↑のつづき。

さて、
佐那河内村の御間都比古神社を後にして
山を下り、南へと向かった。

約50分ほど車を走らせて
やってきたのは阿南市。

この地にどうしても参拝したい神社があった。

昨年の夏、千葉県成田市の
麻賀多神社奥宮の境内社にて↓

明らかに阿波の痕跡である。

そんなカシワヒメの元宮は
この阿南市にある。


ついにやってきた。

こじんまりとした境内。

この神社もまた、日本の古代史において
超重要な神社である。

気づいている方は
まだまだ少ないかもしれないが。



この扁額。

賀志波比売の名を関する式内社は
阿波徳島だけだ。



拝殿。

延喜式内小社 
阿波国那賀郡 賀志波比売神社 論社
『賀志波比売(かしはひめ)神社』

鎮座地 徳島県阿南市見能林町柏野
創建 不詳
祭神 賀志波比売命(カシワヒメ)

地名の「柏野」はカシワヒメからだろう。


現在は、付近の見能方八幡神社の
境外社という立ち位置だが、
同じく論社である阿南市津乃峰山頂の
津峯神社の元宮と云われている。

賀志波比売命が何者かというと、↓
境内の石碑には
『天照大御神 生誕之地 』と彫られている。


賀志波比売命は天照大御神の幼名だと
云われている。


ちなみに、
ワタシがこの石碑の前に立った瞬間が
2023年の冬至点だった。

ここからまた、岩戸は開かれる。

境内の案内板↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本最古の歴史書「古事記」に

『夫婦神の伊邪那岐命と伊邪那美命は、
高天原から降りて来られ
国生みをはじめられた。
その途中で亡くなった伊邪那美命に会うため
伊邪那岐命は黄泉の国に行き、
「見てはいけない」と言われた
伊邪那美命の屍体を見たため追われた。
黄泉の国を逃げ出した後、伊邪那岐命は
「竺紫の日向の小門阿波岐原」で
禊ぎ祓いをすると、
天照大御神と月読命と須佐之男命が生まれた。
この時、伊邪那岐大神は
「天照大御神と月読命は高天原を治めよ。
須佐之男命は海原を治めよ。」と命じた。』

と記されています。

「竺紫の日向の小門阿波岐原
と祓詞でも奏上される「竺紫」とは、
「尽きる」で、「日向」は、
ひむか・ひむかし・ひんがし
・ひがしと変化した言葉です。
つまり「竺紫の日向」とは
「東に尽きた地」という意味です。

神武天皇が奈良へ行く前の最東端の地は、
橘湾に面した阿南市見能林町青木・
柏野地域にあたります。
ここが『天照大御神の生誕の地』です。
賀志波比売大神の神名は
「古事記」等に書かれていませんが、
伊邪那岐命がこの地で禊ぎ祓いをして
天照大御神が生まれたと「古事記」に
記されていることから、
天照大御神の幼名は賀志波比売大神
であったと考えられます。

光輝く天照大御神と月読命は、
高天原(神山町)へ巫女として送られました。
賀志波比売神社は、
平安時代(927年)に完成した
延喜式神名帳の中に記録された
3132座の由緒ある延喜式内社の一社です。

現在、賀志波比売大神は
津峰山頂にある津峯神社に奉斎されています。
御神紋は八角形(三方)です。
神様に御供えする際に使われる「三方」は、
古くは柏の葉(ひらで)が用いられ、
現在も皇室では使用されております。
また、「柏」は「柏手を打つ」
というように神事と
深い関わりを持っているのです。

阿波古事記研究会
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



この地が天照大御神生誕の地と
言われている理由に関しては、
このブログで幾度となく書いているので
下記も併せてお読み頂くと有り難いです↓

実は、
賀志波比売神社の祭神に関しても
様々な説がある。

候補①
『天照大御神』つまり、
『大日孁貴命』。
巫女の方の天照である。

阿波古代史においては基本中の基本とも
言える説であり、

いつも参考にしている書籍にも

天照大御神生誕之地として

紹介されている。↓


 

 




候補②
第12代景行天皇の后である
『御刀媛(日向之美波迦斯毘売(ミハカシヒメ))』。

日向国造の祖となった
豊国別皇子を生んだ人物。

この地が
『竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原』
といわれる説とも紐付けることができる。




候補③
夏高津日神(なつたかつひのかみ)
別名夏之賣神(なつのめのかみ)。

『阿波誌』↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
賀志波比売神社、夏之売命を祭る、
見能潟に在り俗に津峰権現と号す。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~

見能潟とは、昔は海が入りくんでおり、

現在は陸地となっている

ここ見能林のことだろう。


夏高津日神の神名から連想するのは

「夏至」「日が高い」「日が長い」。


「日がい」女神。

ここ重要





御刀媛や夏高津日神に関しては、
高レベルの考察を展開しており、
参考にさせて頂くのが一番(笑)↓
『阿府志』↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
賀志波比売神社、
夏之売命(なつのめのかみこと)を祭神。
羽山戸神大宣都姫を娶て
夏高津日神(なつたかつひのかみ)
亦名夏之売神を生む…とあり、
夏之売神は、
羽山戸神と大気都比売神の子である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

阿波式内神社考にも同様の内容が
記されていた↓

賀志波比売は
羽山戸神大気都比売神の子だった
可能性がある。

大気都比売神の配偶神は事代主神

これに関しては
二つの説が挙げられるだろう。

羽山戸神とは何代目かの
大気都比売神の配偶神である。

羽山戸神=事代主神である。

「羽」の字は大気都比売神の別名
『天津羽羽神』にも採用される。

また、事代主神の父大国主命
カモの祖神でもあり、
阿波説では天日鷲命と同一神。

鳥や羽に関連する一族である。



これは面白くなってまいりました。


ちなみに、
祭神の候補④は磐長姫命である。

これに関してもコラクさんのブログにて↓

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

橘湾を挟んで津峯神社の南方に聳える

明神山にご鎮座する峯神社は

木花開耶姫命であり、

津乃峰には姉君 賀志波姫命

祀られている。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とされており、
木花開耶姫命の姉である
賀志波比売命つまり磐長姫命が
津乃峰に祀られているとされているのだ。


ちなみに、
賀志波比売大神を祀る津峯神社には
相殿に大山祇大神も祀られている。

※大山祇大神は、
石長比売命と木花開耶姫命の父神。


そして、
大宣都比賣を娶り
夏高津日神を生んだ羽山戸神は、
「大山祇今云う三島の神」
つまり、羽山戸神=大山祇大神だと
古事記に記されているのである。


これが正しければ、
賀志波比売は
大気都比売の御子神であり、
木花開耶姫命の姉だという説も
成り立ってしまうのだ。


そして、阿南市は元々
那賀(ナガ)郡だった。




さらに
賀志波比売命に関連しそうな女神がいる。

宮城県栗原市志波姫八樟新田に鎮座する
式内社論社『志波姫神社』である。

社名は『志波姫(シワヒメ)』だが、
何故か祭神は『木花開耶姫命』。

磐長姫命=賀志波比売命(カシワヒメ)
木花開耶姫命=志波姫(シワヒメ)
だった場合、
姉妹の名前の類似が見られる。

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面白いのが、志波姫神社の創建は
第45代聖武天皇の御代であり、
賀志波比売命を津乃峰山頂に遷した時期も、
同じく聖武天皇の御代であるということだ。
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また、志波姫神社は
元は伊豆野権現社と呼ばれていた。

そこで伊豆に目を向けると、
伊豆半島の南西部、
静岡県賀茂郡松崎町雲見に鎮座する
雲見浅間神社の祭神は磐長姫命であり、
浅間神社では珍しく、木花開耶姫命ではなく
単独で磐長姫命を祀る神社である。

そして、雲見浅間神社は伊豆国式内社
『伊波乃比咩命(イワノヒメ)神社』の論社。

同じく伊波乃比咩命神社の論社
三宅島の『二宮神社』には、
伊波乃比咩命とその第二子が
祀られており、
三宅島記では、伊波乃比咩命は
三島大明神(事代主神)の第二后とされる。

ちなみに第一后は、伊豆国式内名神大社
神津島の『阿波命神社』に祀られる
阿波咩命(アワメ)。

阿波咩命とはもちろん、
阿波の女神大気都比売神のことである。


ちなみに、
東京都唯一の名神大社である
阿波命神社が鎮座する場所は、

東京都神津島村長浜(ナガハマ)


徳島県阿南市は元々『長ノ国』だった。



例えばこういうのはどうだろう。

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イワナガ姫とは、

長ノ国の大王 事代主神(大山祇命・羽山戸神)

粟ノ国の女王 大気都比売神

両方の血を受け継いだ

大日孁貴(日ノ神子)の正統後継者

粟長姫(アワナガヒメ)だった❗

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万葉集を見る限り、「ア」と「イ」は同義音。
つまり、変換可能なのである。


また、
姉の磐長姫命が賀志波比売(カシワヒメ)
なのであれば、
妹の木花開耶姫命の元名は
神吾田鹿葦津姫(カムアタカシツヒメ)。

どちらも「カシ」の名が入ることも
無関係とは言い切ることはできない。


ちなみに、
『播磨国風土記』では
木花開耶姫命は
伊和大神(大国主神)の后とされている。


ここにも「ア」と「イ」のトリックがある。


伊和(イワ)大神は
阿波(アワ)大神だったのだ。


社殿には神紋『八角御紋』が見える。


ちなみに、天照大御神が祀られる
天石門八倉比賣神社の社紋は『抱き柏』。



八倉比賣神社の神紋は「柏」であり、
賀志波比売命との関連性がある。

賀志波比売命神社や
津峯神社の神紋『八角御紋』については、
津峯神社のHPの情報を要約すると↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
八角御紋は「三方」の形を表している。

「三方」とは、
神事において神に御供えする
神饌を載せる台(食器)のこと。

昔は、食物を柏の葉に盛る風習があった為、
「カシワ」=「食器」の総称であった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
つまり、二つの神紋の共通点は
「カシワ」。

「食器」「神饌」のキーワードは、
食物の神『大気都比売神』の
神格とも一致する。


柏(カシワ)の葉は、秋になり葉が枯れても、
翌年の春に新芽が芽吹くまで
古い葉が落ちない(葉が途絶えない)。

「途絶えない」柏は、
子孫繁栄を意味する縁起の良いものだった。


「カシワ」は「永遠」の象徴なのである。

磐長姫命もまた、永遠の象徴だった。


大人の手ほどの大きさがある柏の葉は、
古代から食べ物の器や
神事の際に神に捧げる御食(みけ)の
器として用いられてきた理由は
大きさだけではなく、実際に
葉に含まれる成分『オイゲノール』には
殺菌効果もあり、
植物の保存にも適していた為だった。

だから柏餅なのだ。

古代人の知恵には驚かされるばかりだ。

ちなみに、
柏の英名は「Japanese Emperor Oak」

直訳すると
日本の皇帝のオーク(ブナ科樹木)。

つまり、『天皇の木』という意味である。



食べ物の器である柏(カシワ)と
深く関わりを持つのが、『阿部(アベ)』。

神山町『一宮大粟神社』の阿部宮司の
始祖『阿閇御祖神(あへのみおやのかみ)』。

阿閇御祖神は、
大宜都比売大神に食事を与える役割だった。

そして、
柏といえば、千葉県柏市(かしわし)。
阿波忌部の痕跡が色濃く残る千葉県である。

柏市の隣には『我孫子市(あびこし)』。

我孫子の由来には諸説あるが、
大王(オオキミ)に魚や鳥などの
食糧を調達する役割『阿毘古(アビコ)
が由来だとする説がある。

阿毘古(アビコ)阿閇(アへ)は、
どちらも食物調達係であり、
同じルーツなのではなかろうか。


また、アビコは、
ヘブライ語の『Abik』が由来
だとも云われている。

その意味は「我らの先祖たち」。


そう、


阿部(アベ)とは…




波忌(ワイン)❗


だったりして(笑)








真冬の太陽はポカポカして
とても大好きだ☀








さてさて、
賀志波比売神社を後にして、
徒歩圏内の八幡神社八坂神社へ向かった。





鳥居には『八幡神社・八坂神社』の扁額。



境内社『土肥神社』。

左隣の小さな社は『八意神社』。




小さな境内社たち。

『見喜神社』『水神神社』など。





境内社『子安神社』。





小さな境内社の中の
真っ赤な祠は『野守神社』。

オオゲツヒメさん(元稲荷)かな❓️






とても立派な神社だった。



この神社の裏手に回ると…↓
『みそぎ岩』の説明板が。




さらに進むと…

この岩が本家本元(かもしれない)
『みそぎ岩』。



小さな小さな祠には、
小門(をど)神社』の碑。

ここが
竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原である❗


付近には橘湾や橘町の地名があり、
四国の東に尽きた場所であり、
昔は湾が入りくんでいた。

阿南市見能林町の地名『青木(アオキ)』は
阿波岐原(アワギハラ)が訛化したもの。


そして、津峯神社も鎮座する
阿南市津乃峰町には『長浜』の地名もあり、
遥か遠くの神津島と繋がっている。


海沿いにあるのは『袙(あこめ)海岸』。

「袙(あこめ)」とは装束の中着のことである。

イザナギが黄泉の国の穢れを落とすために、
衣服を脱ぎ、
みそぎ祓いをおこなった場所に
ふさわしい地名である。


阿波岐原の名前の意味を
今一度考えてみようじゃありませんか
皆さん❗


つづく。


ではまた❗


 
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