広島には、原爆投下の1カ月後、“もう一つの惨禍”があった。「枕崎台風」である。県内の死者・行方不明者は2000人超。原爆の恐怖におびえる人々に、豪雨が追い打ちをかけた▼「原爆」と「豪雨」――その中で、職務を全うする人たちがいた。作家・柳田邦男氏がノンフィクション作品『空白の天気図』(文春文庫)で描いた「広島地方気象台」の台員である▼気象管制が敷かれた戦時中は台風の警報発表ができず、多くの犠牲者を出した。被害記録さえ、十分に残っていない。だからこそ、終戦直後の彼らには“今回の調査報告は詳細に記すのだ”との揺るぎない信念があった▼報告書に台風の経路、降雨の状況などを丹念に記録。さらに被災者の体験談を「××氏談」という形で列記した。「科学技術の文献であっても血の通ったものでなければならない」との彼らの哲学は、原爆災害報告にも受け継がれ、後年の被爆者援助補償に役立っていく▼地震と豪雨の複合災害に遭った石川・能登半島。そこには人知れず取材に汗を流す通信員らがいる。その記事や写真は今の出来事とともに、“被災した同志はこのように厳然と立ち上がったのだ!”という希望の歴史を、未来に伝える記録でもある。(子)
広島には、原爆投下の1カ月後、“もう一つの惨禍”があった。「枕崎台風」である。県内の死者・行方不明者は2000人超。原爆の恐怖におびえる人々に、豪雨が追い打ちをかけた▼「原爆」と「豪雨」――その中で、職務を全うする人たちがいた。作家・柳田邦男氏がノンフィクション作品『空白の天気図』(文春文庫)で描いた「広島地方気象台」の台員である▼気象管制が敷かれた戦時中は台風の警報発表ができず、多くの犠牲者を出した。被害記録さえ、十分に残っていない。だからこそ、終戦直後の彼らには“今回の調査報告は詳細に記すのだ”との揺るぎない信念があった▼報告書に台風の経路、降雨の状況などを丹念に記録。さらに被災者の体験談を「××氏談」という形で列記した。「科学技術の文献であっても血の通ったものでなければならない」との彼らの哲学は、原爆災害報告にも受け継がれ、後年の被爆者援助補償に役立っていく▼地震と豪雨の複合災害に遭った石川・能登半島。そこには人知れず取材に汗を流す通信員らがいる。その記事や写真は今の出来事とともに、“被災した同志はこのように厳然と立ち上がったのだ!”という希望の歴史を、未来に伝える記録でもある。(子)