|  | 昭和40年 長浜の商店街の荒物屋の長男として滋賀県に生まれる。 長浜小学校、長浜西中学校、虎姫高校を卒業後、京都大学法学部へ進学。
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|  | 平成2年 大学卒業後、商店街の衰退に 地域活力の大切さを痛感し、自治省へ入省。 | 
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|  | 佐賀県庁勤務を経て、2度目の地方行政に携わった岩手県庁。 自然保護課長として「人と自然との共生」をテーマに自然環境の保護に取り組む。
 企画調整課長として「地域からの改革」をテーマに地元学などを提唱。
 県政初となる住民の本格的行政参加を実現。
 さらに地域を元気にするため、「ベンチャー企業を応援する会」を民間企業の仲間たちと共に立ち上げる。
 日々県内をくまなく歩き、多くの人に出会い、語り合う。
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|  | 総務省に戻った後、総務省課長補佐、通産省課長補佐などを経験。 税のあり方について「地方分権改革」を進める。
 この間、先進的なイギリスの地域行政を学ぶために、ロンドン政治経済学院で研究。
 英国内の地方行政の現場をまわる。
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|  | 帰国後、内閣官房勤務。小泉内閣の目玉施策である「構造改革特区」を立案。役所の縦割り体制に風穴をあける。 日本の閉塞感を打ち破り、「官主導」の政治からの脱却を目指し、政治の道を志す。退職。
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|  | その後、立命館大学大学院 非常勤講師、龍谷大学 非常勤講師を経て、 平成17年 衆議院議員 初当選。
 厚生労働委員、環境委員、教育基本法に関する特別委員、青少年問題に関する特別委員。
 また異例の自民党税制調査会 幹事に就任(1年生議員としての就任は史上初)。
 道州制の実現に尽力(自民党道州制推進本部事務局次長)。
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|  | 平成22年 大正大学人間学部特命教授 | 
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|  | 2011.3.11東日本大震災では同級生等からの寄付金集めに尽力。 皆の想いを お世話になった岩手の方々へ届ける。
 陸前高田市の現状を見、ボランティアに参加。地域・日本復興に向けての決意を新たにする。
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|  | 平成24年 12月衆議院議員選挙で当選(2期目) 自民党政権復帰。故郷である滋賀2区では、初めての当選。
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|  | 平成25年 自民党税制調査会幹事に復帰。税制改正などで党内議論をリード。 国会対策委員会副委員長として、国会運営にも携わる。
 総務部会長代理。国土交通部会長代理。
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|  | 平成26年 国土交通大臣政務官に就任、防災担当として、災害現場での指揮などを行う。 河川整備予算の増額や住宅政策、インフラ海外輸出などにも取り組む。
 12月 衆議院議員選挙で当選(3期目)
 
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|  | 平成27年 自民党財務金融部会長として、党内財政金融政策のとりまとめを行う。 その他、自民党下水道・浄化槽対策特別委員会事務局長、住宅土地・都市政策調査会事務局長として、
 国土交通政策にも取組む。
 
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|  | 平成28年 自民党経済産業部会長として、党内の経済産業政策の取りまとめを行う。 経済再生のための中小企業支援策、サービス産業の生産性向上、自動走行の推進、
 エドテックの推進などの様々な提言を打ち出す。
 全国各地を回り、商工団体関係者との勉強会を主催。
 
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|  | 平成29年 財務副大臣に就任。経済再生と財政再建の両立を図るための予算編成や税制改正に取組む。 各種の国際会議にも、我が国を代表として出席。
 12月 衆議院議員選挙で当選(4期目)。
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|  | 平成30年 財務副大臣再任。引き続き、予算編成などに取組むとともに、日本銀行政策決定会合にも 政府代表として出席。我が国の金融政策決定の議論に加わる。
 
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|  | 令和元年 自民党副幹事長。衆議院財務金融委員会筆頭理事。委員会運営の与党側の責任者として、 野党との交渉を踏まえ委員会運営を行う。
 自民党AI本部事務局長として、党のAI政策の取りまとめに奔走。
 
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|  | 令和2年 自民党副幹事長、衆議院財務金融委員会筆頭理事を留任。自民党税制調査会幹事に復帰。 税制の論客として、党内議論をリード。
 
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|  | 令和3年 衆議院内閣委員長に就任 
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