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ブルーマーの自己相互作用論分析

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以下の非構造化テキストを咀嚼し、

中身を改変すること無く慎重に整理して、

箇条書きや表形式を駆使しながら、

過去最高にわかりやすい

構造化された概要にしてください。

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第1章 自己相互作用と行為

 

第1節 自己相互作用−シンボリック相互作用論の三つの基本的前提をもとに−

 ブルーマーのシンボリック相互作用論の分析枠組みを論じるにあたって、必ずと言って良いほど、議論の中心におかれるのが、彼の「自己相互作用」(self interaction)という概念である。ブルーマーによれば、「自己相互作用」とは、「自分自身との相互作用」 (interaction with oneself)とも言われ(Blumer,1966=1969a,p.62=1991年、79頁;1993,p.164)、それをブルーマーは、「文字通り、個人が自分自身と相互作用を行っている過程」(Blumer,1993,p.186)であるとか、「個人が自分自身に対して話しかけ、そしてそれに対して反応する、というコミュニケーションの一形態」(Blumer,1969b,p.13=1991年、17頁)であると表現している。この概念は、船津によれば、「人間が社会的相互作用において、単に他の人間と相互作用するだけではなく、自分自身とも相互作用」していることを強調するために、ブルーマーが提示したものである(船津、1983年、104頁)。周知のように、この概念は、ブルーマーのシンボリック相互作用論においては、その概念的柱石として措定されているものであり(Wallace and Wolf,1980=1985年、299頁)、それは「解釈の過程」(process of interpretation,interpretative process)と同義の概念として扱われている(Wallace and Wolf,1980=1985年、321−322頁)。さらに、ブルーマーによれば、この自己相互作用概念があるからこそ、シンボリック相互作用論は、それ独自の社会学的・社会心理学的パースペクティブとして、そのアイデンティティを確保しているといっても過言ではないのである。ブルーマーによれば、「シンボリック相互作用論というパースペクティブは、・・・・人間の行為を研究する上で、自己相互作用の過程を何よりも重要なものと考える唯一の分析枠組みなのである」(Blumer,1993,p.191)1)。したがって、ブルーマーのシンボリック相互作用論の分析枠組みを論じるにあたって、この概念の検討を看過することは出来ない。以下では、ブルーマーによるシンボリック相互作用論の三つの基本的前提を検討することを通じて、この概念の内実に迫ることにしたい。彼の人間観、行為観、社会観もまた、この三つの基本的前提に依拠して構成されている(Blumer,1969b,p.6=1991年、7頁)。

 ブルーマーは、その「シンボリック相互作用論の方法論的な立場」(Blumer,1969b)と題する論文の冒頭において、シンボリック相互作用論の依拠する三つの基本的前提を以下のように提示している(Blumer,1969b,p.2=1991年、2頁)。  

 

 1)人間は、事柄(thing)に対して、その事柄が自分にとって持つ意味(meaning)に基づいて行為する。

 2)そうした事柄の意味は、人間がその相手と執り行う社会的相互作用(social interaction)より、導出され発生する。

 3)こうした事柄の意味は、その人間が、自分が出くわした事柄に対処する際に用いる解釈の過程(interpretative process)〔=自己相互作用〕を通じて、操作されたり修正されたりする。

 

 まず第一の前提についてであるが、この前提の枢要点となっているのは、人間がある「事柄」に対して行う行為のやり方ないしその様式は、その事柄がその人間にとって持つ「意味」によって定められているということである。

 ブルーマーによれば、ここで「事柄」には「人間が自らの世界において気にとめるであろうあらゆるものが含まれている。木や椅子といった物的な物、母親や店員といった他者たち、友人や敵といった人間に関する各種カテゴリー、学校や政府といった諸々の機関、個人の独立とか誠実さといった指導的理念(guiding ideals)、命令、要求といった他者たちの活動、〔その他〕日常生活において個人が出くわすであろう種々の状況」が含まれている(Blumer,1969b,p.2=1991年、2頁)。

 上記の第一の基本的前提において、こうした意味での、ある人間にとっての「事柄」と「意味」のセットが、ブルーマーのシンボリック相互作用論の分析枠組みにおける「対象」(object)を構成することとなる。また、そうした対象がある人間に対して持つ「特性」(nature)は、その対象がその人間にとって持つ意味により定められ、さらに、そうした意味の如何によって、その対象に対するその人間の行為のやり方が定められることとなる。ブルーマーによれば、「対象の特性(nature of a object)は、それが如何なる対象であれ、それを自らにとっての対象としている人間に対して、その対象が有している意味から構成されている。こうした意味によって、その人が対象を見るやり方、それに対して行為しようとするやり方、それについてどう話そうとするのか、そのやり方が設定される」(Blumer,1969b,p.11=1991年、13頁)。ブルーマーは、便宜上、この「対象」を三つに分けている。すなわち、「(a)物的対象(physical object)。椅子や木や自転車など。(b)社会的対象(social object)。学生、僧侶、大統領、母親、友人など。(c)抽象的対象(abstract object)。道徳的な原理、哲学学説、もしくは正義、搾取、同情などといった観念」(Blumer,1969b,pp.10-11=1991年、13頁)。さらに、ブルーマーの分析枠組みにおいては、人間を取り巻く「環境」(environment)とは、こうした「対象」からのみ構成されるものと捉えられており、それ故に、そうした対象の特性(意味)の如何によって、その環境が人間にとって持つ特性が定められることとなる。ブルーマーによれば、「〔人間にとっての〕環境(environment)とは、ある特定の人間が認識し知っている対象からのみ構成されるものである。こうした環境の特性とは、それを構成する種々の対象が、そうした人間にとって持つ意味によって設定されるものである」(Blumer,1969b,p.11=1991年、14頁)。この意味での「環境」こそ、ブルーマーのシンボリック相互作用論のキー概念となっている「世界」(world)という概念に相当するものであることは言うまでもない(Blumer,1969b,p.11=1991年、14頁)。

 さて、ブルーマーによれば、上記の第一の基本的前提だけでは、シンボリック相互作用論をそれ以外のアプローチから区別することが出来ないという。というのも、こうした前提を共有しているアプローチが他にもあるからである。シンボリック相互作用論とそれ以外のアプローチを区別する分水嶺は、主として次の第二の基本的前提によって定められる、とブルーマーは考えている(Blumer,1969b,p.3=1991年、4頁)。その第二の基本的前提が示唆する内容を説明するに先立って、ブルーマーは、この第二の基本的前提が論敵としている「意味の源泉」(source of meaning)に関するふたつの伝統的な立場を次のように説明している。

 まず第一の立場においては、ブルーマーによれば、事柄の意味とは、その事柄に内在的に備わっているもの、ないしは「その事柄の客観的な構成として、その事柄に生来的に備わっている一部分」と捉えられている。したがって、この立場においては、「椅子はそれ自体明らかに椅子であり、牛は牛、雲は雲、反乱は反乱などなど」それを取り扱う人間の如何に関わらず、その意味は、その事柄に、生来的ないしは内在的に定まっているものとされることとなる。こうした立場に立つものとしてブルーマーが挙げているのが、「哲学における伝統的な『実在論』(realism)の立場」に他ならない(Blumer,1969b,pp.3-4=1991年、4頁)。

 次に第二の立場においては、ブルーマーによれば、事柄の意味とは「その事柄がその人にとってその意味を持つ〔ある特定の〕人間によって、その事柄に対して心的付加物として与えられたもの」と捉えられている。さらに、この立場においては、その「心的な付加物」(psychical accretion)とは、その人間の心や精神、ないしは心理的な組成を構成する諸要素が外部へと表出されたものと捉えられており、そうした諸要素には、「感覚 (sensations)、感情(feelings)、観念(ideas)、記憶(memories)、動機(motives)、態度(attitudes)」などが含まれているとされている(Blumer,1969b,p.4=1991年、4−5頁)。ここでブルーマーは、この立場に立つものとして「古典的心理学」(classical psychology)や「現代の心理学」(contemporary psychology)を挙げているが、ここで「心理学」とは、おそらくは「構成心理学」(structural psychology)のことを指しているものと思われる2)。

 ブルーマーは、意味の源泉に関するこうした二つの伝統的な立場のいずれとも異なる立場を表明するものとして、シンボリック相互作用論の第二の基本的前提を提示している。ブルーマーにとって、事柄の意味とは、その事柄に生来的に内在するものでも、人間個人によって主観的ないしは心的に付加されるものでもない。それは、まず何よりも、人間間の社会的相互作用の過程から生じるものと捉えられている。この第二の基本的前提が含意する内容を、ブルーマーは以下のように説明している。

 「シンボリック相互作用論においては、意味とは、人間間の相互作用の過程(process of interaction)から生じるものと考えられている。すなわち、ある人間にとってのある事柄の意味とは、他の人々がその事柄との関連においてその人に働きかける、そのやり方から生じてくるものと考えられている。他者の行為がその人にとっての事柄を定義するように作用するのである」(Blumer,1969b,pp.4-5=1991年、5頁)。

 このブルーマーの第二の基本的前提については、ウォーラスらが的確な例示を試みている。以下の例は、彼らが、ブルーマーのシンボリック相互作用論のこの第二の基本的前提を例示するために提示したものである。

 「この例〔ブルーマーの第二の基本的前提の例〕としてあげてよいのは、野球のバットがアメリカのティーンエージャーにとって意味しているものと野球の試合というものを一度もみたことのないアフリカのピグミー族の人にとって意味するものとを比較してみることであろう。もう一つの例は、歌に必要な楽器モリモの、ピグミー族にとっての意味と、アメリカ人にとっての意味を較べてみることである。自らが属する文化を共有する他の人々との相互作用を通じて、人は誰でもさまざまな道具を、例えばスポーツのため、あるいは宗教的祭儀のためというように、色々な使い方をして楽しむことを学ぶのである。野球のバットがピグミー族の人々にとって謎めいたものに見えるように、モリモが中心的な役割を受けもつ聖なる祭りを経験したことのないアメリカ人にとっても、モリモは同じように謎めいたものに見えるに違いない。バットもモリモも重要な文化的道具であり、両者の意味は社会に暮らす他の人間との相互作用から生まれてくるのである」(Wallace and  Wolf,1980=1985年、320−321頁)。

 すなわち、ある人間にとっての事柄の意味とは、その事柄との関連において、その人間と相互作用を行っている他者たちが、その人間に対して行為する、その行為のやり方ないしは様式から生じるものと捉えられるというのが、「意味の源泉」に関するブルーマーのシンボリック相互作用論の立場に他ならない。上記のウォーラスらの例でいえば、アメリカ人にとって「バット」という対象(ここでは物的対象)が、まさしく野球のボールを打つための道具としての意味を持つのは、そうしたアメリカ人の日々の暮らしの中で、その人と相互作用を行っている他者たちが、その人の面前で(その人に対して)そうした道具として、そのバットを扱ってきたからであり、そのバットという対象にあらかじめそうした意味が内在化されているわけではない。その証拠に、ピグミー族の人々にとっては、それは「謎めいたもの」としての意味しか持ち得ない。

 なお如上の意味で、ブルーマーのシンボリック相互作用論において事柄の意味とは(その結果として対象とは)、「社会的所産」(social product)であるとされている(Blumer,1969b,p.5=1991年、5頁)。たとえば、「言語」という対象を例に取ってみよう。ブルーマーの類別にしたがうならば、この「言語」という対象は「抽象的対象」に相当する。抽象的対象の例として哲学学説などが挙げられていたことからもそのことは理解されよう。如上の第二の基本的前提に依拠するならば、この「言語」という対象の意味は、生来的にその対象に内在化されているものでもなく、また、一個人によって主観的にその対象に付与されたものでもない。ある個人にとってのこの「言語」という対象の意味もまた、それを、その個人と相互作用を行っている他者たちが、その個人の面前で、どのように用いるかによって定められるものと捉えられる。われわれにとって身近な例を挙げるならば、シンボリック相互作用論の領域において「世界」(world)という言語が、ある個人にとっての事柄と意味のセットとしての「対象」からのみ構成された領域を表す言語として、まさしくそうした意味をわれわれに対して持つのは、実際にシンボリック相互作用論の領域において、「世界」という言語を、その領域に関わる(われわれにとっての)他者たちが、そうした内容を含意する言葉として用いているからであり、そうした他者たちのその「言語」の使い方が、その他者たちと相互作用を行っているわれわれ一シンボリック相互作用論者の面前で行われているからに他ならない。同じ「世界」という言語でも、一般社会の人々に対しては「地球上に存在するすべての国家・住民社会の全体」3)という、上記の「世界」の意味とは、また別の意味を持っていることからもそのことは理解されよう。何故に意味が異なっているのかと言えば、一般社会においては、そこにおいて、他者たちが、その「世界」という言語を用いるその用い方が、シンボリック相互作用論の領域におけるそれとは異なっているからである。このように「言語」もまた、「対象」のひとつの類型なのであり、それは、それを用いる他者たちの用い方を抜きにしては「意味」を持ち得ない。すなわち、「言語」という「対象」の「意味」もまた、それを用いる他者たちの用い方如何によって定められるものと捉えられなければならないことになる4)。

 また、社会的対象についても同様に説明することが出来る。社会的対象として、学校に私服を着てきたある高校生という例を取りあげてみよう。この高校生は、私服を禁じ制服を着てくることを義務づけている高校においては明らかに「逸脱者」としての「意味」を、たとえばその学校に通っている他の生徒たちに対して持つこととなる。とはいえ、私服通学を許可している高校においては「逸脱者」とは見なされない(つまりその高校生は、その学校の生徒たちにとって「逸脱者」としての意味を持つことはない)。なぜなら、前者の学校においては、その学校が(というよりも、その学校の教員が)、その私服を着てきた学生を、まさしく「逸脱者」として、その学校の生徒たちの面前で扱っているからであり、逆に後者の学校においては、教員たちが、その学校の生徒たちの面前で、そうした扱い方を、その学生に対して行っていないからである。というわけで、学校に私服を着てきたその高校生それ自体に「逸脱者」という意味が内在化されているわけではないのである5)。

 ブルーマーのシンボリック相互作用論においては、ある対象となる事柄の意味とは、社会的相互作用の文脈において形成され、人々によってそこから引き出されるものと捉えられている。また人間は、そうして形成された意味に基づいてその対象となる事柄に対して行為を行う。換言するならば、そうして形成された対象の意味が、その人間のその対象となる事柄に対する行為の様式を定めることとなる。ここまでが、シンボリック相互作用論の第二の基本的前提によって説明されたテーゼである。とはいえ、ブルーマーのシンボリック相互作用論においては、人々による意味の使用が、ここで生み出された意味を、単に適用する以外のなにものでもないと捉えられているわけではない(Blumer,1969b,p.5=1991年、6頁)。シンボリック相互作用論とそれ以外のアプローチとをいっそう区別するものとして、ブルーマーが提示するのが、シンボリック相互作用論の第三の基本的前提に他ならない。

 ブルーマーが、シンボリック相互作用論の三つの基本的前提のなかでも、とりわけ重視し強調するのが、この第三の基本的前提である。すなわち、他者によってもたらされた、その人間にとっての事柄の意味(対象の意味であるとも言える)は、その人間によってそのまま自動的に適用されるものではなく、それは必ず、その人間の「解釈の過程」(process of interpretation)を通じて、操作されたり修正されたりするものと捉えなければならない。ブルーマーは、「行為者による意味の使用は、ひとつの解釈の過程(a process of interpretation)を通じて生じるものと見なされる」(Blumer,1969b,p.5=1991年、6頁)と断った上で、その解釈の過程(=自己相互作用)について以下のように述べている。

 「この過程にはふたつの別個の段階がある。まず第一に、行為者は、自らがそれに対して行為している事柄を、自分自身に表示(indication)しなければならない。彼は意味を持つ事柄を自分自身に指し示す(point out)という営みを行わなければならない。・・・・第二に、解釈(interpretation)は、意味の操作(handling of meanings)という事象となる。行為者は、自分がおかれている状況や自分の行為の方向に照らして、その意味を選択したり、検討したり、保留ないしは未決定にしたり、再分類したり、変容したりするのである」(Blumer,1969b,p.5=1991年、6頁)。

 すなわち、解釈の過程(=自己相互作用)には、「表示」と「解釈」というふたつの段階があり、前者の段階において、行為者は、先行する社会的相互作用の過程を通じて形成された「対象」を自分自身に指し示し、後者の段階において、その「対象」(となる事柄の意味)を、自己がおかれている状況とそれに対する自らの行為の如何という観点から再検討することとなるわけである。さらに、こうした過程を経て確定されたその行為者にとっての「対象」(となる事柄の意味)が、その行為者にとっての「自らの行為を方向付け形成するための道具(instrument)」として、その行為者のその後の行為を導いて行くこととなる6)。

 ここまで筆者は、終始、「解釈の過程」=「自己相互作用」と捉え、その「解釈の過程」に関して議論を展開し、他方で、「自己相互作用」の内実を等閑視してきた。そこで以下では、この「自己相互作用」概念の内実、および、如何なる意味で「自己相互作用」=「解釈の過程」なのか、その理由を明らかにすることにしたい。

 本節の冒頭でも述べたように、ブルーマーにおいて、自己相互作用とは、「自分自身との相互作用」と捉えられており、より詳細には「文字通り、個人が自分自身と相互作用を行っている過程」ないしは「個人が自分自身に対して話しかけ、そしてそれに対して反応する、というコミュニケーションの一形態」と捉えられていた。すなわち、他者との間で行う社会的相互作用を自分自身と行うのが、換言するならば、他者との社会的相互作用を個人のうちに内在化(internalize)させたものが、ブルーマーの言う「自分自身との相互作用」すなわち「自己相互作用」に他ならない(Blumer,1969b,p.5,p.14=1991年、6頁、18頁)7)。

 では、ブルーマーにおいて、その社会的相互作用とは如何なるものと捉えられているのか。ここで先に論じたシンボリック相互作用論の三つの基本的前提を想起されたい。まず第二の基本的前提が示唆するように、社会的相互作用とは、そこにおいて他者たちが、ある個人にとっての、ある事柄の意味を定めようとしている過程であった。その事柄の意味によって、その個人の事柄に対する行為のやり方が定められるということは(第一の基本的前提)、すなわちこの過程は、その個人が如何に行為するべきかを、他者たちが定める過程であるとも言える。この過程が、ブルーマーの言う「定義」(definition)ないしは「表示」(indication)の過程に他ならない(Blumer,1966=1969a,p.66=1991年、84頁)。次に第三の基本的前提が示唆していたように、個人は、他者によるその「表示」を、「解釈の過程」を通じて解釈している。ブルーマーの言う「他者の行為や言及の意味を確定」する「解釈」(interpretation)の過程がこれに相当する(Blumer,1966=1969a,p.66=1991年、84頁)。以上明らかになったように、ブルーマーにおいては、社会的相互作用とは、「表示」と「解釈」からなるものと捉えられているのであり、それ故、それが個人の内に内在化されたものとしての「自己相互作用」もまた、等しく「表示」と「解釈」からなるものと捉えなければならない。というわけで、「自己相互作用」とは、「解釈の過程」と同義の概念として提示され得るのである。

 

 以上、本節において得られた知見を総括するならば次のように捉えられよう。

 1)人間がある「事柄」(thing)に対して行う行為は、その事柄がその人間に対して有する「意味」(meaning)に基づいて行われる。換言するならば、その意味が、その事柄に対するその人間の行為の様式を定めることとなる。

 2)こうした、ある人間にとっての事柄と意味のセットが、その人間にとっての「対象」(object)を構成する。また人間にとっての「世界」(world)とは、こうした対象からのみ構成されるものとブルーマーにおいては捉えられている。

 3)こうした事柄の意味は、その事柄に生来的に内在しているものでも、一個人が主観的に付与するものでもない。それは、当の個人と社会的相互作用を行っている他者たちが、その事柄との関連において、その個人に対して行為するそのやり方から生じるものである。すなわち、他者たちのその事柄に対する行為の様式が、その個人にとっての事柄の意味を(したがって対象を)定義することとなるのである。

 4)とはいえ、社会的相互作用より導出された事柄の意味は、それを扱う行為者によってそのまま自動的に適用されるものと、ブルーマーにおいては捉えられているわけではない。行為者はその意味を使用するに先立って、その行為者自身の「解釈の過程」(process of interpretation)(=自己相互作用)を通じて、その意味を再検討し、その上で、その意味を自分自身の行為を導く「道具」(instrument)として用いることとなる。なお、ここで「解釈の過程」(自己相互作用)とは、他者と行う社会的相互作用を、個人の内に内在化させたものに他ならない。いわば、事柄の意味は、「社会的相互作用」と「自己相互作用」という、二つの相互作用を通じて、生成・再生成されるものと捉えられなければならない。

 行為者が、社会的相互作用を通じて、他者よりもたらされた「対象」を、自分自身の「解釈の過程」ないしは「自己相互作用」を通じて、自らの行為を導く道具として仕立て上げて行く。このプロセスこそ、ブルーマーの言う「意味付与」(confering of meaning)の過程に他ならない(Blumer,1962=1969a,p.80=1991年、104頁)。いわば、「自己相互作用」とは、人間が、自分自身と世界との関係を確定しようとする営みであると言える。

 こうした、ブルーマーの自己相互作用に関する立論については、これまで、それが個人の社会に規定される側面を看過した議論であるとか(「自己相互作用」論における「社会化」論の欠如)、それは、個人と世界との関係を論じるにあたって、人間の主観(自己相互作用の営み)を強調しすぎた観念論的な発想である、とする批判が寄せられてきた。次節に見る「主観主義」批判がそれに他ならない。そこで次節(第2節)では、まずその批判の内実を明らかにすることにしたい。その上で、その明らかにされた批判に答える形で、続く第3節においては、ブルーマーにおける「社会化」把握が自己相互作用概念との関わりのもとに明らかにされる。そして第4節においては、同じく批判に答える形で、ブルーマーが「個人と世界との関係」を如何なるものと把握していたのか、その内実が自己相互作用概念との関わりのもとに明らかにされる。

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非構造化テキストの概要:自己相互作用と行為

このテキストは、ブルーマーのシンボリック相互作用論における自己相互作用という概念を中心に、人間の行為のメカニズムを解説しています。テキストは大きく分けて以下の4つのセクションに分けられます。

第1節 自己相互作用−シンボリック相互作用論の三つの基本的前提をもとに−

このセクションでは、シンボリック相互作用論の核となる3つの基本的前提を解説し、自己相互作用がどのように人間の行為に影響を与えるのかを説明しています。

シンボリック相互作用論の3つの基本的前提

前提説明キーワード
1人間は事柄に対して、その事柄が自分にとって持つ意味に基づいて行動する意味、事柄、行為
2事柄の意味は、人間同士の社会的相互作用から生じる意味、社会的相互作用
3事柄の意味は、解釈の過程(=自己相互作用)を通して、操作・修正される意味、解釈の過程、自己相互作用

これらの前提に基づき、事柄の意味は、客観的なものでも主観的なものでもなく、社会的相互作用によって形成され、自己相互作用によって解釈・修正されることで、個人の行動を決定づけるものとして捉えられています。

自己相互作用とは

自己相互作用とは、「自分自身との相互作用」であり、社会的相互作用を内在化したものと言えます。つまり、他者とのやり取りの中で形成された事柄の意味を、自分自身の中で解釈し、行動の指針とするプロセスです。

第2節 主観主義批判

このセクションでは、ブルーマーの自己相互作用論に対する批判、特に主観主義に対する批判について解説しています。具体的には、自己相互作用論が個人の社会性に規定される側面を軽視し、個人の主観を過度に強調しているという批判が紹介されています。

第3節 ブルーマーにおける「社会化」把握

このセクションでは、第2節で紹介された主観主義批判に応える形で、ブルーマーがどのように社会化を捉えていたのかを解説しています。自己相互作用論は個人の主観を重視する一方、社会化の過程も無視しておらず、自己と社会の相互作用の中で個人が形成されていくプロセスを重視している点が強調されています。

第4節 ブルーマーにおける「個人と世界との関係」把握

このセクションでは、第2節で紹介された主観主義批判に応える形で、ブルーマーがどのように個人と世界との関係を捉えていたのかを解説しています。自己相互作用論は、個人が自己相互作用を通して、世界を解釈し、意味を与え、自己と世界との関係を構築していくプロセスを重視している点が強調されています。

全体として、このテキストはブルーマーのシンボリック相互作用論における自己相互作用の重要性を強調し、自己相互作用が人間の行為、社会化、そして個人と世界との関係を理解する上で重要な役割を果たすことを示唆しています。

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