
パドレスのダルビッシュ有投手の弟・賢太さんは現在、22年に発覚した精巣ガンの治療のため闘病生活を送っている。同年3月に睾丸の摘出手術を行ったが、その後、転移が見つかり、今年2月から抗がん剤治療を開始した。闘病の様子を積極的に自身のSNSで発信する賢太さんが今、伝えたいこととは何か。(取材・構成=西村 茂展)
入院している関西の病院からオンライン取材に応じた賢太さん。画面に映る表情に暗さは見えない。賢太さんは今年の2月から抗がん剤治療を開始した。
「そもそもで言ったら25歳くらいから右の睾丸が肥大化しはじめていたんです。最初は何か出来物があるというか、硬いけど押しても痛くない。でも、それが明らかに大きくなってきてる感じがあって。泌尿器科に行って見てもらったら『ガンの可能性があります』と。腫瘍マーカーとか、血液検査したらだいたい普通の人が4とか5以下くらいの数値が、80くらい出ちゃって。紹介状書いてもらった病院で見てもらった結果、精巣ガン。それから睾丸の摘出手術を受けました」
その後、普段通りの生活を送っていたが、摘出手術から6か月後の検査で、みぞおちの部分に転移が見つかった。現在は3種類の抗がん剤を併用するBEP療法という治療を受けている。16日間を1クールとし、現在は3クール目に入っている。最初の5日連続で抗がん剤を投与し、そこからは2日間空けてからまた1日投与する…といったスケジュールをこなす。
「年齢が若いとか持病とかそういうものがなくて、体がフレッシュで闘える人が選べる治療法やと思います。抗がん剤治療にも種類がいろいろあって。いろんな大変があるから優劣を付けるわけでもないんですが、たまたま僕は若くて体力があったから、これを受けられるというだけで。抗がん剤治療でも、進行を抑えるのではなく、ガンをつぶしにいくのは体にはすごいタフみたいで。途中で間を開けるのも、休まないと体が持たないからみたいで。高齢で、持病を持ってて体力もないとなると、闘ってる最中にそれで体力を奪われてしまうようです」
当然、治療には様々な副作用も起こる。それについても赤裸々に語った。
「点滴を受けている時は吐き気止め、痛み止め入ってるから、むしろましと言えます。やっぱりピークは寝起き。吐いて、1日がスタートする感じで、そこが1番しんどいです。吐き気、熱、口内が荒れたりとか、味覚障害とか。僕の場合、第1クールは僕は完全に食欲が終わりました。本当に何も食べたくなくなって、1週間で12キロくらい痩せた。それがやっぱ体力的にきつかったですね。白血球の値も下がって。2クール目は全体的なしんどさ。ベッドで寝てて、上から幅も厚みも見えへん重たいプレートみたいなものでつぶされてる感覚。身動き取れないし、何の気力もないし。それが48時間くらい続きました」
そんな中で、賢太さんは自身のSNSで、闘病の様子を発信し続ける。今、1番伝えたいことは何か。
「僕がガンになって苦しみながらも前向きに過ごしている、とかを見てほしいとか、全く思っていなくて。『こういうことから学べることってめっちゃ多いぞ、人生』ってことを発信したいんです。いいことと悪いことって人のジャッジはあると思うんですけど、個人的には世間一般的にみんなが求めるハッピーなことから学んだことって少なくて。周りから見たらネガティブなこと、今回も『大丈夫ですか?』ってみんな言ってくれるんですけど、こういう風にガンにならないと、そもそもガンになった人の気持ちは分からない。BEP療法もここまでのことをしないと、抗がん剤のしんどさとか副作用とかも分からない。これまでに、ガン患者の人も周りにいた。話を聞いても『大変ですね』とは言うけど、どこかで右から左じゃないですか。抗がん剤ってこんなにしんどいんや。副作用ってこんなんなんやって思えて。何か人の気持ちをもう一段、考えられるようになってると思うんです」

★闘病期間をポジティブに受け止め
闘病期間を自分が成長する時間だとポジティブに受け止めている。全ては考えたり、気づいたりするきっかけを与えてもらっているんだ、と。
「右の睾丸を取った時も、おなかの下を15センチくらい切ったんですよ。そこから、繫がっている部分を切除して。僕の場合は、部分麻酔でしたが、下腹部を燃やされて取られてる感覚とかはある。表面だけじゃなくて、皮膚組織から筋肉から切ってるから。寝返りも打てない。2、3週間後にやっと立てて、廊下歩くのも30~40分くらいかかった。そう言えばと思って調べたら、帝王切開も15センチくらい切るらしいんですよ。傷の大きさが一緒だなって分かった時に『帝王切開なめてたな』って思ったんです。男性は『自然分娩より、切ったらつらい思い少なく産めるだろう』って思ってる所はあると思う。ちょっとでも触れたことで考えたきっかけ。それを経験しないと考えることもなかった」
発信を続ける一方で、いろんなSNSユーザーから、連絡をもらうこともあるという。過去の体験談の声などもありがたく寄せられるが、思うこともあるという。
「たとえばSNSのダイレクトメール(DM)とかもいただくんですけど、僕がガンってものを発信すると、ガン患者が仲良くなりたいって思ってるって感じで送ってくれたりするんです。だけど、そういうことではなくて。たとえば『僕は7クールやりました。でもまだ元気でいます』とか。それはすばらしいこと。でも、僕は痛みを共有したいとか、ガン患者とコミュニティーを作りたいわけじゃない。これはありがたい時間やと思っていますから」
当然、力になるのは家族のサポートだ。先日にはすばらしい出来事もあった。3月7日、京セラドームでWBC日本代表とオリックスの強化試合が行われた。幸運にも退院の許可が下り、さらに様々な条件が奇跡的に重なって、代表参加で帰国していたメジャーリーグ・パドレスに所属する兄の有と対面することができた。
「あれもたまたま、BEP療法の空きのスケジュールやったんですが『流し』っていって、本当は点滴で水分だけは入れなきゃあかん日で、外出できる予定ではなかったんです。けど、僕の腕ってもともと血管が出にくくて、さらに抗がん剤の影響でむくんでて針が刺しにくい。どうしよかって時に、主治医が来て『流し終わったら2日間空くから、もし食塩水みたいなものを1日2リットルくらい飲めるのであれば、もう今日から退院していいよ』って言われて」
主治医に事情を説明した上で許可をもらい、有も人との接触が避けられるように個室を用意。試合前にその部屋を有が覗きに来てくれた。
「となりの部屋も空いてるからって2部屋も取ってくれてて。全然使うことないから、1部屋だけ使わせてもらったんやけど。有も試合前に来てくれて。その時に『大丈夫なん?』『まあまあとりあえず大丈夫やで』って。本当は外とか歩いたらすぐ息切れて、基礎体力はすごい落ちているんです。抗がん剤治療の人がすごく悩むのがそこみたいで、基礎体力が戻るまでに半年とか1年かかるみたい。僕も有に会えた時は元気やったけど、そこから1時間くらいで帰って。2日間の退院で元気やったのはその時だけで、あとはもうベッドでしたね」

★兄・有が日本代表入り決断の真意を推察
様々なタイミングが全て重なったことを「奇跡」と表現した。そもそも、有が日本代表入りを決断したことが意外ではあった。だが、賢太さんは、聞いていた兄の言葉から、有が3大会ぶりに日の丸を背負った理由の真意を推察する。
「本当に、あれは奇跡やと思います。去年の秋に1か月くらいアメリカ行っていて。その時に『有、WBCどうすんの?』って聞いたら『いや、難しいと思うよ』とは言っていて。『でも、大谷君とか佐々木くんとか山本君とか、ああいう子らの球を目の前で見れるのはそんな機会しかないから、それだけは見たいな』とも言ってて。だからたぶん、大谷君のためにとか栗山さんの存在から、とかいろいろ言われていますが、たぶん有が出た理由は個人の誰か(のためとか)じゃないような気がするんです。向上心というか、自分のために。僕はそう思います」
尊敬する家族の雄姿も力に変える。闘病は学びの時間と受け止め、前を向いて闘っていく。