今ここで、再び闘将・星野仙一を語りたい-。いよいよコロナ禍の中での東京五輪がスタートした。プロ野球のペナントレースは中断。前半戦を48勝33敗3分けの貯金15で折り返した矢野阪神は8月13日からの広島3連戦(京セラ)に備え、疲れた体を癒やし、終盤戦の戦いに向けて牙を研ぐ。あれは20年前の2001年の晩秋…。それまで15シーズンで最下位10度、Aクラスはたったの一度(1992年の2位)という虎を大改革し、常に優勝を目指せるチームに変えたのは闘将の登場だった。あの日、あの時、タイガースに、闘将・星野仙一に、そして私自身の人生に何が起きたのか…。全てを書きつくす短期集中連載『闘将が虎を抱きしめた夜』の第3話は「島野監督案も、岡田監督案も、仰木監督案も消滅…。そして運命のファイナルアンサー」-。
■出てきたのはサンドイッチ ついにXデーがやってきた。その日、その時は01年11月7日の正午。場所は大阪・梅田のリッツカールトンホテル大阪だった。阪神タイガースからは久万俊二郎オーナーと手塚昌利阪神電鉄社長、野崎勝義球団社長の3人が出迎えた。午前11時過ぎの新幹線で大阪に乗り込んだ星野仙一さんは出迎えた磯野阪神電鉄秘書部長とともに会談場所に向かい、超極秘の監督就任交渉が始まった。
雲行きは最初から怪しかった。10月中旬の暑い日、名古屋市千種区の星野邸で行った初めての〝招聘(しょうへい)交渉〟で、星野さんは「ワシの背中には中部、東海地区で応援してくれたドラゴンズファンがいる。ドラゴンズを辞めてすぐの来季、阪神のユニホームを着ることはできん。島ちゃん(02年の中日2軍監督就任を発表済み)に1年だけ阪神監督を務めてもらい、翌年の再来年からワシが監督として乗り込みたい」と予想外のプランを口にした。
しかし、星野仙一さんを「願ってもない人」と身を前に乗り出した久万オーナーが「島野育夫監督案」を飲むのだろうか。野村監督の沙知代夫人の脱税容疑による逮捕が秒読み状態となる緊迫した状況下で、阪神には〝えり好み〟のできる余裕もあまりないが、それでもオーナーが星野プランに乗るのだろうか…。悲観的な予想が頭の中に充満していた。それでも、オーナーと闘将が直に会えば、何か新しい〝化学反応〟が起きるのではないか。例えばオーナーが島野監督案を妥協してのむとか、闘将が俄然(がぜん)やる気になって、自らのプランを引っ込めるとか…。いちるの望みを捨てきれないからこそ、11・7極秘会談をセットした。
時間の経過がもどかしいほど遅かった。午後4時を過ぎた頃だったと思う。星野さんに電話した。
「監督、お疲れさまです」
「おうっ! ワシはもう名古屋の家に帰っとるわ」
「えっ、そうなんですか…。早いというか…」
「せっかく大阪まで行ったんやから、阪神は何かうまいものでも食べさせてくれるのかと思ってたら、出てきたのはサンドイッチだけやったわ(笑)」
「そうでしたか…。それでどうなりました」
「ワシは『島野監督で1年やってほしい。その後で乗り込む』と言うた。そやけど、じいさん(久万オーナーのこと)は『それは困る。受けられん』…と。それならワシも『受けられん』。それでしまいや」
「そうでしたか…」
「阪神の来年の監督は仰木や。球団社長の野崎さんか? しきりに『ウチの次期監督候補には仰木さんがおります』と言うてたわ。ワシの前で言わんでもええのにな。なんでもフリーエージェント(FA)で片岡(日本ハムから)と田口(オリックス)を獲るらしいやないか。片岡と田口が入って、仰木なら阪神は来季、優勝するぞ」
その後、少しだけ話を続けて電話を終えた。やはり会談は決裂。阪神と星野仙一の赤い糸は結ばれることはなかった、この時点では…。