「地震に備えなくていい」とか「地震は起こらない」とか言ってるわけではない。 「地震はいつでも起こるかもしれないから、日頃から備えて、あとは楽しく過ごそうよ」と言っているだけ。 毎度何かある度にビクビクして、イベント中止したり、買い占めに走ったりしても仕方ない。 「やりすぎなくらいが丁度いい。死ぬよりマシ」という馬鹿の一つ覚えのような主張が、あらゆる制限の言い訳として一見正当性があるように見えるけど、頻繁にやられたらたまったもんじゃない。 「車乗ったら事故って死ぬかもしれない、乗るな。命が大切だから」 「外出たらコロナかかって死ぬかもしれない、家に篭れ。命が大切だから」 「海に行ったら溺れて死ぬかもしれない、泳ぐな。命が大切だから」 こんなことしないでしょう? コロナだけはパニックになってしてたかもだけど。 それが今回は南海トラフに変わっただけ。 勘違いする人が大量に出るから念を押すけど、「備えるな」とか「地震こない」と言っているわけではない。 過剰に反応して無意味な犠牲を払うのは馬鹿馬鹿しいと言っているだけ。 僕らはいつでも何かしらのリスクを抱えている。地震のリスクも日本にいる限り、常に抱えてきた。その上で花火大会も行ってたし、海水浴場も行ってた。 「地震来るかも」でいちいちそれらを中止、閉鎖してたら、これから先どうするの?って話。 地震来なくなる日まで続けるの?それっていつ? コロナ騒動初期の「コロナが無くなるまで自粛すべきだー!」と同じ。アホくさい。 でもなぜか「命が大事」と言えば正しく聞こえる。 もちろん命が大事だけど、大事にするあまり身動きがとれないなら生きてる意味すら失っていく。 不安に苛まれながら、ビクビクして、楽しむ機会を手放す。 それこそ「命を無駄にしている」と僕は思う。