富も名声も得たはずのカリスマが、貧しく寂しい最期を迎える。それはなぜ? ビジネスと人生の失敗学を探求する本連載。第1回に取り上げるのは、天才科学者ニコラ・テスラ。電気自動車のテスラを率いるイーロン・マスクCEOをはじめ、スタートアップ界隈を中心に今も多くのファンを持つ。発明王エジソンを負かしたはずが、ホテルの一室で孤独死。どうして一体、こんなことに――。

ホテルの部屋で孤独死

 男が暮らしていたホテルのドアには、“Don't Disturb(起こさないでください)”という札が三日間もかけられたままだった。不審に思ったメイドが中に入ってみると、男はベッドで息絶えていた。検死の結果、死亡推定日時は一九四三年一月七日の午後十時半、死因は冠動脈血栓症とされた。

 男は自宅を持たず、長年ホテル暮らしを続けてきた。かつてはウォルドーフ・アストリア・ホテルなどの名門ホテルを定宿とし、食事もホテルの高級レストランで取るという贅沢な暮らしをしていた。しかし、晩年は借金を抱えて支払いが滞り、宿泊費の安いホテルに移らざるを得なくなっていた。

 男の日課は近くの公園にいるハトのエサやりだった。体調がすぐれないときには、ホテル従業員に「代行」を依頼するほど溺愛していたという。生涯独身で極度の潔癖症、身の回りの世話を他人に委ねることを拒んでいた男にとって、公園にいるハトが唯一心を開くことができる存在だったようだ。

 男の名前はニコラ・テスラ(Nikola Tesla)。

ニコラ・テスラ(1856-1943)。電気自動車のテスラの社名は、創業者のイーロン・マスクが天才科学者テスラのファンだったことに由来する(写真=GRANGER.COM/アフロ)
ニコラ・テスラ(1856-1943)。電気自動車のテスラの社名は、創業者のイーロン・マスクが天才科学者テスラのファンだったことに由来する(写真=GRANGER.COM/アフロ)

オバマ大統領も絶賛したのに……

 誰にも看取られることなく八十六年の生涯を閉じた男について、ニューヨーク市長フィオレロ・ラガーディアがラジオで弔辞を読み上げた。

「質素なホテルの部屋で亡くなったニコラ・テスラは、貧しい中で亡くなったが、彼は人類の進歩に貢献した、史上もっとも成功を収めた人物の一人であった」と。

 葬儀にはおよそ二千人が参列、地元紙「ニューヨーク・サン」は、「彼の推測はしばしばぎょっとさせるほど正しかった。おそらく私たちは数百万年後に彼をもっとよく理解することだろう」と、その業績を称えた。

 二〇一〇年、テスラの名前はアメリカ大統領バラク・オバマの演説に登場する。

「絶え間ない移民の流入が、今日のアメリカを築いたのはもちろんのことです。アルベルト・アインシュタインの科学革命、ニコラ・テスラの発明、アンドルー・カーネギーのUSスティール、セルゲイ・ブリンのグーグル。……これらはすべて移民の力によって可能になったのです」(二〇一〇年七月一日・ワシントン・アメリカン大学での演説)

 クロアチアからの移民であったテスラは、科学の巨人アインシュタインや大富豪カーネギーらとともに、優れた業績を上げた移民の一人として賞賛されたのだった。

 テスラが成し遂げた「人類の進歩への貢献」とは何だったのか。テスラは何に失敗したのか。
 今もなお人々からの尊敬を受けるテスラは、なぜ孤独な死を迎えることになったのだろう。

「脳内3Dプリンター」を持つ神童

 ニコラ・テスラは一八五六年七月九日の深夜、クロアチアの小さな村で生まれた。

 テスラには、幼い頃から特別な能力があった。数式や物の仕組みを考えると、三次元のイメージとなって脳裏に浮かび上がってくるというのだ。「3Dプリンター」を頭の中で作動させているような特殊な能力によって、テスラは直感的に数学の問題を解き、教師を驚嘆させたという。

 大変な読書家でもあり、読んだ本は自然に丸暗記してしまうほどの記憶力も発揮したテスラは、語学にも非凡な才能を見せた。母国語のセルボ・クロアチア語に加えて、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語をマスターし、より広範な知識を得ていく。

 幼いテスラが強い興味を持ったのが水車だった。五歳のとき、テスラは木製の小さな水車を作り、クルクルと回るその姿に胸を躍らせる。「いつか、ぼくはアメリカに行って、ナイアガラ瀑布を利用して力をつくるんだ」と空想していたテスラ。そのアイデアが実現されるのは三十年後のことだ。

エジソンも諦めた「交流」をあっさり実現

 一八七五年、オーストリアのグラーツ工科大学に入学したテスラは、交流モーターの開発に取り組む。当時、ほかに手を出す者がほとんどいなかった研究だ。

 電流には直流と交流がある。直流は送電できる範囲が狭く、電力を広く届けるには多くの発電所を建設する必要がある、という弱点があった。一方、交流は送電できる範囲が広いものの、交流モーターをはじめとした機器、部品の開発が進んでいないという問題があった。

 トマス・エジソンが発明した白熱電球は直流を使用したものだった。発明王エジソンは、交流モーターをはじめとした交流システムの構築は困難だと考えていた。そのため、送電における交流の優位性を認めながらも、自らが発明した白熱電球とそのための電力供給を、直流システムで構築しようとしていたのである。

 ところがテスラは、エジソンですら諦めていた交流モーターを実現する独創的なアイデアを思いついた。「二相交流誘導モーター」と呼ばれるもので、テスラはこれを設計図も描かずに頭の中の「3Dプリンター」で作り上げてしまったのだ。

テスラVSエジソン ~「電流戦争」勃発

 テスラは交流モーターのアイデアをエジソンに見てもらおうと考え、一八八四年に持ち物を売り払って渡航費用を工面し、アメリカ・ニューヨークのエジソン社に向かった。

 電気技師として採用されたテスラは、エジソンに交流モーターを提案したものの、完全に無視されてしまう。エジソンは自分ができなかった交流モーターを、ヨーロッパの片田舎から出てきた若造に作れるはずがないと決めつけていたし、その可能性を検討している時間的な余裕もなかった。白熱電球を売るためには、一刻も早い電力供給システムの整備が必要であったため、すでに技術が確立されていた直流システムに固執したのだ。

 エジソンに失望したテスラは、一八八五年にエジソン社を辞めて、自分の会社を設立する。ところが、資金不足からすぐに倒産し、日雇い労働者となったこともあった。

 悪戦苦闘を続けるテスラに、強力な援軍が現れる。著名な発明家で豊富な資金を持つジョージ・ウェスティングハウスだ。 ウェスティングハウスの資金援助を得たテスラは、発電機や変圧器など交流システム全体を一気に開発し、エジソンの直流システムに戦いを挑んだ。電流システムの覇権を争う「電流戦争」が始まったのである。

エジソンの「動物実験」

 先行していたのはエジソンの直流システムだ。テスラが交流システムの構築に乗り出した一八八七年には五十七カ所もの発電所を造り、数十万個の電灯を灯すまでになっていた。

 しかし、直流システムの根本的な弱点は克服されていなかった。テスラ=ウェスティングハウス陣営の交流システムは、遠距離送電が可能という優位性を前面に出して、直流システムの牙城を崩し始めた。慌てたのはエジソンだ。交流システムに覇権を奪われれば、直流システムの投資が水の泡となり、ビジネス上の大打撃となる。

 エジソンは交流システムに対する、徹底したネガティブキャンペーンを始める。交流システムの最大の特徴は高圧送電にあるため、その危険性を強調しようとしたのだ。

 エジソンが行ったのは「動物実験」であった。交流システムで一千ボルトの高圧電流を発生させ、生きた犬や猫を人々の目の前で感電死させて、恐怖心を植え付けようとしたのだ。

 エスカレートしたエジソンの「動物実験」は、人間にまで及んだ。

 当時のニューヨーク州では、新しい死刑の実施方法として電気椅子の導入が検討されていた。エジソンはそこで使われる電流を、交流にするように州当局に働きかけたのだ。交流は殺人すら可能であるというのである。もちろん、高圧電流であれば、交流であれ直流であれ人を死に至らしめるのだが、あえて交流を採用させることで、その危険性を強調しようとしたのである。

 一八九〇年、世界初の電気椅子による死刑執行は、エジソンの要求通りに交流によって行われた。交流は「殺人電流」と呼ばれるようになり、エジソンは人を殺すことを「ウェスティングハウスする」と呼ばせようとまでした。

 過激なネガティブキャンペーンにもかかわらず、交流システムの技術的な優位は揺るがなかった。一八九三年に開催されたシカゴ万国博覧会の電流システム入札で、交流システム陣営が勝利したことで大勢が決した。博覧会のシンボルとなった「光の塔」や「ホワイトシティ」は、眩いばかりの電気照明で照らされ、世界各地から集まった二千七百万人もの人々の目を奪う。シカゴ万国博覧会はテスラの勝利と、「電気の時代」の到来を全世界に示す機会となったのだ。

 シカゴ万国博覧会が行われていた一八九三年十月、電流戦争は最終決着を見る。ナイアガラ瀑布を利用した発電所建設で、交流システムが採用されたのだ。「ナイアガラ瀑布で力をつくる」という少年時代の夢を、テスラは見事に実現したのである。

美男子テスラ、社交界の花形に

 もし、電流戦争でテスラが敗れ、直流システムが採用され続けていたら、現代のように電力が広く使われることはなかったかもしれない。ニューヨーク市長ラガーディアがテスラ追悼メッセージで述べた「人類の進歩への貢献」とは、交流電流システムの開発のことであり、蒸気機関の発明などに比肩するほど重要な貢献だったのである。

 テスラは時代の寵児となった。百八十センチの長身、甘いマスクに緩やかにカーブする黒髪を持つ美男子だったテスラは社交界の花形となり、連日のように高級ホテルで開かれるパーティーで、女性たちに囲まれる日々を送った。

 交流システムを開発したことで、巨額の特許料を手にすることもできた。科学者・発明家としての大きな名声と今後の研究資金も手にしたテスラ。ヨーロッパの小さな国で生まれ、片道切符でニューヨークに渡ってからおよそ十年、発明王を打ち破ってつかんだ栄光であった。

 そんなテスラが、なぜ転落したのか――。

 次回は、テスラの暴走から始まる転落劇。「天才科学者」が、「起業家」として失敗した原因を、ドラッカーのイノベーション論を交えて分析する。

■参考文献
・ 『発明超人 ニコラ・テスラ』(新戸雅章著/筑摩書房)
・ 「Tesla Memorial Society of New York Website」(http://www.teslasociety.com/)
・ 『The Electric Chair: An Unnatural American History』(Craig Brandon / McFarland)
・ 『科学史の事件簿』(「科学朝日」編/朝日選書)

本連載をまとめて読める。書籍『あの天才がなぜ転落』が発売です

驚愕の破滅人生!
著名な大金持ちが大転落、貧しく寂しい末期を迎える。
歴史に残らなかった12人の栄光と挫折に学ぶ、失敗学。

◎ テスラCEOも惚れた天才科学者
◎ フランス中央銀行総裁に成り上がったギャンブルの奇才
◎ 三菱、三井を超える巨大商社を率いた名参謀 ……

あれほどの成功をつかんだ男がなぜ――?

競争戦略にマネジメント論、マネー論など、
経営学と経済学の切り口から、「残念な偉人」を徹底解剖。

【本書が取り上げる12人】

◇ ニコラ・テスラ/エジソンに勝利した天才科学者の哀しい最期
◇ ホレス・ウェルズ/麻酔の発見者が詐欺師と歩んだ悲惨な末路
◇ ジョン・アウグスト・サッター/湧き出る黄金が農場主に災いを招く
◇ 金子直吉/三菱、三井を超えた名参謀 巨大商社と共に沈む
◇ 坪内寿夫/消えた資産は数千億円 幸之助と並んだ再建王
◇ 山城屋和助/日本官民汚職の原点 政商が選んだ壮絶な最期
◇ ジョン・ロー/史上最大のバブルを仕掛けたギャンブルの奇才
◇ 岩本栄之助/寄附で名を馳せた大阪商人 相場の罠に落ちる
◇ 渡辺治右衛門/「世紀の失言」が大富豪を悲劇に巻きこむ
◇ 松本重太郎/「西の渋沢栄一」が全財産を投げ出した事情
◇ 薩摩治郎八/パリ社交界の花形「バロン薩摩」の最期は建売住宅
◇ ポール・ゴーギャン/孤高の天才画家は、脱サラに失敗した証券マン
まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。

秋割実施中