藤田平さんは1995年のシーズン途中、成績不振で途中休養した中村勝広監督を継いで監督に昇格。しかし、翌年の96年に成績不振や戦力編成をめぐる球団との対立の結果、シーズン途中で休養を命じられた。すると球団事務所に12時間も〝籠城〟して抗戦した。あの当時のタイガースは戦力も弱体化している上に、球団幹部があからさまに監督の〝抵抗勢力〟と化すなど、問題山積だった。藤田平さんが激怒するのも当然のチーム体質ではあったが、球団側から見れば「手に負えない監督」の評価となるのだろう…。立場による見解の相違である。
そして…。久万オーナーはしばらく沈黙した上でこう切り出した。
「あなた、もう一度だけ聞いてもらえませんか。星野さんにもう一度だけ、阪神に来てはもらえないか…聞いてください。これが最後です。ファイナルアンサーで…」
「もう一度ですか…」
破談となった経緯を知っているだけにこちらも沈黙するしかない。それでも乗りかかった船は大波に揺られて、着岸できる港も見当たらない。「わかりました…。待っていてください」。そう言うしかなかったと記憶している。
■星野さんが出した条件
しばらく心を整理して何日か後、午後11時を過ぎた頃だった。お酒の力も借りて闘将の携帯に電話した。
「なんや?」。意外とすぐに電話に出てきた。
「お疲れさまです。今どこですか? 大丈夫ですか」
「おうっ。あれからワシはハワイに行ってたんや。身も心もリフレッシュしたぞ。ゴルフも行ったわ」
「そうなんですか」
「昨日、帰ってきたばかりや。それはそうと、阪神の監督はどないなったんや? 仰木か? 岡田は無理やろ?」
「それがその…。まだ決まってなくて…。オーナーは岡田はいいけど、仰木は嫌やと…。野崎さんは仰木でやりたくて、岡田は嫌やと…」
「なんや、まだそんなところをウロウロしとんのか…。阪神タイガースやのうぉ」
「それでその…。オーナーに頼まれて電話してるんですけど、『もう一回聞いてくれ』と…。監督…阪神の監督を引き受けてもらえませんか。後生ですわ。これがファイナルアンサーです。頼んますわ」
しばらく沈黙すると…。
「よしゃ! わかった、受けたるわ。そやけど条件がある。じいさんに名古屋に来て、ワシに頭を下げてくれるように言うてくれ。それから中日新聞社の白井オーナーとNHK(解説就任予定だった)にも筋を通してくれ。それが条件や」