子どもにウケない。ウケるはずがない
「宇宙船艦ヤマト」とはこういう物語だ。『時は西暦2199年、とある異星人からの徹底攻撃を受けた地球は大気汚染が進み、人類は滅亡の危機を迎える。ところが運よく別の異星人から浄化装置を提供する申し出を受け、その星を目指すべく、第二次大戦にて沈没した軍艦大和を〈宇宙戦艦ヤマト〉に改造、出航させる。たった百名余りの乗組員たちに、地球の命運は託された』──読者諸氏は、このあらすじに何を想うだろう。空を飛ぶ舟を荒唐無稽で片付けるか。あるいは、ロマンを覚えるか。
内容はともあれ、テレビ放送された当時の初代ヤマトは視聴率という意味で数字を取れずに終わっている。理由は簡単だ。とにかく、子どもにウケない。
1974年といえば、一般人がアニメ(アニメーション)を「テレビまんが」と称していた時代。主な視聴者は子ども。その上で「まんがばかり観るな」は親が子どもに放つスタンダードな𠮟り文句だった。わたし自身、父親の前で変身ヒーローや巨大ロボットの格闘劇を眺めることは御法度で、そんな経験から「テレビまんが」と称する時代の記憶は鮮明にある。また、これらのアニメや特撮作品は、ほとんどが一話完結かつ勧善懲悪と相場が決まっていた。毎回ラストでは悪玉(ただし雑魚)が主人公に撃退され、次の週には別の悪玉(これも雑魚)が登場する──その繰り返し。
ヤマトはまるで違った。「地球滅亡まであと1年」というタイムリミットの下、一隻の戦艦の船旅を毎週30分ずつ眺めるスタイル。物語としては毎回一週間分ほど中身を進めて、全51回で1年の旅になるという計算。そうなるとお約束の一話完結はおろか、初回には当のヤマトも、やっつけるべき悪玉の姿も明確に登場せず、子どもを興奮させる「格闘」、明白な「正義」、善行が導くだろう「勝利」の欠片もない……。
こんな番組が子どもたちに支持されるだろうか? 答えはすぐに出た。奇しくも同じ曜日・時間帯には別のチャンネルで演出を高畑勲、レイアウトを宮崎駿が担当する「アルプスの少女ハイジ」が放映されており、当然のごとくヤマトは完敗。スポンサーは視聴率の低迷に憤慨し、全51話がたったの26話に短縮され、この時点では「商業的な失敗作」が誕生したに過ぎなかったのである。
ところがヤマトは、沈みこそすれ、完全には沈没しなかった。何故か。このころ日本では、美術館に飾られるような絵画ではなくマンガやアニメ、つまり高尚とはいえないポップアートを楽しむ姿勢──いわゆる「サブカル(サブカルチャー)」ブームが立ち上がりつつあったのだ。支えたのは『アニメージュ』や『OUT』などの雑誌メディア、その主な購買層は中高生から大学生である。
ヤマトは子どもから拒絶されるなか、水面下では別の海流たる青年層にプッシュされ、じわじわと人気を獲得(再放送時に人気が高まり、視聴率は20%を超えた)。その熱気が総監督の松本零士、プロデューサーの西﨑義展らを鼓舞し、東映の岡田茂社長を触発、かつてないビジネススキームたる「低迷したテレビまんがの映画化」へと舵を切らせる。
災害映画(ディザスターフィルム)としての復活
1977年夏、テレビでの惨憺たる結果から2年余りを経た後、全話を2時間半にまとめた映画『宇宙戦艦ヤマト』が劇場公開された。当時、これは未曾有の事件となってメディアを席巻する。「公開前夜から映画館の前に長蛇の列、徹夜組が発生」というニュース──小学生だった筆者も、伯母と共に劇場へ足を運び、超満員の映画館で鑑賞したことをよく覚えている。
なぜテレビで沈没寸前だったこの船が再浮上し、アニメブームの呼び水となりえたのか。ヒントは、1972年に大ヒットを記録したアメリカ映画にある。
映画『ポセイドン・アドベンチャー』は豪華客船が海難事故に遭い、乗客が生き残りを賭けて奮闘するという壮絶な脱出劇、いわゆる災害映画(ディザスターフィルム)だ。主演のジーン・ハックマンが第45回アカデミー賞において主演男優賞を受賞するなど、本作は商業的な成功のみならず映画史そのものに強烈な爪痕を残す。資料によると、「宇宙戦艦ヤマト」に企画段階で参画した豊田有恒たちブレインは、構想段階でこの映画に強く触発されていたという。2つの作品を見比べてみると、影響の残滓が──特に神回とよばれるエピソードにおいて──色濃く残っていることがわかる。
例えばテレビシリーズ第7〜8話で描かれる冥王星会戦。ヤマトファンの語り草となるエピソードだが、ここでヤマトは敵の攻撃にさらされて冥王星に漂着、海の底へと沈みながら天地をひっくり返し、転覆した状態へと陥る。ヤマトの敗北──そう見せかけておき、実は敵を欺く作戦だったという展開なのだが、その際、乗組員たちは船底にある予備の司令室へと移動し、上下逆さまの船内から反撃を試みる。
他方、『ポセイドン・アドベンチャー』は豪華客船が津波によって転覆し、天地が真逆の状態の船の中で、主人公たちは水面に向かって、つまり本来は船底である頭上へ登り、活路を見出す物語だ。
また、『ポセイドン・アドベンチャー』は重厚な人間ドラマでもある。特にパーティ会場に取り残された乗客たちが、脱出方法をめぐって対立するシーンは凄絶極まりない。転覆した船の中で上、つまり船底を目指すべきか、無理をせず残って助けを待つべきか。「救助は上から来る」と判断し、よじ登ることを選択した主人公とその一派は、天地逆さまの世界で悪戦苦闘を始める。その最中、眼下のパーティ会場へ突如として大量の海水が流れ込み、残ることを選択した大勢の乗客たちが濁流に呑み込まれていく……。
この展開に対し、「ヤマト」のテレビシリーズ第25話にその影響が見て取れる。援助を申し出たイスカンダル星にようやく辿り着いたヤマトは、無事に大気浄化の設備を手に入れる。にもかかわらず、地球に戻りたくないと主張する一部の乗組員たちが造反。きっと地球はすでに滅んでいる、だからこの星に残り子孫を残すべきだ……と。ところが当のイスカンダルは地殻変動に見舞われ、反乱分子は立て籠もった島ごと、荒れ狂う海へ呑み込まれてしまう。この造反劇は「ヤマト」の企画当初から存在し、入念に検討されたアイデアだという。
1970年代は災害を扱うディザスターフィルム、日本風にいえばパニックムービーが大流行した時代だった。ビル火災を描く『タワーリング・インフェルノ』、海水浴場を襲う人食いザメの『ジョーズ』、邦画業界も『日本沈没』『新幹線大爆破』で気を吐いた。つまりヤマトが描き出す緊迫感あふれる世界観、そこで繰り広げられる苛烈な人間ドラマは、映画界をとりまく新たな潮目に乗った表現であり、だからこそ商業的な成功を勝ち得たと言えるだろう。
何より、つくり手である演出家や脚本家たち自身が、「極限状態における登場人物の行動」に相当な熱量を投じたことの帰結、言い換えれば彼らが大人としての衝動に従い、「自分達の観たいものをつくろう」と立ち上がったからこそ、ヤマトは再浮上を遂げ、かつてないほど高く飛翔できたのである。
昭和歌謡とシンクロする望郷の物語
ヤマトが提示したもう一つのテーマは望郷、ノスタルジーだ。時は高度成長期真っ只中の日本。地方から都市部へ出稼ぎに出る人々が別れに傷つき、その反動として慰めとなる望郷の音楽が国民の心を深く捉えて離さない。テレビシリーズのエンディング曲「真っ赤なスカーフ」には、出航する船に向かってスカーフを振って見送る女性が登場する。「♪旅立つ男の胸には ロマンの欠片がほしいのさ」というサビに痺れ、カラオケの十八番になるまで練習した往年のファンも多いことだろう。
1974年といえば森進一が歌う「襟裳岬」がご当地ソングの先駆けとして大流行したが、彼には1969年に紅白歌合戦でトリをつとめた大ヒット曲「港町ブルース」がある。「♪出船、入船、別れ船 あなた乗せない帰り船」という歌詞は象徴的だ。ロケット全盛の時代でありながら、何故かヤマトのデザインがどうみても水上船であること、だからこそ「真っ赤なスカーフ」が毎回流され、船旅というスタイルにロマンを認めた時代背景を感じずにはいられない。
ここで、特に神回として名高いテレビシリーズ第19話をご紹介しよう。
乗組員の相原は100日を超える航海でメンタルに問題を抱えてしまう。目指すべきイスカンダルという星は本当に存在するのか? むしろ地球はわれわれの決死行に期待をかけず、食糧の奪い合いで暴動が起きているに違いない、と彼は主張する。実はその頃、ヤマトは地球との遠距離通信の回復に成功しており、相原は通信班長という立場を利用して個人的に家族と連絡をとっていた。実際に地球では暴動が起きていて、ただ一人、それを知り得る立場にあったのだ。
ある夜、相原は老いた父が暴動に参加して負傷、そのまま帰らぬ人となってしまった事実を知る。錯乱する彼は職場を放棄し、宇宙服を着て、たった一人で船外へ。辿り着ける筈のない地球を目指し、無謀な宇宙遊泳を試みる。ところがすべては敵の策略。ヤマトと地球の間に、微弱な通信信号を増幅するためのリレー衛星をわざわざ配置し、乗組員たちに心理戦を仕掛けていたのだ。
このくだりは第二次大戦中、敵国アメリカの戦意喪失を狙って日本軍が制作した有名なラジオ番組「ゼロ・アワー」を彷彿とさせる。東京ローズとよばれるDJの女性が、流暢な英語で米兵の手紙を披露し、郷愁あふれる音楽を紹介するというもの。故国を思い出させ、士気の低下を狙ったプロパガンダ放送である。
この第19話こそ、戦中生まれの松本零士をはじめとする企画メンバーの知識とSF的表現力が相乗効果を生み、時代の要請である望郷というテーマにおいて結実した、まさに「神回」といえるだろう。
ヤマトの精神がガンダムを、エヴァを育んだ
常識外れの映画化戦略でサブカル人気を刺激し、日本を席巻したヤマト。ある種「ロックスター」「革命児」としての輝きをまとっていた本作は、携わった二人の若手スタッフを強く刺激した。演出家の富野喜幸(現・由悠季)とアニメーターの安彦良和、二人はヤマトの成功に触発され、まだ見ぬ夢──「大人向けロボットアニメの創出」という野望へ向かわせる。
当時、「マジンガーZ」に始まった「一話完結のロボット格闘劇」の人気ぶりは、スポンサーである玩具メーカーや出版社の狙いに基づいており、その形状やカラーリングが「子どもの物欲を刺激する」という至上命題を満たさなければならなかった。それ故、数多ある子ども向けのアニメのなかにおいても邪道扱いが甚だしく、19世紀の児童文学を原作とする「アルプスの少女ハイジ」に比べ、物欲を刺激するロボットものは子をもつ親にとって俗悪、ひいては業界で働く同業者からも蔑まれる仕事だったのである。そんなロボットアニメを主戦場とした富野と安彦は、心の底に沸々と反骨精神をたぎらせ、あの「機動戦士ガンダム」を企画、強い思いで制作に着手する。
ところがガンダムの制作現場はヤマトに比べても遥かに保守的かつ無慈悲、まさに戦場であった。放送開始後、最初に販売されたガンダムの関連書籍は「絵本」、中身はもちろん平仮名だらけ。その絵本がまったく売れず、オフィスではスポンサーによるクレームの電話が鳴りっぱなし、企画者たる富野監督は叱責されて頭を下げ、その姿をスタッフにみせながら、どうにか励まし合いつくり続けていたという。
また桁外れに予算が潤沢だったと言われるテレビ版ヤマトと違い、ガンダムの現場は描くためのリソース不足が顕著。その上、主力のアニメーターである安彦が過労で入院し、結果、監督の富野までが手描きを手伝うことになった。このように初代ガンダムは、悲惨さにおいてヤマトの比ではなく、スタッフが死線を彷徨うなか、奇跡的に産み落とされた作品なのである。
とはいえ、富野と安彦には心の支えがあった。ヤマトのテレビにおける失敗と、映画における成功のV字回復──あれと同じものを自分達の未来に期待したのだ。その後、ガンダムは映画化を契機に述べ50作を超える大ヒットシリーズへと成長を遂げ、いまも続くアニメブームを牽引する存在として名高い。特に映画『機動戦士ガンダム・逆襲のシャア』は、後に『新世紀エヴァンゲリオン』を手掛けるガイナックスの庵野秀明らが参画した作品。そのエヴァにも空中に浮遊する戦艦が登場し、庵野らが好む衒学的な台詞回しにおいてもヤマトの影響は色濃く表れている。
ヤマトが目指す「旅路の果て」
出航から半世紀を経た日本において、わたしたちはヤマトの航跡に何を見出すべきだろう。それを思ういま、主人公・古代進の放った一言、その重さに思いを馳せずにはいられない。テレビシリーズ終盤でヤマトは敵国ガミラスの母星へ到達すると、主力武器である波動砲で圧倒する。最終的に──敵とはいえ、一つの文化圏を壊滅へと追い込んでしまうのだ。
古代は語る。「われわれは闘ってしまった。われわれがしなければならなかったのは、闘うことじゃない。愛し合うことだった。勝利か……クソでも食らえ!」涙を流し、ライフルを虚空へ投げつけ、地球人類を代表し、贖罪と怒りを表現する古代。
このフレーズが半世紀前の、過去ものとして片付けられないことは誰の目にも明らかだ。残念ながら、戦中生まれのクリエイターが残したあらゆるメッセージはいまもまるで色あせない。そして古代なら、ヤマトが風化しない事実を由々しきものとみなすだろう。ぼくらの船は何のために航海したのか、と。平和のために立ち上がれ、とわたしたちを叱責し、かの眼差しで涙ながらに訴えてくることだろう。
言い逃れはできそうにない。続編『さらば宇宙戦艦ヤマト』において、古代は遠く見知らぬ異星同士(つまり他国同士)の侵略戦争を憂い、それについて事なかれを貫く地球連邦の上層部に刃向かった。反逆の汚名を着せられながらも決起するヤマトの元乗組員たち──ぼくらは、そんな人々の情熱に魅了されたことを忘れない。
もちろん当時のわたしたちは未熟だった。加えてこの50年間、悪くいえば日本国民は平和を貪ってきた。ヤマトはある意味、不要だったのだ。言い換えれば古代らの旅路、彼らが織り成した言葉の数々は、次の50年のためにある。願わくば2074年、悲哀に満ちたSF戦記を過去の遺物として葬るべく盛大なセレモニーが開かれ、そのときこそ、かの船を華々しく退役させてやりたいと思う。
ヤマトはきっと、不滅であってはいけないのだ。
『ヤマトよ永遠に REBEL3199』第二章 赤日の出撃
『宇宙戦艦ヤマト2199』から始まった“リメイク版アニメシリーズ”第4作の「第二章」が、2024年11月22日より全国公開。