↑のつづき。

さて、台風10号がウロウロして
先行き不透明だった今回の出張。

元々の予定だった関西⇒四国だったが、
鳴門大橋が封鎖される可能性があった為、
スケジュールを前倒しして
関西を取り止め、初日から徳島へ。




8月25日夕方の時点では快晴だった。

翌日、仕事を終えてから
徳島市の象徴『眉山』へ。
昨年12月以来である。




眉山麓の『産八幡神社』。

応神天皇生誕の伝承地。

付近には『応神町』もある。




そして、
法谷寺奥の院『タタリ谷常厳寺』へ。

聖徳太子の墓所という説がある。


聖徳太子は『厩戸(うまやど)皇子』。

ちなみに、徳島県に隣接する
香川県東かがわ市には『馬宿』という
地名があるのですよ皆さん❗




そしてそして、徒歩で眉山に登り、
山中の謎の石段を登ってみる。


道なき道をひたすら登る。

クモの巣の結界の多いこと(笑)



ひたすら登って辿り着いた山頂付近には
『溶造皇(ようぞうすめら)神社』が
鎮座していた。

祭神はスサノオ

眉山にはその昔、山頂へと続く
八つの坂があったのだそうな。




さらに翌日の27日。

懇意にさせて頂いている
阿波ヤマト財団の
ヤマモトタケルノミコトさんにお誘い頂き、
歴史考察において超有名な
某YouTuberさん
(お忍びだったので内緒)とともに
美馬市木屋平へ。

徳島市からは約2時間かかった。



践祚大嘗祭がおこなわれる度に
天皇に調進する
麁服(あらたえ)の麻を育てる
神聖なる場所↓
道中は雨だったが、なぜか到着すると
晴れるという🤣



『三木家住宅』。





忌部の末裔であり、
麁服の最高責任者『御衣御殿人』の
三木家ご当主との撮影に同席。

撮影外では大変貴重なお話を
聴かせて頂いた。



ここでは軽々と書けない話ばかり。

なので書けません(笑)

囲炉裏を囲み、数時間。

すごぉいお方なのだが、
偉ぶることは全くなく、
穏やかな口調と澄んだ目をしていた。

参加者の中で唯一何者でもない私にも
皆さんと同じように接して下さった。


素晴らしい方だった。


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」


この言葉を思い出した。



某YouTuberさんも、
動画で見たまんまのとても良い方々だった。


良き出逢いに感謝☀






数時間後、山を降りて
徳島市内に戻り、
今度は佐古駅付近のカフェへ。

初めて徳島に来たときに
訪れたお店だったのでビックリ。

そこでは、ご高名な
ある古神道の伝承者の方に
これまた貴重なお話を沢山聴かせて頂いた。

やはり、ここでは書けない内容ばかり(笑)






さらに、その夜。

エフエム眉山の人気ラジオ番組
『邪馬台国は阿波だった』の収録。

ゲスト出演させて頂いた。

その後も関係者の個性溢れる方々との
直会(なおらい)。

阿波徳島の美味しい名物を沢山
ご馳走になった。


『あらたえエール』は最高にウマイ❗



食事中は、終始古代史の話ばかり。

愚痴やネガティブな話はひとつもない。


ワタシは常日頃思っていることがある。

職場では愚痴や妙な噂話ばかり
する人達を見かける。

しかし、
古代史に興味を持てば、
他人のことになど気にするヒマがない。

いつも頭の中は、
「次はあの神社に参拝したい」
「この神とあの神は同一神なのでは…」
「あの国の神話は日本に繋がる?」

などなど、頭の中は古代でいっぱい。

余計なことを考える余裕はないのだ。

古代を考えると未来に繋がるのである。


人の悪口ばかり言っているヒト達、
みんな古代史に興味を持てばいい🤣


どんな些細な出来事でも
喜びを感じることができるのだから。



※ヤマモトタケルノミコトさんの後ろ姿(笑)



圧倒的な奇跡の連続だったこの日。


元々、この日は神戸からの移動日だった。

しかし、先週時点では
台風で四国に渡れない可能性があった。

そこで、予定を前倒した為に
このような貴重な体験を得ることが出来た。




特に印象に残った言葉がある。


今年で八十八歳になられた
三木家ご当主の御言葉だ。


「忌部氏は調和を大切にしてきた」


この言葉を、ワタシは一生忘れない。

翌日、疲労を残したまま
午前中の仕事を終え、
昨年冬に参拝することが叶わなかった
天岩戸の伝承地へと赴くことを決めた。


「ついに岩戸は開かれる」



つづく。


ではまた❗






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