elly_jjk5U
2024-10-06 16:05:55
3102文字
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呪術廻戦を読み終えて② (全体的なこと)

ここに書いてあるのは主に人外魔境、236話からのことだと思っていただけたら。
長いです。

⚫︎ストーリーについて

展開上たくさんの「なぜ?」がありましたが、「作者がやりたかったから」以上の答えはないのでしょうね。
やりたいシチュエーションはあってもそれに意味を伴わせることはできず、作者の頭の中だけで盛り上がっている印象でした。
意味は何かあるのかもしれないでも私には分からなかった。

呪術廻戦は掘り下げがなくても、散りばめられた情報の断片から背景を想像するのが楽しい、考察がはかどる作品だと思います。
色々想像して読むのが好きなので、そういう意味では私は楽しく読みました。
ただ読者に委ねすぎというか、行間を読むというより読者の好意的な解釈で成り立っていた部分が大きいように思います。読者の方から歩み寄らないと何もわからないマンガです。

渋谷事変までは大好きです。夢中になって読みました。死滅回游も個々の話は印象的で面白いです。
でもストーリーが一本の線として繋がらず散らかり始め、特に万が出てきた頃からそれが顕著になったように感じました。
編集さん仕事してます?と思わずにはいられません、どうしても。人が変わったのか方針が変わったのか、または力関係が変わったのか何かあったんでしょうか。残念です。

236話以降「ライブ感で(場当たり的に)描いてる」という感想も見ましたが、私にはむしろ以前から描きたかったものをいよいよ好きに描き始めたように見えました。
私は呪展に行きませんでしたが、皆さんのレポの中に「今の展開がダルいと思ったら巻くこともある」という趣旨の作者コメントを見ました。(記憶違いでしたらごめんなさい)
その言葉の通りだと、236話以降の一年間の内容は作者にとってダルくない、巻きたい展開ではなかったということです。

下々先生は引きを作るのが大変上手で、そういう点では週刊連載向きなのだと思います。
ただその引きの後に出されるものが期待通りのものでなく(いわゆる逆張り)で、悪い方に驚かせることに終始したため大変疲れました。
ある程度想像した展開になったほうが気持ちいい(それが王道)ことは分かっていると思うのですが、ダサいとでも思っているのでしょうか。



⚫︎キャラクターについて

呪術廻戦は総じて登場人物が気持ちよく活躍しない作品だと思います。
そして「虎杖悠仁は作者に愛されていない」という印象が最後まで拭えませんでした。
メインキャラの1年ズの出番も少なすぎます。悠仁と恵との共闘がほぼないのも残念でした。恵より東堂の方が悠仁の相方みたいになってますよね。

また、作者が好きであろうキャラクターとそうでない者の扱いの差が大きすぎました。
物語の最終戦は主人公たちメインキャラの成長の総括の場だと思っていますが、それを差し置いて脇役が出張るのは受け入れ難かったです高羽のことです。
羂索戦はお笑と漫才の寒さを除けば興味深くはあります。暴力以外の方法での戦いお笑いを武器にする者をお笑い(漫才)の作法で迎え討つ。もっと別の形で見たかったです。

呪0は大好きなのですが、憂太のこともよく分からなくなりました。
呪展のコメントで「0を神話にする」というものがあったようですが、そう決めたのなら憂太には一歩引かせて欲しかったし、神話の主人公を下げるような半端な活躍(作戦は不発、恩師を怪物扱いして身体を乗っ取る)は残念でした。百鬼夜行から一年たち、もっと成長した強さを見られると思ったのですが。

そしてこれが一番残念だったのですが、人外魔境に入ってから登場人物のキャラが軒並み崩壊したと感じました。心情の変化やその行動に至る理由が描かれないので、みんなが急に知らない人になったように見えました。
特に悠仁の内面が分からなくなり、ガワだけが喋っていると感じる場面が多々ありました。私は悠仁が大好きなんです。最終盤で主人公に感情移入できなかったのは辛かったです。

(呪展でのキャラクターの死に対する「旨み」発言は嫌悪感を持って聞きました。これは五条悟についての感想のところで書きます)



⚫︎善悪の基準と倫理観について

作者は勧善懲悪を描くタイプではないけれど、順平の話や八十八橋の話などを読むと生死の重さをきちんと考えているように思えたのですが、最終的には何が何だか分からなくなりました。

真希については何回もポストしたのでもう言いませんが、作品内で彼女の行いが許されているのは、これが作風としてやっているのか作者の思想なのか曖昧です。
そして、真希も傑も、上層部を手にかけた悟も、下々先生は「皆殺しにすること」でしか「覚悟」を描けないのでしょうか。

受肉体についても、ずっと引っかかったまま読み続けました。
脹相だけは無理矢理受肉させられた被害者でもあり、他の自ら望んで受肉した者たちとは違います。彼は兄弟を思いやり涙を流し、渋谷で大勢を殺したことを悔いていますが、元の体の主への言及はありませんでした。何か一言くらい欲しかったです。

やはり辛かったのは261話です。あの回は全てが許せません。
遺体を操る少年誌で味方側になぜこんな尊厳を踏みにじる最低最悪なことをさせたのでしょう。私にとって許せない一線を越えました。
しかも悟が戻ってくるのではないかと期待させてからのあの展開ですから、作者への怒りがおさまりませんでした。
身体の乗っ取りは、傑や悠仁や津美紀や恵がそうされて味方側がずっと苦しめられてきたことです。追い詰められて致し方なくではなく、これが悟の死を想定した作戦の一部だったことも受け入れられませんでした。
憂太の「怪物」発言も唐突に何を言い出すのかと、理解できませんでした。あんな滅私で生きてきた人に対して「怪物」?
悟が上層部を手にかけたことも受け入れられませんでしたが、彼らが羂索の手先と考えたら宿儺戦を前に始末する必要はあったのかもしれません。悟はそれを誰かにさせるようなことはしたくなかったのでしょう。そこは理解します。
しかし、その後の「追いつかなきゃ」は……
信念のために手を血で汚すことが傑に追いつくことなら、その道の先の傑に何があったか、自分が一年前に親友として最後に穏やかな時間を作り、とどめをさした時のことを忘れてしまったのでしょうか。




アニメの大成功により多くの層にファンが増えたと思います。作品を生み出したのは作者ですが、アニメスタッフや声優さんの作品への深い理解があって、素晴らしいアニメになりました。それなのに原作はこんなことになってしまいました。
また、下々先生は自分の作品やキャラクターがファンにどれだけの影響を与えるかどのように考えているのでしょう。もしファンに寄り添う気持ちがあるなら、あの悪意のこもった(と、私は思っています)展開や言動はできなかったと思うのですが。
アニメに関わる人々も、ファンも、それら全ての人を裏切ったように思えます。

もっともっと面白くなる可能性がたくさんあるマンガだったのに、作者自身がそれを潰してしまったなと。そんな風に感じています。
キャラクターも初期の頃のテーマも大好きでした。それはこれはこれからも変わりませんが、それらを作者が大切にせず丁寧に描かなかったのが残念で仕方ないです。悲しいです。

それでも呪術廻戦を嫌いになれません。今後気持ちは変わってくると思いますが、嫌いになるには好きな部分がまだまだ多すぎるのです。
これからは私の好きな部分だけを愛していけたらと思っています。


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