学校の働き方改革の議論で、現行の学習指導要領の影響として指摘されているのが、学習内容が飽和して学校現場を疲弊させるカリキュラム・オーバーロードの問題だ。大森直樹東京学芸大学教授は、現役の小学校教員に行った調査などから、現行の学習指導要領が最も子どもの負担が大きく、不合理なものになってしまっていると指摘。平日は5時間とするなど、標準授業時数や学習内容を減らすことを提案する。「次期学習指導要領 私の提言」第2回は、大森教授に学習指導要領によるカリキュラム・オーバーロードの影響と標準授業時数を巡る歴史的な変遷を聞いた。
――現行の学習指導要領について、どのように評価していますか。
学習指導要領は、法的拘束力を伴う告示という形で出されるようになった1958年以降、現行の2017年までに7回の大きな改訂が行われています。どうしても学習指導要領が新しくなると、どこが変わったのかということに注目が集まってしまいますが、本当は子どもにとってどう影響しているのかを考えなければいけません。学習指導要領の子どもへの影響は、新たに変わったところだけに及ぶのではなく、これまでずっと積み重なっていること、変わらないことも含めて、全体として捉えていく歴史的な視点が必要です。
しかし、子どもは自分が学んでいるときの学習指導要領しか分からないので、これまでの学習指導要領との比較はできません。そこで、現役の教員に着目しました。現役の教員であれば、これまでの教員経験の中で複数の学習指導要領を経験しています。ある程度ベテランの小学校教員に、1989年、1998年、2008年、そして現行の2017年の学習指導要領について評価してもらったところ、現行の学習指導要領が最も子どもたちに合っていないという結論になりました。
――具体的に、現行の学習指導要領はどのような点で子どもに合っていないのでしょうか。
まず、もう子どもから悲鳴が上がっているということです。不登校の子どもはどんどん増え続けていますし、病休・精神疾患の教員も増えています。私の知り合いで、子どもたちに慕われて頼りにされている教員も、退職年限を待たずに教職を去っています。
その理由の一つが、教育課程の不合理です。はっきりしているのは、教育課程の時間数と内容量のどちらも増えていることです。内容量の増え方も、ただ単に量が増えているということではなくて、果たしてこんなことを子どもにやらせるべきなのだろうか、と首をかしげたくなるものが増えているんです。
一つ例を出すと、学習指導要領は前回から資質・能力を重視するようになり、とりわけ現行の学習指導要領はその傾向をよりはっきりさせていて、目標などにも資質・能力に関わる文言を埋め込んでいます。これが、教科書を介して子どもに影響します。学習指導要領でこれだけ資質・能力をうたっていると、教科書もそれに対応しなければならなくなり、どうしても苦しい判断をしたと思われる記述が増えていきます。小学校低学年の算数は、四則演算ができて初めて数学的世界が広がっていくのですが、今の教科書では四則演算がまだ十分に身に付いていない段階から、複数の解法が示され、それぞれの解法がどういう考え方なのかを説明させて、思考力をみようとしています。
そして、現在は学習指導要領と学習評価が連動することが無批判に良いことだとされているので、学習評価も資質・能力と対応した観点別評価になっています。しかし、思考や表現を客観的に評価するのは不可能だと言えます。それを「可能」にしてくれるのが小学校で広く使われている業者テストで、これを使うには教科書通りに授業を進めなければいけない。そうやって子どもにとって不合理な、意味のない内容をやる仕組みが広がってしまっているのです。
――標準授業時数が増えていることについては、どうですか。
表で示したように、平日1日当たりの標準授業時数は前回の学習指導要領で増加し、現行の学習指導要領でもそれが維持されています。98年の学習指導要領では学校週5日制が始まったので、土曜日がなくなり、このときから平日1日当たりの授業数は増えています。これをどう捉えるかは評価が分かれるのですが、標準授業時数で見ても、やはり現行の学習指導要領、前回の学習指導要領が子どもや教員の負担を大きくしているのは明らかです。
現行の学習指導要領では、小学校高学年になれば毎日6時間です。そうなると午後3時半ごろにやっと放課後になるわけですが、これだけ授業があれば子どもたちが疲れるのは当然です。
教員の勤務時間は休憩を入れて7時間45分ですが、定時で退勤するとなると、子どものいない時間は1時間15分しかないことになります。この間に法律で義務付けられている休憩を取って、保護者対応や職員会議をして、授業準備もするというのは、絶対に無理なんです。
私たちが行った調査では、現場の教員らの声として、子どもの負担や教員のゆとりを考えると、おおむね平日5時間くらいをちょうどいいと感じているという結果が出ました。
――時間割の組み方などで、学校現場もさまざまな工夫をしていますが、それも限界があるように感じます。
その通りです。さらに言えば、工夫してはいけないところにまで手を付けているのではないかと危惧しています。学校の働き方改革の観点から、平日6時間を減らす分、夏休みを短くして授業時数を確保する事例が出ています。私が現職の教員と取り組んだ研究で言えることは、夏休みは絶対に削ってはいけないということです。また、授業時数の見直しで手っ取り早く減らされてしまうのが特別活動です。特別活動の中には、子どもたちが楽しみにしているものも多く含まれています。標準授業時数も学習内容もコンパクトにしていくことは必要ですが、一方で、こうした子どもにとって必要な時間を減らすことになれば、ますます学校がしんどい場所になってしまいます。
――とはいえ、授業時数や学習内容を減らすのは、増やすこと以上に難しいのではないでしょうか。
半分は同意しますが、もう半分は、違う見方をしています。実は、歴史的にみると、私たちはすでに標準授業時数や学習内容をコンパクトにした経験を持っているのです。
1958年、1968年の学習指導要領のときは、土曜日も授業が行われていたにもかかわらず、6時間授業が多く設定されていました。それに対し、当時、学校現場や保護者から授業が多過ぎると批判の声が上がり、1977年の学習指導要領で標準授業時数や内容は減らされることになりました。その流れが1989年も継続し、1998年のいわゆる「ゆとり教育」につながっていきます。
しかしその後、学力低下論が盛り上がりを見せ、標準授業時数や学習内容を減らしたことの十分な検証がないままに、文部科学省は反対方向へかじを切ってしまいました。少なくとも、現行の学習指導要領をつくるときに、限界を迎えている標準授業時数や学習内容を減らすことを検討すべきだったのですが、結果的に維持されてしまいました。
――今後、学習指導要領の改訂に向けて議論が本格化していきますが、どのように進めていくべきでしょうか。
教育課程が抱えている問題として、そもそも国が教育課程の基準を定めていること自体に目を向ける必要があります。過度な競争を避け、全国で同じ水準の教育を提供するためにも、教育課程の基準に相当するものは必要だと考えますが、日本の場合、この基準が広範で詳細になり過ぎています。それによって起きるのは、学校現場での思考停止です。
教科や領域を何にするのか、それぞれ何時間やるのか、どんな内容を学ばせるのか、それらを国が全部決めてしまっているので、学校現場にはそれらを柔軟に組み替えるような考えよりも、より守ろうとする意識が強くなります。そうなると、例えばなぜ音楽を教えるのかといった、教科や学習内容を根本から捉えて、目の前の子どもの実態に合わせて教育活動を展開する発想は生まれにくくなります。たとえ国の定めた基準の中に子どもにとって不合理な点があったとしても、それを見抜く力が弱くなってしまうということもあります。
学校現場の中には、学習指導要領や教科書を批判的に再構成し、子どもにとって不合理な部分を取り除きつつ、必要なことを学べるカリキュラムを考え、実践している教員がいます。教育学の研究者も加わって、じっくり議論をしながら、教育界から教育課程のガイドラインを示していく動きがあってしかるべきですし、国もそうした現場からの提案に耳を傾けるべきです。
少なくとも、カリキュラム・オーバーロードの解決策は次の学習指導要領までに示す必要があります。これには、時間の絶対量、内容の絶対量、時間と内容の相対的な関係の3つの要素が関連し合い、複雑な作業になるのは間違いないですが、時間の絶対量から議論をすることが大事です。なぜならば、子どもが1日に使える時間は無限ではなく有限だからです。そこから議論をしていかないと、批判しにくいスローガンを掲げ、あれもやろう、これもやろうと、大人の願望を押し付けるだけのものに陥ってしまいます。
【プロフィール】
大森直樹(おおもり・なおき) 東京学芸大学現職教員支援センター機構教授。専門は教育史。学習指導要領の改訂に伴う標準時数の変遷について、教員への調査から子どもへの影響を調査する。著書に『学校の時数をどうするか 現場からのカリキュラム・オーバーロード論』(明石書店)、『道徳教育と愛国心』(岩波書店)などがある。