二軍監督だった岡田彰布に星野仙一監督と“NHK入り”を勧めた背景
野崎勝義さん(阪神元球団社長)
わたしが阪神の球団社長を務めた2001~04年ころのことだ。久万俊二郎オーナーは、とにかく岡田彰布二軍監督(当時)をかわいがった。
よく利用した西宮市甲陽園の老舗料亭で夕食を共にしたのは、野村克也監督でも星野仙一監督でもなく、岡田二軍監督だった。
星野監督には「岡田を育てて欲しい」と注文し、岡田二軍監督には「星野のもとでしっかり勉強せい」とハッパをかけた。この時点で久万オーナーは、星野監督の後を岡田二軍監督に任せるつもりでいた。
早大からドラフト1位で阪神に入団。当初から幹部候補生といわれ、主力選手として1985年の日本一にも大きく貢献。阪神ファンの間では絶大な人気を誇った。
わたしと星野監督はしかし、タイガースの指揮を執るのであれば、井の中の蛙ではよくない。いまのうちに他人の釜の飯を食べながら勉強した方がいいと考えた。2002年のことだ。
星野監督はNHKの解説者時代、話術を磨いたり、財界人や企業のトップから学んだりした経験がプラスになったという。そこで星野監督とともに久万オーナーに、岡田二軍監督を解説者として勉強させたい、NHKから本数契約で内諾を得ていると説明すると、「それでは(稼ぎが)足りない。タイガースで面倒をみなさい」という返事だった。要するに久万オーナーは給料をタイガースが払うことを条件に了承したのだが、岡田二軍監督自身がクビを縦に振らなかった。