人間は捨てたもんじゃない。
地下鉄でiPhoneをなくした。慌てた。安心安全を求めた。駅員さんが優しかった。必死に探してくれた。日本最高と思った。結局見つからなかった。神田駅で女性R様に会った。R様は「いつもありがとうございます」と書かれた封筒をくれた。中には一万円札が入っていた。所持金が一万円になった。漫画喫茶に行き、会う予定のあった人に連絡をしようとしたが無理で、ログインできたSNSから「奇跡的にこれを見ていたら、17時30分にハチ公前に来て!」と投稿した。ハチ公前に行くと、女性N様から「坂爪さんですか?」と声をかけられた。奇跡的に合流できた。N様は「ケータイを使わずに待ち合わせをしたのは久しぶりでなんだかドキドキしました」と言った。
イングリッシュパブでビールをご馳走になり、iPhoneを探すのアプリを使って検索してもらったら、私のiPhoneは千葉県市川市のマンションにあることがわかった。取り返すより酒を飲む道を選んだ私は即座に酔っ払い、二軒目も三軒目もN様がごちそうしてくれた。酩酊した私を介抱して、N様は私をホテルに運んだ。翌朝、目を覚ますと「市川のビルで火災が発生」とニュースキャスターが言っていた。スマホがないと心もとないが、気にしないでいいラクさもある。普段、どれだけ情報にまみれているのか。調べものとか検索とか、外の世界にリーチすること。連絡手段が絶たれると、必然、内側に向かう。俺は何をやりたいのか。本当は、俺は何を思っているのだろうか。
家も金も仕事もない。生命線のスマホもなくした。「終わった」とも思ったが、身軽に感じる自分もいる。残金七千円。今は新宿の漫画喫茶でこれを書いている。漫画喫茶に入るたび金が飛ぶが、漫画喫茶がある現代社会は便利で助かる。頭がとっ散らかっている時は書く。自分の内側にあるものを外側に吐き出し、客観的に現状を見る。最悪を受け入れて最高を描く。最悪は死ぬこと。OK。まずは死ぬことを受け入れる。死にたいわけではないから「そうならないためにどうしよう」と沈思黙考。知恵と勇気で習俗打破。連絡手段がないので、誰か来てくれるまで甲州街道沿いにあるドトール新宿南口店で粘ろうと思う。時間のある人は来てほしい。知恵と勇気を貸してほしい。
紙とペンがあってよかった。紙に書く。書く。書く。落ち着け。落ち着けば大概の問題はどうにかなる。ジタバタするな。スマホがないから調べものができない。その代わり、自分の内側を調べることができる余白が生まれる。日常的に生きていると、誰かの思い、誰かの考え、誰かの音楽、誰かの物語に、無意識に自分の頭が支配されていく。一時的にスマホを失っただけで、自分の頭がいかに「誰か」に汚されていたのかがわかった。誰かの思い、誰かの考え、誰かの音楽、誰かの物語にリーチできない代わりに、自分の思いや自分の考え、自分の音楽や自分の物語の息吹を感じる。スマホをなくしたことは、悪いことじゃない。いいことが起きているのだとさえ思えてくる。
俺は何をやりたいのか。本当は、俺は何を思っているのだろうか。書けば書くほど透明になる。汚れが落ちて、上塗りが剥がれ、内奥の思いに気づく。こどものように純粋な、未来を楽しみに思う気持ちがある。死ぬまでにやりたいことは特にない。ただ、いろいろな喜びに触れたいと思う。いろいろな楽しさに触れたいと思う。私が思っていることは「いいことあるといいな」「楽しいことがあるといいな」「友達たくさんできるといいな」「今日は誰に会えるかな」「今日は何が起こるかな」などなど、全部、こどもみたいな思いばっかり。あやふやで、漠然としていて、明確じゃない。だけど、明確じゃなくてもいいのだと思う。あやふやなその「遊び」の中に、いろいろな形をした喜びや、いろいろな形をした楽しさが舞い込んでくる。今日は何が起こるだろう。今日は誰に会えるだろう。いいことがあるといいね。楽しいことがあるといいね。ドトールに行く。あなたに会えたら、俺はうれしい。
バッチ来い人類!うおおおおお〜!
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