被団協がノーベル平和賞のニュースをみて、私は「えっどっちの?」とつい声にでた。というのも広島県には2つの被団協があり、組織名が全く同じだ。
「防衛的立場の社会主義国の核実験を帝国主義国の実験と同列に論じるのは誤り」として核兵器に賛成し続けた被団協。
その歴史を今日は話したい。
1960年代、ソ連が核実験を増やし、中国が核兵器保有を宣言した。
被団協の活動自体は1950年代、核廃絶とはあくまで「アメリカとイギリスの核」であり、「ソ連や中国の核兵器は平和のため」という立場が中にあった。
そのためか、核廃絶の声とは裏腹に、その後、フランス、インド、パキスタン、北朝鮮と次々に核兵器保有国が増えた。
被団協は、共産主義国の核武装を称賛するか否かで内紛を続け、3つの団体に分裂した。
今回、ノーベル平和賞を受賞した団体は「如何なる核兵器も廃絶する」という立場の人々だったが、この「如何なる核兵器」という考え方がまとまるまで、長い内紛があったことは記憶に留めておくべきだろう。
被爆者たちの命を共産主義の拡散に利用し続けた罪を決して忘れてはならないからだ。
さて、今回の受賞理由には、注目すべき点がある。
オスロのノーベル賞選考委員会は、
核兵器の廃絶を訴えることで、実際に核兵器が使用される危険性に対する「抑止力」が作用したことを挙げた。
いま、ウクライナ戦線に戦術核が使用される可能性が危惧される中、
核兵器を使用して得られる利益(敵の破壊と威嚇)よりも、
禁じ手を使ったことによる非難(損失)が大きければ、それは核兵器を無力化するに等しい。
今は、どの国も多かれ少なかれ、他国との取引で生計を立てる人が有権者に多くいる。
その人たちの反感を買えば政権の維持が難しくなる。これが核使用の抑止力となっているわけだ。
だが、注意すべきは、それは「国民主権」であり「普通選挙」がある国の核兵器についての話じゃ。
中国や北朝鮮のように普通選挙がなく、
国民がどうなろうと政権に直接的影響がない国では、核兵器使用によるデメリットが無い。
つまり、核廃絶の声は、
皮肉にも「自由主義の核」に強い影響を与えても、「共産主義の核」には何ら影響を及ぼさなかったことだ。
そして、現実として被団協がその活動を始めた後、中国と北朝鮮は核武装した。
あげく、その核兵器を使い私たち日本人を「火の海」に投げ込むと、
核兵器の炸裂を暗示した中国政府高官まで現れるようになった。
核廃絶の声は、明らかに核兵器の増加に繋がった。
そして、「核兵器の使用」に繋がる可能性を示唆している。
もちろん、核廃絶を訴える声自体は多くの人々の共感を得るだろう。
しかし、その共感の輪の中に、共産主義の核武装国が含まれていないのが現実だ。
核兵器の無い世界をつくるために声をあげた結果、世界には核兵器が増えた。
観念の理想と経験的現実は全く異なるのだ。
端的に言おう。
核廃絶の理念は宗教である。
その宗教は、信教の自由がある自由主義国では布教され、多くの信者を獲得し、自由主義国の核兵器を縮小、抑制した。
しかし、共産主義国に宗教の自由はない。
よって、共産主義国では核廃絶の声自体が一切認められず、
結果的に核廃絶の声は自由主義国の核兵器を減らし、共産主義国の核兵器を増やした。
中国の核弾頭は4年前から1000発以上増加しているとの米国政府の指摘がある。
核廃絶の声をなぜ、核兵器の無い国で叫ぶのか?
核廃絶の声をなぜ、北京と平壌であげないのか!?
核廃絶の声を核兵器がない国であげる意味はなんなのか!
それは結局、「核兵器廃絶」の目的は、
「自由主義の核兵器」に向けられている様相を説明しているのではないか。
今回、オスロの選考委員会にこの新しい宗教を信じる人がいた。それ以上でもそれ以下でもない。
断言しよう。
このままだと、次の被曝国も日本だぞ!
みんなの意見を聞かせてね!
ところで私が書いた『われ、正気か!』という本は、核兵器に係るプロパガンダとその歴史的背景をわかりやすく、地元の言葉、広島弁で解説した。被爆3世だからこそ言いたいことがる!
読んで深く知り一緒に日本を守ろう!
amzn.asia/d/0F6WSxq
電子版も各社ある!
「日本は核武装せよ!」というストレートなタイトルの本も出しておる!
amzn.asia/d/ccPP2Bd
写真は、江戸時代の町とわたし!
本を既に買ってくれた人も電子書籍版を買って応援してね! お出かけ時も常に橋本琴絵と一緒じゃ!