830 クマとの遭遇 リディア編 その2
「……」
「リディア、起きてくれ」
体が揺れる。
「どうしたの?」
目を開けると、片手でわたしの体を揺らし、もう片方の手で剣を握っている兄さんがいる。
少し、明るい。
朝みたいだ。
「ウルフに囲まれている」
兄さんの言葉で、目が一気に覚める。
周りを見ると、ウルフに囲まれていた。
わたしはゆっくりと立ち上がる。
ウルフの数は5匹。
「ごめん、わたしが気付かなかったから」
いつもなら音で目が覚めるのに、深く寝てしまったみたいで、気付かなかった。
この森に入って、ゆっくり休めていない。
巨大スネイクのせいで、疲労は自分たちが思っている以上に溜まっていたみたいだ。
でも、襲われる前に兄さんが気付いてくれて、よかった。
兄さんは剣を構え、わたしは弓を構える。
どうする。
目の前には5匹、さらに森の奥にもいる。
その数は5、6、もっといる?
数が多くて聞き取れない。
まずは、目の前のウルフを倒し、少しでも数を減らす。
わたしは矢を放つ。
矢はウルフの体に刺さり、動きを止める。
その矢を切っ掛けに、他のウルフが襲いかかってくる。
数が多い
考える時間はない。目に入るウルフに向けて矢を放つ。
兄さんはわたしにウルフが近づかないように上手に立ち回る。
わたしの矢がウルフに当たる。
今は一匹でも多く、数を減らすことを考える。
「兄さん、右!」
わたしの言葉に反応して、兄さんは右から襲ってくるウルフの対処をする。
わたしは正面に向かって矢を放つ。
目の前のウルフに気を取られて音に気付くのが遅くなった。
大きな這いずる音が聞こえてくる。
「兄さん、巨大スネイクが近づいてくる!」
「どっちから来る!」
「兄さんの右側!」
兄さんの後ろから、分かるように叫ぶ。
どうすればいい。
逃げ出せば、ウルフに背中を見せることになる。
なにより、ウルフから走って逃げることはできない。
「リディア、逃げろ。母さんとエストのことは頼んだぞ」
兄さんは叫びながらウルフに向かって、走り出す。
すぐに、わたしを逃すためだと理解する。
いつも、「なにかあったら、俺が囮になるから逃げろ」と言うのが兄さんの口癖だった。
わたしは「見捨てて逃げるから大丈夫だよ」と笑いながら言っていた。
でも、今はそんなことを言うことはできない。
弓を強く握りしめる。
考える時間がない。
今、走り出さないと、2人とも死ぬことになる。
……兄さん
走り出そうとした瞬間、森が騒がしくなる。
その理由はすぐに分かった。
巨大スネイクの移動速度が上がった。
「兄さん!」
わたしが叫ぶと同時に、近くの木が倒れ、巨大スネイクが現れる。
現れたと同時にウルフが食われた。
いきなりのことで、わたしの動きが止まる。
逃げないと、心では分かっているのに足が動かない。
「リディア!」
兄さんの声で我に返る。
巨大スネイクはウルフを飲み込む。
次の獲物を探すように周りを見ている。
なのに、どうして、まだ這いずる音が聞こえるの?
音はどんどん大きくなる。
「兄さん、もう一体来る!」
わたしの言葉と同時に、もう一体の頭が現れる。
ウルフが逃げる。
だけど、現れた巨大スネイクの口から液体が飛び出す。
ウルフの体に紫色の液体がかかる。
すぐに、毒と分かった。
毒がかかったウルフは動きが鈍くなり、倒れる。
他のウルフも逃げ出す。
それを追うように、巨大スネイクが動く。
幸運なのか、わたしたちに目が向かっていない。
動き回るウルフに向かっている。
巨大スネイクが動き、ウルフを追いかけるように動き出す。
尻尾だと思っていた場所に頭があった。
その頭にある目が、わたしたちを見ると毒の液体を吐き出してくる。
運良く、毒の液体は外れる。
さらに、毒を吐こうとするが、もう1つの頭が邪魔をする。
ウルフを追って、引っ張った。そのために、毒はあらぬ方向へ吐き出される。
「逃げるぞ!」
兄さんの声で、我に返り、走り出す。
お互いの頭が邪魔をしている今が、逃げ出すチャンス。
わたしと兄さんは走る。
とにかく走る。
後ろでは、混乱しているような動きの音がする。
わたしたちは走る。
少しでも巨大スネイクから離れる。
巨大スネイクに追いかけられたら逃げられない。
自分の走る音、吐く息、心音がうるさくて、周囲の音は聞こえない。
お願い。周囲の音を聞かせて。
わたしの願いは届かない。
わたしの吐く息と心音は止まらない。
わたしと兄さんは走り続け、洞窟の入り口まで戻って来ることができた。
もう、走れない。
わたしの息を吐く音が周囲の音を遮る。
心音もうるさい。
「逃げられたのか」
「兄さん、あれはなんなのよ」
「1つの体に頭が2つあったな」
信じられないけど、頭が2つあった。
巨大スネイクだけでも厄介なのに、あんな魔物がいたらベルトラ草の採取ができない。
「……諦めるしかないか」
兄さんの言葉に反論はできなかった。
ベルトラ草の採取に行きたいのは、兄さんもわたしと同じ気持ちのはずだ。
でも、あんな魔物が近くにいたら、採取に行くことはできない。
今回助かったのは運がよかっただけだ。
ウルフと戦っているときに巨大スネイクが現れ、ウルフを餌と認識してくれたからだ。
こんな奇跡は二度と起こらない。
起こると思えば、命がいくつあっても足らない。
まだ、考えが決まっていないのに、聞きたくない音が聞こえてくる。
「兄さん、巨大スネイクが近づいている」
「洞窟の中に入るぞ」
兄さんは腰にあったランタンに灯りをつける。
逃げるしかない。
兄さんは洞窟の中へ入ると駆け出す。
わたしは兄さんの灯りを目印にして走る。
後ろからは這いずる音が止まらない。
「兄さん、洞窟の中に入ってきた」
「止まるな。走れ」
わたしと兄さんは走る。
走ってばかりで、足の疲労が限界にきている。
休みたいけど、休めない。
お願いだから、追ってこないで。
わたしの願いは通じず。
這いずる音は止まらない。
洞窟は中に入れば入るほど、広くなる。
もしかすると、巨大スネイクの巣だったのかもしれない。
巨大スネイクは追いかけてくる。
苦しい。
朦朧としてくる。
お願いだから、追いかけてこないで。
苦しくて、もうダメかと思っていたら、遠くで灯りが見えた。
こんなところに明かり?
出口は、まだ遠いはず。
人がいる。ここにいるなら、冒険者かもしれない。
わたしたちのせいで、巻き込んでしまう。
兄さんも気づいたようで逃げるように叫ぶ。
灯りに近づいてくると、人がクマに乗っていた。
前にクマ、後ろは巨大なスネイク。
逃げ道はない。
もう、考えるのも諦めようとしたとき、前から女の子の声で「走って!」と声がした。
兄さんも、巨大スネイクより、クマのほうがマシだと言って、クマに目がけて走る。
考えている時間はない。
わたしも走る。
息が苦しく、もう走れないと思っていると、わたしの横を黒い物体が駆け抜けていく。
後ろで、戦う音がし始める。
わたしは走るのをやめ、後ろを振り返る。
そこには、黒い格好した女の子が、巨大スネイクと戦っていた。
信じられない光景が目の前に広がる。
あんな巨大スネイクと戦えるなんて。
黒い格好した女の子は凄い速さで動く。
そして、巨大スネイクに食われたかと思ったら、巨大スネイクの口が破壊されていた。
巨大スネイクが倒れると、その巨大スネイクの口から岩らしきものがあった。
倒したの?
いや、頭は1つじゃない。
あの巨大スネイクは双頭だ。
そう思ったとき、巨大スネイクの尻尾あたりが動いている。
わたしが声を出そうとしたとき、兄さんが叫ぶ。
「まだ、生きてるぞ!」
巨大なスネイクの尻尾にある頭が動く。
やっぱり、生きていた。
毒を吐くことを叫ぶ。
こんな、洞窟で毒を吐かれたら、大変なことになる。
女の子は毒に対応できないのか、苦戦する。
弓で援護をする?
いや、女の子に当たったら大変だ。
女の子はわたしたちのせいで一人で戦っているのに、なにもできない。
わたしたちが巨大スネイクを押しつけたようなものだ。
冒険者として、やってはいけないこと。
どうすることもできず、見ていると。
クマと一緒にいた小さい女の子がクマに話しかけている。
クマに何かを渡し、クマは受け取ると、巨大スネイクに向けて投げた。
信じられない光景だった。
クマが物を投げた。
その投げた物は真っ直ぐに巨大スネイクの頭に飛んでいき、ぶつかる。
割れた?
投げたのは瓶?
巨大スネイクが暴れ出し、口を大きく開く。
そのあとの光景は、先ほどの巨大スネイクの頭と同様に口の中に岩が現れ、口が破壊されて、倒れた。
「……兄さん、あの子が倒したんだよね」
「ああ」
もうダメかと思ったら、女の子2人がクマと現れ、巨大スネイクを倒してしまった。
こんなこと、誰に言っても信じてもらえない。
「兄さん、お礼を」
「そうだな」
わたしたちは女の子たちに近づき、お礼を言う。
近づくと黒い正体は、可愛らしいクマの格好だった。
そのことを尋ねると、小さい女の子が「その子はクマ好きなのよ。だから、格好については、気にしないであげて」と言われた。
なので、これ以上クマについては尋ねることはやめた。
クマの格好した女の子の名前はユナ、小さい女の子はマーネと名乗った。
小さい女の子だと思ったマーネは、ハーフエルフでわたしたちの両親より年齢が高いと言われて驚いた。
年上を知ったからには呼び捨てもできないので、マーネさんと呼ぶことにした。
小さい子供に「さん」付けは違和感だけど、命の恩人だ。
わたしたちはお互いの状況を話す。
ユナは冒険者で、マーネさんは王都の魔法省で働いてると教えてくれる。
クマが巨大スネイクに投げた液体が入った瓶は、スネイクが嫌う液体だと教えてくれる。
魔法省で働いていると知った兄さんは薬師の知り合いがいるか尋ねる。
兄さんが考えていることは、すぐに理解した。
でも、マーネさんは王都の魔法省で働く人だ。あの薬師とも関わりがあるかもしれない。
「このままじゃ、いいように扱われるだけだ。それに妹だって」
分かっている。
でも……。
わたしと兄さんが話し合っていると、マーネさんが叫ぶ。
「ああ、もう、はっきり言いなさい。あなたたち、わたしに言いたいことがあるんでしょう!」
わたしと兄さんは頷いて、決める。
マーネさんに取り引きを持ちかける。
兄さんは、採取した薬草を適正価格で買い取ってほしいこと、薬師を紹介してほしいこと、頼まれれば薬草を採取してくることなど、口早に言う。
マーネさんに詳しく説明をしなさいと怒られる。
わたしと兄さんは妹が病気のこと、薬師に逆らえないことを話す。
マーネさんは薬にも詳しく、マーネさんが薬を作ってくれることになった。
しかも、適正価格で薬草を買い取ってくれる約束もしてくれた。
あとはベルトラ草を採取して、マーネさんに渡せば薬を作ってくれる。
でも、そのベルトラ草を採取しに行くには、ウルフの群れが邪魔をしている。いないかもしれないけど、いるかもしれない。
巨大スネイクを倒す2人がいれば、魔物も大丈夫ではと思ってしまう。
一緒に行きたい気持ちと、薬草の群生地を知られて、奪われるかもしれない気持ちで揺らぐ。
相手は王都の魔法省で働く人だ。
もし、採取するなと命令されたら、逆らうことはできない。
国とはそう言うものだ。
兄さんは、わたしたちだけで採取に向かうことを言うけど、巨大スネイクなどの魔物が現れたら、どうするか尋ねられる。
現れたら、逃げることしかできない。
今回は、彼女たちがいたから、助かっただけだ。
いなかったら、死んでいた。
しかも、彼女たちは、ここまで採取しながら二日で来ていると言う。
その言葉だけで、彼女たちの実力が分かる。
兄さんも分かったようで、頼み込む。
でも、わたしたちを連れて行くかどうかは、マーネさんの護衛であるユナちゃんが決めることになった。
ユナちゃんの返答は、薬草の生息地を教えてほしいだった。
それは、わたしたちにとって、命綱。
もし、彼女たちに騙されたら。
わたしたちの気持ちを察したのか、目的の薬草を採取したら、この森に来ることはないと言う。
もし、欲しい薬草があれば、わたしたちに頼むと言ってくれる。
彼女たちに救われた命だ。わたしたちは、ユナちゃんの条件を呑むことにした。
チートばかり書いていると、普通の一般冒険者を書くのは難しいですね。
そんなわけで、ユナに救われたリディアでした。
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※投稿日は4日ごとにさせていただきます。
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一部の漢字の修正については、書籍に合わせさせていただいていますので、修正していないところがありますが、ご了承ください。