辛かった過去や出来事を手放すキッカケの考察ー「見切り」と「諦め」の違いについて
前向きな話として僕なりに丁寧に
今日は「見切り」という日本語の
言葉の意味と感情の関連性について
それを通して、手放すこと、について
今日は書いてみようと思う。
そしていつも通りだけど
これは何かを否定するのではなくて
あくまでも僕が自分なりに
日々起こる出来事に対して
少しでも前向きに捉えたり解決していく為の
ひとつの考察として書いている。
だから読んでくれた方に対しては
こんな考え方もあるんだな程度で
見て貰えたらと思う。
それでは本題に。
「見切り」をつけるのは「仕事・作業」
「諦め」をつけるのは「個人的な事」
感情の入らない「作業」に使うのが「見切り」
感情の入る「私的なこと」で使うのが「諦め」
つまりよく普段から「相手に見切りをつける」
という言葉を使ったりするが
あれは全く持って適切な表現ではないし
本来の正しい使い方は書いた通りであると実感する。
その理由はこうだ。
まず自分自身という人がこれまで描いてきた
「夢」や「想い」に対しては
自分という人がど真ん中で関わっていて、
そんな自分を「切り捨てる」なんて事は
絶対にあり得ないこと。生きている限り。
それで命を経ってしまう人もいるが
なんとか自分も生きてこれたし
この僕のnoteを読んでくれている方にも
その選択をしなくて済むように
気持ちが軽くなる様に生きてもらいたいなと
心から願っている。
話を戻そう。
だからちゃんと自分なりにでも頑張ってきた自分を、
精一杯に夢や目標に向かってきた自分をまず受け入れて
その上で一度ちゃんと「手放す」とゆうことは
とても大切な事だと思う。
それをそんな「見切りをつけた」なんて
嘘つきな言葉で誤魔化してしまったら
いちばん大切な自分を
いちばん肝心な時に裏切ってしまう事になるし
後々やっぱりしんどくなってしまう。
またこれは人・相手に対して「見切りをつけた」
と作業に使う言葉を言うのもウソになる。
自分の大切に関わってきた人に対して
「見切り」などと言ってしまうのは
それまで自分が誠実に関わってきた
相手に対してとゆうのもあるけど
何よりもそう想って生きてきた「自分に対して」
とても否定的で悲しい言葉だからだ。
そして同時に
そんな言葉でウソをついて誤魔化してしまっては
後々にやっぱり自分に傷が残ってしまう。
そしてそんな自分を疑いだして
自分のことを信用してあげられなくなる。
つまり、自信がなくなってしまう事に
繋がってしまったりする。
だからその時にちゃんと自分の心を
ケアしておいてあげた方がいい。
落ち着くまで少し時間を置いてからでもいいから。
そして諦めたことについては
「自分は諦めたんだ」
と受け入れた方がいい。
その時は辛くても。
自分に出来るだけ向き合ってあげる。
そうする事でかえって
「なんで諦めたんだろう」
という次に備えた準備が始められる。
同じことを繰り返さない為の学びになったりする。
そしてその時になるべく
「まただ。自分は成長しないんだ」
「やっぱり諦めるしかない人生なんだ」
と悲観的になるような捉え方をし過ぎてしまったり
話を大きくして不幸のヒロインになってしまうのは
冷静になってあまりしない方が良いかもしれない。
もしそうなってしまったら
「あぁ、そうだね。お疲れさまね、自分。」
とその自分にも思いっきり寄り添ってあげる。
そうする中で傷は癒えていくだろうし
自分の現状を受け入れて
ありのままを受け入れていけるから
きっとそんな自分をまた信じられる様に
自信を取り戻せるようになるのだと思う。
そしてこれは何か自分からでは無い
意図せず訪れた喪失に対して
「まだ諦められない」
となってしまう場合にも応用できる。
まずは目の前の起きた出来事を受け入れる。
それから全てが始まる。
受け入れる事が出来ないと何も先に進まない。
何か物を失くす壊す、対人関係が崩れる、
何でもそうだけど受け入れないと
それに対して何も対応出来なくなってしまう。
少し話が変わったが、
根本は自分自身の日々の暮らしが
自分にとって望むものになれば。
知恵として使えれば何でもいい
とゆうのがベースにある。
今日はこの辺で。
おしまい
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