カルチャー

2024.10.11 13:15

「SHOGUN 将軍」に出演、ハワイ在住俳優・平岳大「日本人俳優よ、いまこそ海外に出よ」

「SHOGUN」という言葉がこんなに脚光を浴びたのは、実に44年ぶりだ。三船敏郎、島田陽子主演で、5夜連続のドラマ「将軍 SHŌGUN」が全米で放送されたのは1980年。全米視聴率36・9パーセントという記録を生み出し、歴史上の人物である細川ガラシャをモデルにしたマリコ役を演じた島田陽子は一躍「国際女優」となり、このヒットによって日本料理やサムライ、切腹といった日本の文化が一気に米国で知れわたったと言われている。

1980年版では主演の島田陽子がゴールデングローブ賞を受賞し話題をさらったが、44年の時を経て今年ディズニープラスで配信されたリメイク版「SHOGUN 将軍」が米国で権威あるエミー賞で史上最多となる18部門受賞を果たし、世界的なニュースとなった。

盛んに報じられたのが「日本の時代劇が世界に受け入れられた」という評価。主演でプロデューサーとしても大きな役割を担った真田広之も、エミー賞授賞式のスピーチで「これまで時代劇を継承して支えてきてくださった全ての方々、そして監督や諸先生方に心より御礼申し上げます。あなた方から受け継いだ情熱と夢は、海を渡り、国境を越えました」と、この作品の時代劇としての意義を語っていた。

元々はサッカー留学で米国へ渡る

1980年版の時と同じく、この作品のヒットであらためて日本文化が世界に浸透するという報道も一部あったが、いまや「おもてなし」や「おかげさまで」が世界に知られる時代。いまさら日本文化の世界浸透を喜ぶ時ではないだろうと思っていたが、こんなことを言う人がいた。

「今回の『SHOGUN 将軍』のエミー賞での快挙は、僕は何よりも俳優への影響が大きいと思っています。これを機に日本人俳優の海外での活躍の場が増え、また日本をテーマにした作品がもっと増えることが期待できる。ニンジャやサムライ、ヤクザではない配役に、もっと日本人俳優を使ってくれる可能性が広がった。それが今回の受賞の最も大きな意義だと思います」

こう語るのは、「SHOGUN 将軍」で重要な役回りとなる五大老の1人、石堂和成(史実では石田三成がモデル)を演じた俳優の平岳大(ひら・たけひろ)だ。真田広之が演じる吉井虎永(徳川家康がモデル)とバチバチのライバル関係にあり、劇中では2人の迫力にじむ舌戦や腹の探り合いが大きな見どころになっている。

「SHOGUN 将軍」では、平岳大は重要な役回りである石堂和成(石田三成がモデル)を演じた 「SHOGUN 将軍」はディズニープラスで全話独占配信中 “Courtesy of FX Networks”

「SHOGUN 将軍」では、平岳大は重要な役回りである石堂和成(石田三成がモデル)を演じた
「SHOGUN 将軍」はディズニープラスで全話独占配信中 “Courtesy of FX Networks”

実は、平岳大は現在、米国ハワイ在住。奥様と6歳の娘と一緒に暮らし、ハワイを拠点にハリウッド製作などの海外作品への出演を続けている。同じくハワイ在住の筆者とは家族ぐるみで交流があり、会うたびに俳優業の実情を興味深くうかがっていた。

筆者にとっての「たけさん」が、今回、エミー賞で一躍スター俳優となったのを受け、急きょインタビューさせていただいた。平は今回のエミー賞で、浅野忠信と共に助演男優賞にノミネートされていたが、惜しくも受賞は逃している。

今回の「SHOGUN 将軍」のエミー賞受賞について、次のように語る。

「ほぼ全編を日本語で演じ、派手なチャンバラも外国人に受けそうな忍術や拳法もない。突飛な衣装も豪華絢爛なセットもなく、どこまでも時代考証に忠実に、戦国武将たちの腹の探り合いが続く、どちらかと言うと静かなドラマです。

言語の多様化に関しては、韓国の『イカゲーム』などが地ならしをしてくれたのかもしれませんが、ほぼ日本語で通した作品が外国語作品賞などではなく、米国エミー賞の本流(作品賞や主演男優賞など)で戦い勝利したのは、すごく画期的な出来事だと思います」

平の父は、俳優の平幹二朗。母は女優の佐久間良子。役者としてはサラブレッドとも言えるが、元々は俳優志望ではなく、サッカー留学で米国へ渡った。米国の高校からブラウン大学理学部応用数学科に進学。その後コロンビア大学大学院に進む。母親の佐久間はそもそも息子が俳優業に進むのを好ましく思わず、「研究者か医者になってほしい」と期待していたそうだ。

大学院を中退して日本に帰国後は外資系企業に就職。会社員としての日々を送っていたが、27歳で思いがけず役者の道へ。「役者一家に生まれて、周囲からも役者の道に進むのだろうと期待されて育ったから、一度くらいは役者をやってみようかと父に相談したら意外にもOKとの返事。母は反対のままでしたが(笑)」と平。そのまま両親が出演する舞台「鹿鳴館」で俳優デビューを果たした。

エミー賞授賞式で、母の佐久間良子、妻の玲子さん家族ショット

エミー賞授賞式で、母の佐久間良子、妻の玲子さんとの家族ショット

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文=岩瀬英介

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経済・社会

2024.07.25 14:15

ハワイで112年の歴史を持つ日系新聞社「ハワイ報知」が突然の倒産

Shawn Azizi / Shutterstock.com

ハワイで112年の歴史を持つ日系企業「ハワイ報知社」が、7月8日、突然倒産することになった。「私的整理」という形だが、長年の歴史を持つ日系企業が倒産というニュースは一気にハワイを駆けめぐった。

ハワイのある関係者によれば、現地の社長に倒産が知らされたのは実に倒産の2営業日前だったそうで、まさにドタバタの倒産劇だった。それにもまして、ハワイ報知社の親会社である静岡新聞社の動きも、いささか急だったようだ。

2023年12月に廃刊となった新聞「ハワイ報知」。海外では最古の日本語日刊新聞だった

2023年12月に廃刊となった新聞「ハワイ報知」。海外では最古の日本語日刊新聞だった

何故「私的整理」に踏み切ったのか

実は、以前から経営危機は噂されており、昨年12月には、1912年から発行を続けていた日刊新聞「ハワイ報知」の発行を取りやめたばかり。その後は印刷会社として経営を続けていたものの、もう持ち堪えられないと私的整理に踏み切った形だ。

何故ここにきて私的整理に踏み切ったのだろうか。

「日系人読者の高齢化やコロナ禍の影響でホテルや航空会社などの契約先を失って部数減に悩んでいたのは事実。売上の多くは別の新聞やパンフレットなどの商業印刷業でまかなっていた。ただ、赤字経営はいまに始まったことではなく以前からの課題。再建に取り組んでいたなかで、日本の親会社が何故いま決断を下したのは不可解」(地元メディア関係者)

ハワイ報知は、1912年12月に故牧野金三郎氏によって創刊。日系移民の人権擁護と人種の垣根を越えた言論活動を展開し、ハワイの日系移民の歴史とともに歩んできた。

1941年12月8日、真珠湾攻撃翌日に発行されたハワイ報知の紙面

1941年12月8日、真珠湾攻撃翌日に発行されたハワイ報知の紙面

1941年12月の真珠湾攻撃も一面で伝えた。1960年代に、静岡新聞社の当時の大石光之助社長の援助を受けて経営存続を図り、海外では最古の日本語日刊新聞となっていた。今回、会社が倒産したことで、現社長が推し進めていた新聞の歴史をアーカイブとして閲覧する取り組みも頓挫してしまった。筆者の実感としても、ハワイの歴史の貴重な記録が失われた観がある。

ちなみに、私的整理の決断を下したのは、静岡新聞社の現会長の大石剛氏。ハワイ報知の支援を決めた大石光之助氏の孫にあたる。年に3〜4回はハワイに出張し、ハワイ報知社の経営にも積極的に関わってきた。今回の私的整理劇でも、自らハワイを訪れて陣頭指揮を取っていた。

ハワイ報知社の旧社屋は、丹下健三氏の設計で1972年に建立。建築マニアが見学に訪れる建物だった(写真は現在の様子)

ハワイ報知社の旧社屋は、丹下健三氏の設計で1972年に建立。建築マニアが見学に訪れる建物だった(写真は現在の様子)


倒産前のハワイ報知社社屋のエントランス。左が同社創業者の牧野金三郎氏、右が静岡新聞社初代社長の大石光之助氏の銅像

倒産前のハワイ報知社社屋のエントランス。左が同社創業者の牧野金三郎氏、右が静岡新聞社初代社長の大石光之助氏の銅像

ハワイ報知社の社屋には2つの銅像が飾ってある。一つは同社創業者の牧野金三郎氏、もう一つはハワイ報知を救った静岡新聞社初代社長の大石光之助氏。その銅像を見て、大石剛氏は、どのように思ったのだろうか。

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文・写真=岩瀬英介

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