2023年初夏にHYDEにインタビューした際、彼が最後に口にしたのは「ニューアルバムはかなり攻撃的な内容になると思う」という宣言だった。その言葉通り、約5年ぶりにリスナーのもとに届けられたソロアルバム「HYDE [INSIDE]」は、HYDEのキャリア史上最も激しく獰猛で、生々しい感情をあらわにした作品に仕上がっている。
本作に収録されているのはコロナ禍以降にリリースされた全シングルと、「HYDE [INSIDE]」の世界へと誘うインストゥルメンタル「INSIDE HEAD」、かつてないほど凶暴なサウンドを打ち出した「SOCIAL VIRUS」、タイトルを含めさまざまな考察を呼びそうな狂おしいバラード「LAST SONG」の13曲。HYDEのこの5年間の変遷を一気にたどることができる構成と言える。自らの名前を冠したアルバムを、このタイミングで発表した背景は? 自らも「デビュー2年目のアーティスト並み」と認めるレベルでフェスに積極的に出演する意図とは? HYDEの“INSIDE”を探るべく、さまざまな質問をぶつけてみた。
取材・文 / 中野明子撮影 / 森好弘
HYDEは百聞は一見に如かず
──今年は春から複数のフェスや大型イベントに出演されていましたよね。4月末に行われた「ARABAKI ROCK FEST.24」を起点とすると実に13本。その間にはソロ名義でのライブハウスツアーも行われていますが、例年以上に精力的にフェスに出演されている理由は?
基本的にフェス出演はプロモーションだと思ってます。いろんなアーティストが出演するフェスは、自分のファンじゃない人に対してアピールできる絶好の機会。これまで作り上げられたL'Arc-en-CielのHYDEとしてのイメージもあるだろうし、今僕がソロでやってることって決して世の中の流行とリンクした音楽性でもないし……僕の音楽は百聞は一見に如かずというか、音だけでは百聞にも届かないと思ってるんです。だからライブを観て、そのエンタテイメント性や音楽性を体感してもらうのが早いかなと。それで今年はいろんなフェスに参加しています。
──当然のことながら単独公演とフェスでは、セットリストの組み方やパフォーマンスは異なりますよね。
そうですね。ワンマンは完全に自分の好みというか、自分の世界観をどう面白く見せるか、お客さんも僕自身もどう楽しめるかが重要で。逆にフェスは、その場にいる僕のファン以外のお客さんにどういう曲を届けたら響くかを考えるようにしてます。ロックバンドが多いフェスだったら激しい曲をやったり、ポップ色の強いイベントならその場が盛り上がりそうな曲を取り入れたり。
──フェスごとにカスタマイズしていたと。フェスでのパフォーマンスはもちろん、バックヤードの様子もたびたびSNSで公開されていましたが、印象に残ってるフェスはありますか?
「JOIN ALIVE」(7月に北海道岩見沢で開催された野外フェス)ですね。とにかく気候がいい! 暑すぎず、寒すぎず、気持ちよくて。青空のもとでパフォーマンスができたのもすごくよかった。
──「RISING SUN ROCK FESTIVAL」もですが、北海道の夏フェスはほかの地域に比べて気候が抜群にいいですよね。
そうそう、野外でライブをするのにちょうどいい。ただ、野外は雨の心配がついて回るんですよね。僕ら出演者は雨が降ってもステージに屋根があったり、楽屋を用意してもらえたりするけど、お客さんは濡れたままだから。足元もぬかるんでるだろうし、天気が悪いとファンの子たちのことが心配になっちゃいますね。
──天気に左右されるのは、野外フェスの宿命ではありますよね……。ここまでに出演したフェスの手応えはいかがですか?
お客さんの反応を含めて狙い通りかな。初出演のフェスに対しては新鮮な気持ちで臨めていますし、フェス慣れしているアーティストたちとは違うアプローチを考えたり。
──いくつかのフェスでは出演している若手アーティストとコラボしたり、「DEAD POP FESTiVAL」ではL'Arc-en-CielのKenさんをゲストで呼んだり、特別な演出もありましたね。HYDEさんがフェスに出演するたびにXが盛り上がってました。
サプライズが好きなので(笑)、何をやれるかなあと毎回考えてます。とはいえ、周りには「この出演本数はデビュー2年目のアーティストだ」って言われましたけど(笑)。
──ブレイク前もしくはブレイク直後のアーティストの出演数だなと思ってました(笑)。少し時系列がズレてしまうのですが、春先にはMY FIRST STORYとのダブルネームでテレビアニメ「鬼滅の刃」柱稽古編の主題歌を担当されて、その流れで複数の音楽番組に精力的に出演していたのも印象的でした。
ただ一緒に演奏するというよりも、ちょっとバトルっぽい演出で披露できたのが新鮮でした。それをライブではなくて、テレビでやるというのがよかったなと。今も昔もロックバンドってあまりテレビに出ない風習があるけど、僕はあれが逆にロックを衰退させてる気がするんです。むしろカッコいいロックバンドがどんどんテレビに出て、それまでの風潮を壊していけば、日本の音楽シーンは変わるんじゃないかな。例えばTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが出た番組(「ミュージックステーション」)なんていまだに伝説になってるじゃない? ああいう映像を観たら「ロックってカッコいい」と思う人が増えると思う。
──目にする機会が多いと頭に刷り込まれるという。そういうことを意識して、音楽番組に出演されていたんですか?
いや、今年はたくさんお話をいただいたので流れで出た感じです(笑)。
僕の好きなように、自分の感性を信じて
──フェス三昧の日々もまだ続く中ですが(※取材は8月下旬に実施)、約5年ぶりとなるアルバムがリリースされました。HYDEさんがアルバムについて言及し始めたのが2020年頃でしたので、制作期間としては5年近くになるんでしょうか。リリースまで時間が空いた理由というのは?
一番大きいのはコロナですね。「今リリースしてもなあ」という感じでテンションが上がらなかった。ライブも満足にできないし、できたとしてもお客さんは声を出せないし、じゃあリリースを急ぐ必要ないという雰囲気が続いていたんです。
──つまりはライブありきでアルバムを作っている?
そうですね。ロックバンドにとってライブはプロモーションをするうえで重要だと思うんです。アルバムを出したはいいけどライブができない、というのはアルバムがかわいそう。あとはYOSHIKIさんの影響ですね(笑)。
──それは長年話題になり続けているX JAPANのニューアルバムのことでしょうか……。
いや、それは冗談ですよ(笑)。ライブが思うようにできないという面もありつつ、この5年の間には、L'Arc-en-Cielの活動もあったし、「NOSTALGIC」「FINAL PIECE」とかアコースティック寄りのもう1つのプロジェクトも展開していたからね。
──いざ完成したアルバムを通して聴いた感触はいかがでしたか?
これまでになく攻撃的なアルバムだなと。それでいて、僕らしいキャッチーな部分も出ていて、面白い作品ができたと思ってます。一方で制作期間が長かったので、聴きながら途中で音楽的な趣味が変わっていることも感じましたね。例えば「BELIEVING IN MYSELF」とか、今の音楽性とは違うからアルバム全体の雰囲気から少し浮いちゃってるなとか。「INTERPLAY」も2020年の東京オリンピックをイメージして作ってたのに、コロナが流行って、延期されて……。オリンピックによって日本はいい方向に変わるんだろうと思って、「New World that will follow」と歌詞に書いたのに、想定とは違う世界に突入してしまった。だから、歌いながら変な気持ちになることもあります。
──ただ、そういう曲もあることでHYDEさんの5年間の変遷を、点ではなく線として捉えることができますよね。その中で感じるのが、HYDEさんの音楽性がどんどん激しく、攻撃的になっていることで。歌詞に込められているメッセージも、自分を押さえつけるものに抗うこと、理不尽な状況に怒りを表明すること、抑圧された環境の中で自分の意思を示すことなど、一見すればネガティブな状況や感情を発端としたものが多くを占めている。
曲がヘビーになればなるほど、表現したい怒りの感情が強まっていくんです。あと、激しいサウンドに乗せて「君のことが好きだ」とか歌っても合わないでしょ?
──ステージに上がると強烈な存在感を放っているのに、HYDEさんにお会いするとすごく穏やかで柔らかい空気をまとっているので、そのギャップにはいつも驚かされます。メタル、ハードロック、ミクスチャーサウンドの楽曲の歌詞を書いていくうえで意識していることは?
普段あまり気にしないようなことにも目を向けることですかね。普通に生活をしているときはなるべく自分のダメージを減らしたいから、何かムカつくことがあってもあまり考えないようにしてるんです。でも、曲を書くときには、そういう感情にあえて向き合って見つめる感じ。
──ネガティブな感情を増幅させて解像度を上げて表現するスタイルなんですね。ちなみに今回のアルバムは歌詞も曲もすべてコライトという形で、総勢14名のコンポーザーが参加しています。
この手法は僕の中ではもはやスタンダードというか、とてもいいなと感じてます。改めて考えて、それまでの自分は閉鎖的な環境で音楽を作ってたなと。以前もお話ししましたが、1stアルバム(2002年3月リリースの「ROENTGEN」)を出した頃は、自分ですべての作詞作曲をするのが当たり前だと思っていたんだけど、今は僕の才能をもっと引き出してくれる人を選ぶようなプロデューサー視点になっていて。世界中のコンポーザーがHYDEというアーティストのメンバーのような気持ちなんです。これ以上いい作品を作る方法はあるのかな?と思うくらい。
──「ANTI」と比較して、サウンドは激しさと重さを増していますが、当時と比べて制作手法以外で変わった点はありますか?
5年前はアメリカを活動拠点にしてたんですけど、コロナ禍もあって日本に戻ってきて。改めて主軸を日本に置くことになったときに、もうアメリカの流行をあまり取り入れなくてもいいかなと思ったんです。「こうやったらアメリカでウケるかな?」とか考えながら、現地のスタッフの意見を取り入れて作ったとしても、日本とアメリカでは流行っている音楽がもちろん違うし、それがアメリカで今後流行るとも限らない。だったら僕の好きなように、自分の感性を信じて音楽を作っていこうと。基本的に日本で活動しているわけだし、その活動スタイルを保ったまま自分の音楽を海外に輸出できればいいなと思うようになりました。
──マインドや方針が根本的に変わったと。
そうですね。
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「SOCIAL VIRUS」で表現した“怒り”