カルチャー

2024.10.11 13:15

「SHOGUN 将軍」に出演、ハワイ在住俳優・平岳大「日本人俳優よ、いまこそ海外に出よ」

ハワイにいるから、俳優活動ができる

平が指摘した、日本と海外のエンターテインメント業界の違い。よく言われる話だが、かける予算の違いも大きいのではないだろうか。平は頷きつつ、こう語る。

「お金の問題と安易に片付けたくないですが、現実問題として物づくりという点でお金があれば余裕が生まれるのは事実。『SHOGUN 将軍』にしても、カナダのバンクーバーに約8カ月滞在しましたが、その間の住居費も食費も全てカバーされました。撮影がない時もです。たまに家族に会いにハワイに帰る渡航費まで出る。

自分の撮影は1週間から2週間に1回くらいのペースで、暇な時間が多いくらい。スタッフ含め労働時間の規定も厳格だし、衣装さんがバケーションに行くと言って、突然休むこともある。それでも各自、プロとして自分の役割をこなし、全体として制作は粛々と進んでいく。

将軍は総予算1億8000万ドル(約270億円)と聞いていますが、そんな巨額の予算を効率的に配分する能力も必要となります。いま日本の映画界でそんな巨額の予算を使い切る制作体制を作れるかと言うと、疑問ですね」

「SHOGUN 将軍」の撮影中のオフショット

「SHOGUN 将軍」撮影中のバンクーバーでのオフショット

「日本の役者はもっと海外に出るべきだと常々思っています」

「日本の役者はもっと海外に出るべきだと常々思っています」

さて、そんな平にとってハワイという場所はどんな存在なのか。いまや、平が出演する作品の撮影地はカナダやオーストラリア、ヨーロッパや日本など世界各地に及ぶ。一方で、オーディションはほとんどがオンラインで行われるそうで、俳優は世界中どこに住んでもいい時代なのだという。

「それでも、ハワイにいるから、俳優活動ができる。僕はそう実感しています。日本に近く治安の面でも安心なハワイだからこそ、奥さんと娘を置いて長期の撮影に参加できています。これがロサンゼルスだったら、こうはいかない気がする。さらに、もし日本にいたら、スケジュールが空いた時に生活のことを考えて別の仕事を入れてしまうかもしれない。そうしたら、長期撮影の映画の話が来ても対応できません。迷わないよう米国に拠点を移した意味は大きかったです」

そして、ハワイという地は、平にとっては特別な場所なのだそうだ。

「撮影で多くの地を巡りましたが、ハワイ以上の場所はなかった。間違いなく、僕に役者としてのパワーをくれる場所はハワイであり、ハワイにいる家族です。素朴な話ですけどね、僕、ハワイの朝陽を眺めるのが大好きなんです。起きたら自宅マンションの庭に出て、朝陽がのぼるのを観ている時間は最高の癒しです。

暑すぎず、もちろん寒くもない。いつもそよ風が吹いて、周囲の人もとにかく優しい。いま、豪州のゴールドコーストで撮影をしていますが、気候や景色は似ている面はあるかもしれません。でもハワイの空気感とはやっぱり違う。こんなに優しく包んでくれる場所は世界中ほかにないですよ」

「間違いなく、僕の役者としてのパワーをくれる場所はハワイです」

「間違いなく、僕に役者としてのパワーをくれる場所はハワイです」

俳優としてハワイに住んでいると、こんなメリットもあるそうだ。

「撮影の合間の雑談で、ハワイに住んでいると言うと必ず盛り上がります(笑)。撮影って、待機時間がけっこう長い。出演者やスタッフとすぐに盛り上がれる話題があるのはけっこう大事なのです。その点でもハワイというキーワードはかなり使えますね」

ただ、気掛かりもあるという。

「唯一の気掛かりは、まるで遠洋漁業に出ている夫を持ったような生活になっている奥さんと娘。撮影で何カ月も家を空けることが多いいま、1人で娘を育ててくれている奥さんには、感謝しかないです。『SHOGUN 将軍』という作品の成功は、全出演者とスタッフの家族たちの協力の賜物ですよ。それは強く思います」

44年前に「国際女優」という言葉を生み、日本の文化を世界に知らしめる契機となった「将軍 SHŌGUN」。エンタメの力が、日本と世界の接点を変えていったわけだが、今回のリメイク版の「SHOGUN 将軍」も、「真実の日本」を世界に広める契機となった気がする。

これまでのトンデモ日本ではなく、正しい日本像を海外に確立する担い手となるのが、実力ある日本人俳優の存在。世代によらず、その数がもっと増えてほしいというのが、平の想いだ。そんな日本人俳優たちのなかから、また新たな「将軍」が生まれてくるに違いない。

文=岩瀬英介

タグ:

ForbesBrandVoice

| あなたにおすすめの記事

人気記事

経済・社会

2024.07.25 14:15

ハワイで112年の歴史を持つ日系新聞社「ハワイ報知」が突然の倒産

Shawn Azizi / Shutterstock.com

ハワイで112年の歴史を持つ日系企業「ハワイ報知社」が、7月8日、突然倒産することになった。「私的整理」という形だが、長年の歴史を持つ日系企業が倒産というニュースは一気にハワイを駆けめぐった。

ハワイのある関係者によれば、現地の社長に倒産が知らされたのは実に倒産の2営業日前だったそうで、まさにドタバタの倒産劇だった。それにもまして、ハワイ報知社の親会社である静岡新聞社の動きも、いささか急だったようだ。

2023年12月に廃刊となった新聞「ハワイ報知」。海外では最古の日本語日刊新聞だった

2023年12月に廃刊となった新聞「ハワイ報知」。海外では最古の日本語日刊新聞だった

何故「私的整理」に踏み切ったのか

実は、以前から経営危機は噂されており、昨年12月には、1912年から発行を続けていた日刊新聞「ハワイ報知」の発行を取りやめたばかり。その後は印刷会社として経営を続けていたものの、もう持ち堪えられないと私的整理に踏み切った形だ。

何故ここにきて私的整理に踏み切ったのだろうか。

「日系人読者の高齢化やコロナ禍の影響でホテルや航空会社などの契約先を失って部数減に悩んでいたのは事実。売上の多くは別の新聞やパンフレットなどの商業印刷業でまかなっていた。ただ、赤字経営はいまに始まったことではなく以前からの課題。再建に取り組んでいたなかで、日本の親会社が何故いま決断を下したのは不可解」(地元メディア関係者)

ハワイ報知は、1912年12月に故牧野金三郎氏によって創刊。日系移民の人権擁護と人種の垣根を越えた言論活動を展開し、ハワイの日系移民の歴史とともに歩んできた。

1941年12月8日、真珠湾攻撃翌日に発行されたハワイ報知の紙面

1941年12月8日、真珠湾攻撃翌日に発行されたハワイ報知の紙面

1941年12月の真珠湾攻撃も一面で伝えた。1960年代に、静岡新聞社の当時の大石光之助社長の援助を受けて経営存続を図り、海外では最古の日本語日刊新聞となっていた。今回、会社が倒産したことで、現社長が推し進めていた新聞の歴史をアーカイブとして閲覧する取り組みも頓挫してしまった。筆者の実感としても、ハワイの歴史の貴重な記録が失われた観がある。

ちなみに、私的整理の決断を下したのは、静岡新聞社の現会長の大石剛氏。ハワイ報知の支援を決めた大石光之助氏の孫にあたる。年に3〜4回はハワイに出張し、ハワイ報知社の経営にも積極的に関わってきた。今回の私的整理劇でも、自らハワイを訪れて陣頭指揮を取っていた。

ハワイ報知社の旧社屋は、丹下健三氏の設計で1972年に建立。建築マニアが見学に訪れる建物だった(写真は現在の様子)

ハワイ報知社の旧社屋は、丹下健三氏の設計で1972年に建立。建築マニアが見学に訪れる建物だった(写真は現在の様子)


倒産前のハワイ報知社社屋のエントランス。左が同社創業者の牧野金三郎氏、右が静岡新聞社初代社長の大石光之助氏の銅像

倒産前のハワイ報知社社屋のエントランス。左が同社創業者の牧野金三郎氏、右が静岡新聞社初代社長の大石光之助氏の銅像

ハワイ報知社の社屋には2つの銅像が飾ってある。一つは同社創業者の牧野金三郎氏、もう一つはハワイ報知を救った静岡新聞社初代社長の大石光之助氏。その銅像を見て、大石剛氏は、どのように思ったのだろうか。

次ページ > 実は多い日本企業がオーナーの会社

文・写真=岩瀬英介

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事