生き延びようとしてる人間だ、っていう見方を推しときたい。それに、自前の商品を自分を癒すために駆使してて、あのユーモアも現実逃避とか、自衛手段とか、とにかく危険から身を守るため、自分を無害な人間に見せるために使ってるんじゃないのかね。俺自身も何度か、これまでの人生のかなりおっかない局面で同じことをやってきたからさ。つまり、素の自分のままの印象を与えたらまずいことになりそうだから、ここはオタクっぽさ全開で思いっきり笑いに走って、ステレオタイプに守ってもらおう、みたいなことを。だって威嚇的な様子さえ見せなきゃ、誰もこっちの首を刺してやろうなんて思わないもんな。なのに(ちょっと圧のある空気を出し) 「悪い、あんた今なんつった? 」みたいな返し方したら──

E: (納得したように笑って)そっかぁ。

J: な? 本来の自分に近い反応かもしれないけど、必ずしもうまい手じゃないんだよ。まあ俺も年食ったから(笑)もうそんな真似しないけど。

E: 年とともに賢くなるとこもあったりとか。

J: うん、だからその意味で、堅二はサバイバーなんだよ。真面目な話、(対馬の)人々が陥ったあのひどい状況下で、世渡りと修羅場を切り抜ける術に長けていたか、自分なりにその方法を見つけてきたかじゃないかね。

E: まったくだなぁ。

D: いやー。あの、すごい深い答えが(笑)

E: すごい。そういう話が聞けてラッキーだなあ。

J: あ、あともうひとつは、ってダイスごめんな、答えに来るまでの話が長くなって。堅二を演じるのが大変だったかの答えはノー。またなんで俺が酒に手を出さなくなったかって話に戻っちゃうんだけど(笑)、コーヒーに関しても、やっぱりまったく同じ理由で飲まないんだ。この世で一番尊敬してないある人物がいて、彼がやってることは、自分の人生ではことごとくやらないようにしてきたからなんだよ(笑)

D: (神妙なおももちで)ワオ。

E: 驚いたなあ。

J: それと全部繋がってくる話で、堅二役はさほど大変でもなかったかな。うん。肉体的な酩酊状態がどういうものか、自分の身をもってわかってるわけじゃないけど、そうなってる人間にならたくさん囲まれてきた。産まれた瞬間からかなり深い核心レベルで影響を受けてきたもんだから、馴染みのない要素ってわけじゃまったくないんだよな。詳し過ぎない範囲で言うと、俺の人生について回ってきた問題でかなり翻弄もされてきた。だからそういう役が未知だとか、馴染みがないとか、しっくりこないみたいな感覚もなかったよ。依存症で身の回りの人たちを亡くしてきたし。身近にあって色々見てきたから、難しいってことはなかった。堅二はやっててすごく楽しかったよ。

D: 一緒に収録ブースに入るのもすごく楽しかったですよ。時々は突っ走ってちょっとアドリブを入れてくれたりとか。Sucker Punchは後々カットを余儀なくされたものを、随分たくさん収録したんですよね(笑)

J: したした(笑)

E: (笑)みんなの目に触れてないもの、たぁくさんあるんだよ〜。



◆『Tsushima』発売当初の感想

堅二のサイドクエスト「酒売りの約束」のイベントシーン(堅二が「米食って喉詰まらせろ!体に火ィつけて蒙古の火薬に飛び込め!」と罵倒されるアレ)を流した後、ゲームの発売当初の話に。

D: これまでパンデミックに突入したりして過酷ではあったけど、ゲームが出たばかりの頃ってどうでした?

J: ひとつ認めておくと、俺はゲームにはうとい方。でも評判については当然耳にしてた。もちろんゲームが手元に届いた時は、俺たちみんなそうだろ? うわー、すげえやって感じ。でも、どうかしてたのはうちの甥っ子たちでさ。まったく、業界人より早耳なんじゃってくらいに色んなことをよく知ってて(笑)

E: 裏で繋がってたんじゃ? (笑) 甥っ子さんたち、いまチャットにいたりしますかね?

J: いや、ないない(笑)。それで、甥っ子からだしぬけに『Ghost』のこと聞かれたんだよな。俺としては、えっちょっと、何で知ってんの? って思ったんだけど、すごい突っ込んできてさ。一番おかしいのは、甥っ子とはしばらく話してもいなかったのにってことと──ほら、撮影もものすごい長期間、ものすごい断続的にやってたもんだから、もうほぼ生活の一部みたいになってたろ、ダイス? 俺がキャスティングされたのも確か2015年くらいだったような。

E: ものすごい前の話ですよね。2016か17年くらい?

J: ダイスなんかは最低でも隔週くらいのペースだったかも知れないけど、他のキャラクターの場合、時には半年くらい何もなかったりしたしさ。そのせいでゲームのことは普段、頭の片隅にもなかったから話題に出さないし、甥っ子たちにも何も言ってなかったのに、「ジェームズおじさん!! あれっておじさん!?」って言ってきて(笑)。いつもの俺とは全然違う声でやってたのにだよ? 今時の子は(指をパチンと鳴らして)待てよ、ジェームズ・リャオ……みたいにあたりをつけちゃうんだよな。もう、すんげー大喜びしてたもん。「うそみたい、あれうちのジェームズおじさんだったんだー」って。最高だったよ。本当に。



◆堅二を演じられるのはジェームズだけ?

撮影と撮影の合間、何ヶ月間ものインターバルが空くこともある中、典雄役のアールは不安になって進捗をエージェントに問い合わせたこともあったという。制作側の都合でキャストが途中交代されたり、出演シーンが丸々カットになることも珍しくない業界で働く3人は、俳優あるある話にしばし花を咲かせる。

J: とくにボイスオーバーの世界ではよくあることなんだよな? 俺は本当にちょこっとしかかじってなくて、文字通りこれが2作目にあたるくらいなんだよ。これまでの全キャリアで、ビデオゲームが2本とアニメが1本くらい。

E: 最初の作品は何だったんです?

J: いや、キャスト交代されちゃったんで言っていいのかわかんないんだよなぁ。しかもすごいのは、交代されたのに作品が発売になってからそうと知ったっていう。

E: うわあー。

D: ああ、なるほど。

J: で、もういっこのアニメ番組の方もタイトルは明かせないんだけどさ。おかしなもんで結局キャスティングはされたんだかされてないんだか、どっちでも同じか。3、4回収録したと思ったら交代になって。今までやってきた仕事でキャスト交代になったのはボイスオーバーだけで、しかも3作品しかやってないってのに、うち2作で食らってやんの(笑)

D: (笑)

E: (笑)僕らは堅二が大好きで、堅二役のあなたの演技も大好きだし、とくにこうして知り合いになった今、この役はあなた以外、他の誰にもこなせないんじゃって思うくらいなのになぁ。

J: (感じ入ったように) いやー、優しいこと言ってくれるなー。って言ってもアール、もちろん間違ってるんだけどな、それ。

D&E: (笑)

J: いやいやいや、補足すると一般論としてな。 一般論としての演技の力を信じてるって話。これまでの歴史上の全キャノン、映画、テレビ、舞台の全作品のうち例外はひとつかふたつの役くらい。俳優は当たり役で人の記憶に残ったりするもんだけど、巷には才能ある人がわんさかいるからさ。名優がたくさんだから、この人にしかやれない役っていうのは、実はそんなにはないんじゃないかね。でもそう言ってくれて、本気の本気で感謝してるよ。楽しい役だったし。

ちなみに演じていて一番楽しかったのは、クエスト「酒売りの世渡り術」で肉屋の権と待ち合わせし、合言葉「お元気で何より(原語版では"I'm so happy to see you!")」を絶叫しまくるシーンとのことである。



◆堅二とジェームズの共通点

またインタビュー後半でジェームズが語っていたところによると、堅二と彼の共通点は「ユーモアを自衛手段として使う」ところだという。

J: これまでの人生で何度も、物事を丸く収める手段としてユーモアを利用してきた。みんなやったことあるだろうけども。

E: ですよね。

J: そこがやっぱり、堅二との繋がりを感じるとこ。彼の切り札だから。頭の回転が早い奴だし──あとそうだな、良くも悪くも、俺には都会で身を守るための知恵が身についてる。俺にひとつ、何がしかの知恵があるとしたら(笑)それ。多くの場合、本能のままの行動は状況を悪化させかねないんで、そういう本能と戦わなきゃいけないんだよな。堅二にもそういう、狐のような抜け目なさがある。ただ彼に関しては俺がちょっと見習ってるとこもあるんだ。俺の場合、知恵の方向性がとんでもなくシリアスで、自分の人生に制限をかけるようなとこがあるんだけど、堅二の場合の知恵の方向性は、何てのかな、必ずしも手堅くはないというか(笑)

E: 冒険的というか(笑)

J: だよな、冒険的(笑)。冒険する気満々なんだよな。そこが、俺にとっては堅二の大好きなところ。


◆実はもっとガチお笑いキャラだった堅二

J: もうひとつ面白いのはさ。前のセッション(『Tsushima』キャストハングアウト)でもう触れた話かもわかんないけど、制作当初の堅二は、今出来上がってる形とは極端なくらいかけ離れてたんだ。

D: (頷きながら画面外のアールを指さす)

E: そうそう、僕もけっこう話題にしたことありますね。典雄の初期設定も、完成後の人物像とはえらい変わり様だったので。

D: 大違いだったよねぇ(笑)

E: 今こうなれて良かったぁって思ってますけど(笑)

J: オーディションでキャスティングされた時点での役は、完成形からするとほぼ180度違う。はじめに堅二の最終バージョンはこんな感じでいこうってなった時は、出だしこそ軽く迷いそうになったもんな。なんかもう、やばい、俺何もやってなくないかってすごい違和感があってさ。初期の堅二はとにかく全開、全力で弾けちゃって下さいって言われてた。コッテコテの日本訛りの、行き過ぎなくらいスラップスティック・コメディ(※訳註: チャップリンやバスター・キートン、『MASK』の時のジム・キャリーのような、体の動き主体のお笑いのこと)風なキャラで、オーディションも即興やりまくってた。ほぼ台本なし、セリフの99%が即興って言ってもいいくらい。イベントシーンのアイデア的なものが書かれてた程度じゃなかったかな。日本語はそう達者じゃないにしても発音はまだかなり良い方だから覚えてるんだけど、堅二のロバのミコ(※訳註: 日本語版での名前は「みよ」、そしてコンセプトアート等ではロバとして描かれているが、完成したゲーム内では馬の姿である)がもっと、もっと大きくストーリーに絡んでて──

D&E: ロバー!(笑)

J: ミコちゃんとのお笑いサイドクエストだって色々あったし。堅二がミコちゃーん、とか何とか話しかけてさ、ほんっと、めちゃくちゃ心温まる話もあったんだよ。結局はやめちゃったんだけどな、ごく初期にはモーションキャプチャー撮影もやってた。ひとつ覚えてるのは、いの一番にやったモーキャプがロバとふたりっきりのシーンだったこと。

D: (笑)

J: それが傑作だったんだよ。もし相手がロバだと知らなかったとしたら──

E: やってる方はものすごく気まずいシーンじゃ(笑)

J: いやいやいや、堅二がミコを大事にして、可愛がってる様子は親子みたいな雰囲気だったんだって。笑える要素と同時にもの悲しさもあった。ギャグも盛りだくさんで、当時の堅二はあざといまでのスラップスティック風お笑いキャラだったから(擬音と手振りで)バシバシバシッ、ピーン! みたいな勢いだったんだ。でもそういう要素がごっそりなくなって、アクセントは軽めに、日本語の言葉もなしってことになって。

「堅二、実はあれでもかなり抑え目だった」とは『Tsushima』ファンにとってはなかなかに驚きの事実。が、今になってみればその意味がわかる、とジェームズは振り返る。

J: この仕事をしてると、時には── ボイスオーバーでは特に、作品の全体像をつかむ恩恵にあずかれないこともあるよな? だから、やっと全体の雰囲気が見えてきてからは「ああー、こういうことだったのかあ。こんなシリアスな歴史ドラマなら、その合間だろうと何だろうと『となりのサインフェルド』を挟むわけにもいかないよな」と。結果、素晴らしい仕上がりになったと思うけど、まー時間はかかったよな。だって俺、少なくとも3バージョンくらいの堅二を演じた確信はあるもん。



◆日本とアメリカのユーモアの差?

堅二のキャラ設定変更について「アメリカのユーモアと日本のユーモアがうまく噛み合わなくて、日本のコンサルタントが『うーん…』と唸ってしまったケースなどもあるのでは?」という視聴者コメントに気付いたジェームズは、「自分が聞かせてもらった範囲の話しかできないけど」と、さらに詳しい補足を加える。

J: 最初の段階でとりかかってたシーンのいくつかは、日本語のフレーズを多用したり、強い日本風アクセントを遠慮なしに使ったりしてた。それを見た日本の人達は、実はけっこう日本らしさを感じて、気に入ってくれてたらしいんだよ。でもシアトル(※訳註:Sucker Punchの所在地である)では、ゲームの試写やテストプレイを見たアメリカ人の多くが「いや、これは侮辱的だろう。そうなる危険性をはらんでる」というような判断をしたみたいだ。面白いよな。って言ったって、誰もが一枚岩じゃないし、ひとつの意見や一部の人間が全体を代表するわけじゃないが。だからもちろん日本で「いやいやいや」って反応されたって別段ショックじゃないよ。アメリカの作品で言語も英語、少なくとも英語話者向けのゲームであれば、チェーホフの劇を英語圏の観客向けに上演する時ロシア訛りを使ったりしないのと似たようなことで──

E: それ! まさにそれです! ありがとう!(笑)

J: 世の中いろんな意見があるもんだけど、このゲームに携わってた人から俺が実際聞いたところでは、日本の人たちの最初の反応はそうネガティブでもなかったらしい。だから、念のための措置だったんじゃないかな。あとは世界観の統一をはかるっていうか、コメディタッチであれ、ドラマチックな要素であれ、剣道のマーシャルアート面であれ、みんなに「本場らしさ」を感じてもらえるような、しっかりしたひとつの世界におさめるってこと。アクションゲームの体裁を崩さず、全員が同じ世界に根ざしてて、かつ本場っぽさを目指すなら「いや、これが最善の方法だ」って判断したんだろうし、それは正しかったんじゃないかな。ただ、少なくとも俺が聞いた範囲では、日本側の反応は実はかなりポジティブだったみたいだよ。

E: なるほど。

D: というか、正直言わせてもらうと、僕はその反対の立場で戦った側だったような。

E: そうなの?

D: うん。その点での話し合いを切り出した最初の面子のひとりが、たぶん僕だったんじゃないかと。

J: 訛りをカットすることについて?

D: 訛りと、特定の日本語のフレーズを使ったりすることについてですね。僕からすると、ゲームの世界観的に──どのみち日本語訳がつくことは、みんなわかってたわけじゃないですか。だったらね。

J: うん、その通りだな。

E: というかそのへん、僕のオタクがかった方の仲間うちでもよくある興味深い現象に通じるものがある。人が『Ghost』の話しだすと、実は翻訳は日本語版の方なんだよ? って始終思い出させる必要を感じてしまうっていう……(笑)

J: (笑)

D: それねえー(笑)

E: えー。あー。うー。うー? みたいなね(笑)

D: わかるけど、この話題はヒートアップしちゃうからあんま深くツッコミたくないかな(笑)

E: わかるわかる。ただね、片目パチパチする感じで(笑)僕らも日本語版大好きだし、最高なんだけど、わかって欲しい的な……(笑)



◆本場らしさ(authenticity)のあやふやな定義

徹底したリサーチと日本語、日本史、日本文化監修者の尽力によって「サムライ映画」らしさの演出に成功した『Tsushima』だが、それゆえにアメリカのゲームデベロッパーによる作品だということが時に忘れられがちでもある。このインタビューが配信される少し前にも、米国のG.A.N.G. Awards 最優秀ボイス・パフォーマンス賞を(オリジナルキャストのダイスケ・ツジではなく)日本語キャストの中井和哉が受賞するという逆転現象が起こったばかり。だが、アジア系アメリカ人にとってこういった事例は必ずしも特殊なものではないようだ。アール・キムいわく、

E: そもそも「本場っぽさ」ってヤツくらいあやふやなもんもないじゃないですか──アジア系アメリカ人が置かれている状況下だとそれは、僕らの上でふんぞり返っているものでもあり、同時に差し押さえられているものでもあるような気がするんです。やはりアジア系は境界線上の立ち位置にいますから。

自分にとっての「本場っぽさ」は、実際にアジア出身である身内のそばにいる時や、普段の食事などから得る感覚なのだが、一方である文脈の中ではマジョリティ(とくに権力のある白人男性)の意向で認知されたり否認されたりするもののように感じられる、という。「こんな話題をぶつけちゃってすみません」というジェスチャーをしながらやや決まり悪げに笑うアールに対し、

J: いや、すごくいい話題だって。多くの人間が抱えながら生きてる問題の根幹にまで遡る話だし。本場っぽさの問題な。たとえば俺なんかも、お前はにせものだ、アジア人じゃないと責められたことならある。おい、ちょっと待てよって話だよな。11歳の時、男にビール瓶を投げつけられて、それが足に当たって割れてさ、「中華野郎」呼ばわりされて「国へ帰りやがれ」と言われたんだけど。その瞬間の俺は、他の誰かに比べアジア人らしさがなかったとでも言うのかね。アジア系のコミュニティでは育ってこなかったばかりに、子供時代から暮らしてた場所のアクセントがあるからってさ。以前、映画の撮影でルイジアナ州のシュリーブポートへ行ったことがあるんだけどな。その滞在2日目、2日目でだぞ、ヒルトン・ホテルから徒歩で出たところでピックアップトラックが近くに止まって、男が──とんでもない話でさ、中には男が3人乗ってて、ショットガンの銃床が突き出てた。ドライバーの男が「お前、中国から来たのか?」と声をかけてきて、その一瞬、ほんの一瞬で俺はどうするか決めなきゃならなかった。

E: 自分の命を守るために。

J: 命を守るためにはどうすればいいか。向こうがちょっかいかけて来てるのか、からかってるだけかもわからないし、イジメをしようとしてるのかもわからない。でも酔ってハイになってるように見受けられたし、ショットガンも持ってたわけだろ。俺が選んだのは、一番の安全策だった。もし「いや、アメリカ人だよ」と言ったら向こうはキレ出すかもしれない。「いや、ニューヨーク出身のアメリカ人だよ」ってのも真実だけど、それにもキレ出すかも。だからその瞬間、俺がとっさに選んだのは、右も左もわからない観光客のフリをすることだった。こんな風に、(両手をあげて愛想笑いをし)「あははは」って、言葉がわかってないみたいにさ。連中は笑い出して、走り去って行った。

(絶句して聞いている司会ふたり)

J: その瞬間の俺は、アジアで生まれ育ってないせいで日本語が流暢じゃないからって、他の誰かよりアジア人らしくなかったとでも言うのかね?  全部がバカバカしいよな。誰かが黒人っぽさが足りないとか、何っぽくないとか言われたりとかさ。俺たちみんな人間だろ。葛藤が何であれ、偏見が何であれ、俺たちが誰なのか、何なのかに対する先入観が何であれ、どっちみちこういうことは起こる。本当の、より大きな問題は、どうして人はそんな考えに至ってしまうのかだ。だってどんなグループも一人一人違うんだから、バカバカしいったらないだろ。それに芝居の話にしても──配信乗っ取ったみたいに喋りまくってゴメンな、でも芝居の話にしたって100%、ドンピシャでそうだよアール。たとえばさ。俺も以前人から聞いてなるほどなと思ったんだけど、白人の俳優がスコットランド訛りやアイルランド訛りで演技をすると、何て巧みな芸の持ち主なんだってことで、オスカーにノミネートされたりするだろ? 俺自身、あるいは君らふたりや、他のみんなのようなアジア系アメリカ人俳優の場合は移民の親がいたりして、自分たちの身内がステレオタイプな人間じゃないことや、戯画化された人間じゃないことをわかってるから、彼らが訛りのきつい英語を話していたとしても、それをおかしなものとは感じないわけだよ。彼らのことを笑いのネタだなんて思わないし、そのレベルに達するのさえ、どんなに大変だったか知ってるから。途方もないニュアンスがあるし、全部の言葉が同じように聞こえるわけじゃないし、全部を叫ぶか金切り声で話してるわけでもない。本当に英語らしく英語を話すのは、とにかく至難の業なんだよ。自分の父親と母親がどんだけ苦労してたか。それでも英語の喋り方は一般とかけ離れてた。で、俺たちが訛りを使って演技した場合はというと──アジア系なら当然、大したことじゃない、別に芸もスキルも関係ないじゃないか、みたいな受け止め方をされるわけだよな。

E: なるほど、子供時代はそういう感じで育ってきたわけてすね。

J: うん、みたいな感じ。でもまあ、あんまり白人VSみたいな構図にはしたかないんだけどさ、権力ある立場という恩恵をこうむってる側の人は、そういう問題を認識してなかったり、理解してなかったりするんだよ。俺たちにとってはしょっちゅう目にしてることで、もう何度あったかな。有色人種の俳優に聞けば全員から同意の頷きが返ってくるだろうけど、日本語や中国語や韓国語、ベトナム語、タイ語、何でもいいけど、そういう言語を一言も話せないキャスティング・ディレクターから訛りの強弱をつけられるか聞かれたり、「アジア訛りでやってみてもらえる?」って言われたりするやつ──そんな喋り方しないっつのに(笑)

E: なんかもう、『ティファニーで朝食を』(※訳註: 言わずと知れたオードリー・ヘップバーンの代表作のひとつ。主人公が住むアパートの住人として、白人俳優がイエローフェイスメイクで演じる日本人キャラクター「ユニオシ」が登場するのだが、現在では「フー・マンチュー」に並び、偏見によって誇張されたアジア人描写の典型例とみなされている)みたいなことやれってことですか? あなたの言うアジア訛りで思い浮かぶのアレなんですけど、って話ですよ(笑)

D: いやあ、もう、ねぇ。

E: まったくねぇ。ありがとうございます、こういう話を他の人から聞くといつもすっきりするんですよ。そっか、みんな経験してるんだ、やっぱり僕がおかしいわけじゃなかったんだって(笑)

J: そんなことは全然ないよな。

D: 僕はこれまで違った風に考えていて、今あなたが言い表したような文脈で考えたことはなかったんですけど、確かにその通り。英語話者がアクセントを駆使すれば(拍手の身振りで)「わー、たくさんこなせるんだー」だけど、アジアのアクセントだと侮辱的とみなされる。いつもネガティブなとらえ方をされてますもんねぇ。



◆ジュリアード音楽院の演劇ディビジョンって?

D: ここで、これまでのあなたの道のりについて切り込みたいと思います。だって、ジュリアードに行ったんですよね?

J: (何やら気乗りしなさそうな半笑いで) なんだよなぁ……(笑)

E: (笑)

D: はい、あ、えっ?(笑)

E: 「はいはい、何でもいいわぁ」みたいな(笑)

D: アリーナステージで『M バタフライ』をやったんでしょ? で、そこって──(アールに向かって) 僕らが仕事する予定だった劇場だよね?

E: 配信と繋がる文字通り直前まで、まさにジェームズにその話をしてたんだよ(笑)。あっじゃあまた後で話そって思ってたんですが、去年にね、出るはずだったんです。

D: アリーナステージでの『羅生門』にね。

J: あー、そうなのか。また再開してくれないもんかね。

D: あの作品、あなたも出演したらきっと最高ですよ! でもどんな感じだったんです? たった今見せたジュリアードへの反応からすると……(笑)

E: さっきの反応、心に留めておこうじゃーないですか(笑)

J: いや、ふたりに乗せられてついつい衝撃発言連発しちゃってるからなぁ。頑張ってなるべく簡潔にまとめてみるわ。

という前置きで始まったのが、以下のような話である。

J: 俳優って仕事は、本来ならしっくりくるようなものじゃなかった。とくに俺の地元では。近所で一番の有名人も(野球選手の)サンディー・コーファックスで、彼はベンソンハーストで高校野球のピッチャーやってたんだよ。だから、普通にしてたらアート関連のものに惹かれたりもしなかったし、そんな機会が巡ってきたのももっと大人になってからのことでさ。初めてクラシック音楽のコンサートを見たのもジュリアードでだった。自発的に行ったんだけど、エイヴリー・フィッシャー・ホールで──今は名前が変わってるか、とにかく18とか20くらいの若い子らがチャイコフスキーかなんかを演奏してたわけだよ。そういうものにあまり触れてこなかったブルックリンっ子としては、ぶっ飛んだの何の。ヤバかった。もう信じられなかったよ、なんだこりゃって。学校側がもっとああいう経験を積む場を作ってくれればよかったのにな、さほど難しいことでもないんだから(訳註:ジェームズによると、ジュリアードは音楽、演劇、ダンスの各ディビジョンが分断されており、相互交流の場がなかったのが難点だったそうである)。学校には毎年、入学希望者や興味を持った人向けに送ってる資料用の冊子があってさ、俺も目を通したの覚えてる。演劇セクションは毎回シェイクスピアの引用かなんかを使って、そこから膨らませた文章で「演劇は社会の現し身たらんとするもので、舞台の本領とはよりよい生き方を示そうとすることにある」みたいなことが書いてあったんだけど、それ見ていつも思ってたのは、なんつー驕りたかぶった物言いだよってことで(笑)

D: (笑)

J: だって人間誰しも、自分なりの「よりよい生き方」ってのは何かしらあるもんだろ。じゃあひとつ、どう生きるべきかを人よりよく知ってると思い込んでるのがどういう連中か検討してみると、ああなるほど、郊外の住宅地である一定の育ち方をされたアッパーミドルクラスの皆さんなんですねってなるわけだ。

E: (笑)でも、確かに。

J: そういう連中に、ブルックリンの貧困層やアメリカ農村部の貧困層で育つのがどういうことか、あるいは異人種間で育つことなんかもだが、何がわかるんだって話でな。だから、ジュリアードに対する俺の念願は昔から同じなんだ。ちゃんとした基礎教養を取り入れようってこと。だって、いわゆる社会の様々な側面を理解もせず、社会を代表することなんか出来るのか? この国の基本的な歴史も知らなかったとしたら、俺みたいにしょぼい公立校に通って、後々まで独学の機会がなかったとしたら、どこまで実効性のある語り手、アーティスト、コミュニケーターになれるっていうんだ? だってな、俺、20歳まで日系人の強制収容(※訳註: 第二次大戦中、米国や南米、カナダやニュージーランドなどのイギリス連邦でも行われた、日系人・日本人の強制収容措置のこと。連合国側にとっての敵国となった国々出身者のうち、日系人と日本人だけが対象となり、全財産と市民権を剥奪された。米国で国による露骨な人種差別政策の謝罪と賠償が完了したのは、1992年になってからのことだった)が存在したことすら知らなかったぐらいなんだぞ。だから、呼吸法や演技、動きの授業だけやるのは損してる。知識ある市民を育成したらどうなんだってことなんだよ、分かってもらえるかな。

D: ですね。

E: ええ。

J: でもジュリアードにはそういうのが全然ない。学生は哲学書の類のレポートを書いたりしてる。そんなバカげた単位の取り方もないよな。学術的な話じゃなく、俺が率直に言ってるだけだけど。

D: (笑)いや、僕もUCLAに行きましたけど、今の話に出てきたような感覚は自分の身にも覚えがありますもん。本当に。特権的なんですよね。

J: うんうん。長い話を長々語っちゃったかもだけども。

D: (笑)

J: ただ、そんな俺が俳優になったのには面白いいきさつがあってさ。手短かに話すと、高校のあとは俺、陸軍に入隊したんだよ。でも一生腰を落ち着けるつもりだったのに、故障で病気除隊になっちゃってな。ブルックリン育ちなもんだから完全に方向性を見失って、どうしていいかわからなくなった。予定より大分早く実家に戻ってからは目も当てられない有様だったよ。自分を憐れんで周りの全部に腹を立て、何もしてなかった。で、姉が「何か仕事でもしたら? 」って言ったんだけど、俺は「まだ気持ちがおさまらないから仕事する気になれない、俺は陸軍で仕事するはずだったのに」って、負け犬もいいとこだったな(笑)

D&E: (笑)

J: 姉には「何かはするべきだから、セラピー受けたらどう」とも言われて、「そんなインチキ臭いもんやらん」って返したら、今度は「じゃあ何かクリエイティブなことをやりなさいよ」って『Backstage』を1冊くれたんだ。NYの人間は知ってる雑誌なんだけどさ。

E: ええ、『Backstage』を渡されたんですね。(※訳註: NYの舞台俳優向け業界誌)

J: ちょうど夏の時期だったんで、色んな俳優が主催する夏季クラスの案内がたくさん載ってた。で、じゃあよし、と。実際に「どーれーにーしーよーうーかな」ってやって選んだのが、ある女性。ちなみにこの人、今に至るまで俺が習った中では最高の演技の先生なんだけど──

D: おっ。誰なんです?

E: ですよ、何て人ですか?

(手元でメモするものを探す司会ふたり)

J: 名前はマージョリー・バレンティーン。

D: まだ現役なんですか? メモしておこ。

J: うん、今はLAで教えてるよ。

E: おお、すごい。

彼女から役の解釈に必要なリサーチがどういうものかを教わったことをきっかけに、ジェームズは初めて知的好奇心というものを植え付けられたのだという。ハンター・カレッジのクラスにも通ってそこでも恩師に恵まれ、勉学に励む傍ら仕事も開始。「なんであんなに怒ってたんだか今となってはよくわからない」ほどの怒れる若者だったというジェームズの人生が別の方向へ動き出した時、前述の実姉がまたもや、決定的な転機を作ってくれたのだそうだ。

J: 姉から「ジェームズ、マージョリーのクラスに出た後の演技見たけどすごい良かったよ。いっそジュリアードみたいな学校のオーディションも受けてみたら?」って言われて、「冗談じゃねーや、俳優なんてバカらしい」みたいな反応してたら、彼女が俺の名前で申込書を出しちゃったんだよな。

D: ええー!

J: 姉は「あんたの人生のうちほんの1日のことじゃない。受かんなかったら月曜には仕事に戻ればいいだけでしょ」って。俺もそれもそうかと思い直した。俺の誕生日が2月の始め頃で、NYのオーディションが1月末、あっという間の出来事だったんだけど、誕生日の数日後にはジュリアードの演劇ディビジョンから電話が来て、俺を次期クラスに迎えたいって知らされたんだ。それで完全に人生が変わった。人生の軌道のすべてが変わったんだ。というのも、地元の労働者階級に属する人間は──歴史的に持ってる感覚なんだが、仕事が自分のほぼ全てになるんだよ。アイデンティティとか全部、自分たちの生計を立ててくための能力がさ。だから地元の連中は職を失うのを恐れるあまり、もっと待遇のいい仕事を探したりとか、違うことを勉強しようともしなかったりする。今ある仕事はこれだから、全力でしがみついとかないと! みたいにな。その点俺も同じだったから、まあ本当に、本当の本当に、俺にとってはカルチャーショックだったし、本当に、本当の本当に大変でもあったよ。

仕事を続けながらだったのでとくに大変だった、という最初1年間のうち、ごく初めの時期にはこんな体験をしたそうだ。

J: 入学した最初の週、ある人が俺んとこに来て、握手した手をやたらぶんぶん振ってきたことがあってさ。おっ何なんだこりゃ、と思ってたんだけど。そいつ、何だか俺と距離を取ってた奴だったんだよな。まあ、クラスメイトのひとりだった白人の学生で、アメリカ農村部のものすごく小さな町の出身者とだけ言っておこうか。で、そいつが俺に向かって「自分で実際に見たり、触ったりしたことあるアジア系は、あんたが初めてだよ」って言ってきたわけなんだよ。

(唖然とする司会ふたり)

J: 「俺があんたの近くで妙な素振りをしてたと感じていたとしたら、そのせいだ。だって予想してたアジア系とあんたはまるで違ってたもんだから」ってな。そういう奴に4年間、好きに駆使できるものだらけのNY暮らしをさせておきながら、視野をどんどん拡げてやろうともしないなんてありえないだろ。床に転がって呼吸法の練習したり、動き回ったりする以外のことを──わかるよな? そうした方がもっといい役者に育つんじゃ? なのに学校のプログラムの組み方じゃ、ろくにNYで遊ぶヒマもなく、日がな一日教室の間をうろつくばっかになっちまうんだから。だからこそ、アフリカ系やラテン系、アジア系の歴史を教える教授や、LGBTQの教授とか、誰かしらを招聘して──(手を鳴らして)要は、なあ、こいつに今まで経験したことないような、まったく新しいものを見せて視野を広げさせてやってくれよ、ってこと。それに俺のためにも。俺だって物知りでも何でもないからさ。あの学校に一番欠けていたのはそういう観点なんだよな。

というような話に聞き入っていたツジ氏からは、

D: いまのお話にたくさん反応したいところがあるんですけど、ひとつ。あなたのお姉さんは素晴らしい人ですよね。

E: ほんと、最高ですよ。

D: お姉さんとは仲が良いんですか? いや、想像ですけど。

J: うん、姉とはかなり仲がいいよ。大きな借りがあるし。おかしなもんで、彼女がいなかったら俳優にはなってなかったろう。自分ひとりだったら俺に出来る仕事とも思わなかったろうし、「とっとと失せろや、アホか」で終わってた。子供の頃なら──いまの俺たちの姿は、13の頃の俺ならバカにしてた連中そのまんまだし(笑)

D&E: (笑)



◆恒例「ビリーの質問」 の時間

キャストインタビューの恒例となっている「ビリーの質問」とは、『Tsushima』撮影監督ビリー・ハーパーがなぜか現場でキャストに聞きまくっていたらしい「制作チームに頼まれた一番ヘンテコなことは何だった?」という質問のことである。が、ジェームズが答える前に、チャット欄にいたビリー本人から、「一度、ジェームズにパッツ(※訳註: アメフトのニューイングランド・ペイトリオッツ)・ファンのふりしてみてって頼んだことある」という冗談コメントが。

E: あの、ネイトとビリーがあなたにパッツ・ファンのフリをさせたってビリーが言ってるんですけど(笑)

D: (爆笑)

J: なんてことを!!

E: 最高、すごい好き(笑)

D: これは話さないと(笑)

J: 聞いてくれよ、俺ねぇ、生まれてこの方一筋の、ガチの、筋金入りのジェッツ・ファンなの。フットボール界ではずっと苦難のファン人生を送ってきて、パッツなんか俺にとっては、どんなに負けてもらっても気が済まないぐらいのチームなんだよ、わかる?(※訳註: ジェッツがスーパーボウルを制覇したのは1968年の一度のみで、長らく低迷中。同じAFC東地区に属するチームでは、ペイトリオッツの一人勝ち状態が続いている)

E: わかる、わかりますー。僕アメフト好きでもないけど、もうペイトリオッツが嫌いですもん(笑)

J: (笑)

D: 待って、今のがフットボールの話ですよね。贔屓の野球チームはメッツになるわけですか?

J&E: メッツ。

D: 僕はフットボールも野球も詳しくないんですけど、その両方が──

J: どっちもニューヨークのチームだよ。

D: で、どっちもあんまり勝ててないチームっていう理解でいいんです?

J: そう、そうなんだよダイス(笑)

D: それはあなた自身について何を物語るものなんでしょう。

J: (拳を振り上げて) 忠義心だろー(笑)

E: 負け組贔屓なんだなー。

D: 忠義心ね! 僕もバスケならサクラメント・キングスのファンなんでわかります。(※訳註: キングスのNBA制覇は、チーム名がまだロイヤルズだった1951年の一度のみ。90年代末から2000年代初頭には好成績をあげていたが、こちらも長らく低迷中)

J: (首を振り振り) そうかぁ、いやひどい、ひどいよなぁ。

E: 僕もカブス・ファンだから(※訳註: 野球のシカゴ・カブスもまた長らく低迷中のチーム。ヤギとの同伴入場を断られたある男性が「入れてくれないんならカブスはもう2度と勝てなくなるからな!」と呪いをかけたせいではないかという、「ヤギの呪い」の都市伝説がある) 気持ちはよくわかる。ただね、他の野球チームでより多めに生の試合観戦に行ったことあるのが実はメッツなんですよ。一番がメッツ、次がカブスで、メッツの方が多い(笑)


◆アジア系が直面している問題の根幹とは

「俺のチームは俺のチーム、どんだけ負けようが関係ない。彼らが俺のチームなんだ」といささか途方にくれたように、けれど愉快気に笑うジェームズに対して、ツジ氏が口を開く。

D: しかしふと思っちゃいますね。そういうのもどの程度──僕にとってはですけど、アジア系アメリカ人的体験について考えてしまうんですよ。もしかすると僕は、本心では自分たちのことをアメリカの敗者のように感じていて、それで弱いチームを応援したがったりするのかなって。僕も勝てないチームを応援するの好きだし。

E: 本当だねぇ。

J: ああ、だな。配信終わる前に別の大事なことを言っときたいんだけどいいかな。せっかくたくさんの人たちの前で話す機会だから。

D: ぜひどうぞ。

E: 今、100人以上の勢力がいますし。

J: ひとつは、皆には今更の話かもしれないんだが、多くの場合、とくにアジア系アメリカ人の俳優の演技に関して──まあ今は状況が変わってきて、15年前、20年前よりアジア系俳優にとっては格段にいい時代になってきてる。それは間違いない。ただ、そのテーマで話し合われる内容の大部分は、今でも仕事のチャンスについてがほとんどだ。他の要素も俎上に乗ることはあるわけだけど、そのチャンスの内実はどうなんだってことなんだよな。アジア系に回ってくるのがどういう役なのか。現状を前に進めるような役なのか、まだ現状維持タイプの役なのかも大事なポイントだと思う。けどもうひとつ言いたいのは、国全体として話し合いの場を設けて欲しいことなんだけどな。覚えてて欲しいんだ。みんなでこの世界に生きてるからこそ大切なことを、つまり、俺たちはこの社会全体のほんの一部に過ぎないんだってこと。俺はずいぶん前からよくこの話をしてて、昔はもっと変な感じだったんだが、今日も言ってるんだ。アジア系アメリカ人俳優の演じる役柄だとか、多様性だとか、レプレゼンテーションだとかについて論じるのは至極もっともなことだよ。でも、口を開けばそれしか言わないようだと小さな戦いにしかならないし、自分たちの業界で起こってるだけの小さな範囲の議論にしかならないよな。それも、文字通りこの社会ってものが生まれた当初から起こってることの現れに過ぎないわけだし。教育の平等、医療アクセスの平等、そしてまさに、選挙によって選ばれた当局者に自分たちの声が届く平等、法の下での平等が実現された時、な? (アジア系俳優にとっての)そういう問題も自ずと解消されてくはずなんだよ。だから絶対に──なんか説教してるみたいになってるけどさ。

E: いやいや。

J: じゃ言わせてもらおう。だから俺は、メディアにおけるレプレゼンテーションみたいな話にまつわる議論と、自国のより大きな、大きな諸問題を切り離すことは断じてしない。保証するよ、俺さ、心の奥底から信じてるんだ。俺たち全員が、俺たちのひ孫なんかが教育や刑事司法、財政の絶対的な平等を真の意味で享受するようになっていれば、こういった議論の大部分は起こらなくなるんだよ。一切な。

E: そうですよね。

J: というのが俺の信念。自分たちの日常に影響があると思うことだけじゃなく──人生かかってるんだから勿論、それも当然なんだが──それに、他の不正に目をつぶったりもせずに、前向きな関心をもって積極的に関わることだよ。あらゆる不正は繋がってるんだから。孤立した問題じゃなく。

そしてジェームズは、アジア系俳優の演じるステレオタイプな役柄よりも、もっとたちの悪いステレオタイプがハリウッドには存在すると指摘する。

J: 自分の経験から、俺が考える最悪のステレオタイプを言わせてもらうとさ。まず第一に、ふたりは知ってるかな。LAに初めて来たばかりの頃の俺はまったく知らなかったんだが、まるで褒め言葉みたいに何度も聞かされてたんだ。「ジェームズ、君ならやっていけるよ。君は『いい方』の人だから」ってな。当時の俺は気を良くして、本当にはその意味を理解してなかった。ある白人のキャスティング・ディレクターが、俺に向かって「アジア系の大半は芝居が下手」だと言ってきたのを覚えてる。っていうだけでもう、バカバカしいまでの差別主義だろ? つまり何か、アジアにルーツがあるせいで俺たちには遺伝的に何かの欠陥があって、芝居が上手くないとでもほのめかしてるわけか? ただただ訳がわからないよな。あんたの考える褒め言葉はバカげてるよ。だから第一に、俺たちアジア系は演技が下手だというステレオタイプが存在していて、喜ばしいことにそれを連日のようにブッ潰してくれている人たちの事例も、数多く存在してる。

E: (笑)

J: ただ、今でも続いてる最低最悪のステレオタイプは、俺が思うにこれなんだ。俺たちが永遠の外国人とみなされてる理由の一端でもある。どんなに有名な映画スターでも、人並外れた美形であっても、人が親近感をもって本当に感情移入できるのはどんな人間だろう? それは、彼らが日々の苦労を経験するキャラクターを演じてるからだよな? 自分を投影できるようなさ。で、今も俺たちの障壁になっている最大のステレオタイプは、思いやりのないロボットだと思われてることなんだよ。セックスシンボル像にしてもそう。アジア系の女性は性的フェティシズムの対象にされてるだろ? アジア系男性の最も男らしい男性像も武術で敵を蹴散らすみたいな感じだったりさ。でも、思いやりを見せるキャラクターっていたか? 自分たちの人間性がわかるようなモノローグのある役は? ドラマか何かで、社会の病巣と戦う弁護士の役は? 労働者階級の人間を代表するような役は? 個人的にはこれが一番欠けてる役柄だと思ってるんだけどな。多くの場合、アジア系アメリカ人は皆一様に郊外のでかい家に住んでるように見られがち。そういう人たちが存在しないとか、生活スタイルに妥当性がないとか言うつもりはないけどさ、俺なんかは人種的にはかなり危うい意味で、暴力や赤貧のうちに育ってきたし。一般的にはあまり知られてないが、NYの中国系住民の30%近くは貧困ライン以下の暮らしをしてる。NYに住むワーキング・プアのうち、どの人種グループよりも大きな割合を占めてるんだ。なのに、それが知られてない。そういう人々のストーリーが物語られたのを見たためしはあったか? アクセントをあげつらって笑い者にするだけになってないか? だから俺たちにとって一番厄介なステレオタイプは、傷ついたりしない、気遣いもしない、人の心がない人間だと思われてることで──

E: 気にかけてるのは誉だけ、とか?(笑)

D: (笑)

J: だな(笑)。冷たくて、数学が得意で、とかそんなやつだよ。だから俺が是非見てみたいのは──それも変わりつつはあるよな? 20年前までみたいなひどさじゃないしさ。確実に変わってはきてる。ただ『クレイジー・リッチ!』(原題はCrazy Rich Asians")の代わりに、いや、代わりじゃないな、『クレイジー・リッチ!』に「加えて」俺が見てみたいのは、『Broke-Ass Asians(カラッケツのアジア人たち)』みたいな作品なんだよ。

E: 『クレイジー・プア!』みたいな?(笑) 『Broke-Ass Asians』はいいな(笑)

D: それか『Broke-Ass People』とかね(笑)




◆若い世代のアジアン俳優たちへ

その上で、 配信を見ているかもしれない若い世代のアジア系、またアジア人俳優たちに向かって、ジェームズはこうも強調する。

J: さっき俺が、業界の一部にはまだアジア系が役者として劣ってて、だから仕事を任せられないんだみたいなステレオタイプがあるって話で伏線を張った理由はな。好きだろうが嫌いだろうが、正しかろうが間違ってようが、君らは常に自分以上のものを体現することになる、って現実があるからなんだよ。常にな。オーケー?

(大きく頷く司会ふたり)

J: だから、アンチにはなるな。難しいことだけど、自分のやりたかった仕事が他の知ってる誰かに決まったとか、そういうことがあったとしてもさ、アンチになるんじゃなく応援してやれ。他のアジアンたちを支えるんだ。

E: その通り。

D: だね。

J: 『クレイジー・リッチ!』が多少自分好みの映画じゃなくったって、観に行ってやれ。応援あるのみ、アンチにはなるな。いいか、そしてな、その役者が非の打ち所がない仕事をやってのけるよう願うんだ。その役を射止めたのが誰であれ、そいつの健闘を祈れ。それが俺たち全員のためになる。オーケー? 他のアジア系、あるいはアジア人の役者の仕事が「そこそこ」だったりまずかったりしたら、結局は自分の首が絞まることになるんだよ。本当にな。他人の失敗で自分が得すると思ってるんなら大間違いだぞ。だってな、それじゃ俺たちが悪戦苦闘してるこのクッソしんどい登り坂の戦いが、自分たちの認知度をあげよう、声を届けようって戦いが、ますますしんどくなるばかりなんだよ。さっき言ったような連中が「ほらほらやっぱり、だからアジア系は雇っちゃだめなんだ」って勢いづくだけ。フェアじゃないし間違ってる、でもそれが現実なんだ。そして、そこには業界における白人俳優との違いもある。白人俳優がオーディションに参加する場合、彼らは自分の身ひとつでいられるんだ。バリーであり、スティーブであり、フランクやジョー、何の名前でもいいが、終わった後もただのバリー、スティーブ、フランクやジョーとして、オーディション会場を後にする。彼の行動には「ああ、この人ひとりのために同格の他の白人俳優たち全体にまで影響が」なんて文句がつくことはないが、それって俺たちの身にはまさに起こることなんだよな。だから、自分が狙ってた役を誰かがものにしたら──死ぬほど欲しかった役だとしても、オーディションでいいとこまで残ったとしても、最終候補のひとりにも推されてあとちょっとで受かりそうだったのに落ちたとしても、相手のことを目の敵にしたり、根に持ったりはするな。そいつが最っ高の演技をすることを願え。それがアジアン全体の得になるんだ。なぜなら俺たちは今も、そして将来も、単に自分たちがやったことだけじゃなく、過去の先人たちがやってきたこと、そして後進の世代が向き合うだろうことによっても判断されてしまうから。それが絶対の、100%の真実なんだよ。

だからこそ撮影現場ではアジア系のステレオタイプに逆らうため、演出家へ積極的に提案するなどできるだけのことをする、というのがジェームズの「ささやかな自分なりのやり方」であるという。

J: もしかしたら、ステレオタイプに従って執筆されたものでもそうじゃないような風に変えられるかもしれない。そうすることで大きな変化が生まれるんだよ。微妙な差で大部分の人にはわからないかもしれないけど、それでもテレビを見てるどこかの小さな子供が「わあ、この人の見かけは自分みたいだ。それに彼は、彼女はけっこうイケてるな」と思ってもらえるかもしれない。どんな形で影響があるか、わかったもんじゃないからな。だからみんなにはアンチにはならずに、誇りを持ってもらいたいんだ。強制であろうとなかろうと、フェアであろうとなかろうと、自分がいつでも自分以上の何かを体現してるってことを誇りに思ってくれ。




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令和は趣味に生きたい人。おもに好きな記事にいいねするためのアカウントですが、その時はまってるものの英語媒体情報を邦訳したりするかも。
キャストQ&A: 堅二役ジェームズ・ヒロユキ・リャオ編 抄訳|sopomun
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