卑弥呼のいた邪馬台国が白日別=筑紫にあったことが示されてる?
福岡県の古地名は、「筑紫(つくし、ちくし)」です。
そしてさらに古い地名は、「白日別(しらひわけ)」がありました。 筑紫と白日別、これ覚えておいてください。
白には「つくも」という知られざる読み方があるとか。
白(つくも)によって「筑紫(つくし)」が暗示されてる感じがしました。
しかも「つくも」は九十九のこと。つくも髪とは白髪を意味するではないですか。ここでも「白と筑」が関わっていたりするわけで、偶然じゃないわけでした。
一方で、卑彌呼の「卑」の上半分に「由」ありますね。「よし、よる」と読むそうですが。「由」を分解すると、「白日」が出るのです。
まぁ漢の時代の漢字を見ると、上の飛び跳ねている部分が無かったりするので、微妙な仮説ではありますが。
ところで白の解字をみると
陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ。
ってありますね。「卑」が陰陽を現しているなんて、何か意味深。
卑彌呼の中に隠されていた「ちくし」
こっちの仮説のほうが、信ぴょう性は高いです。
「卑」の下には、「千」があるのですが。
しかも、これも筑紫に係わるものだとは思いませんでした。
卑彌呼という漢字のなかに、
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2023年2月3日
白日別と筑紫があったのだが・・・
卑→白日+千
千弓爾→ちくし→筑紫
白日別は筑紫の古名。
卑彌呼の拠点邪馬台国が、筑紫にあったという意味だろーか? pic.twitter.com/uHgVMeN0Gd
ということで、卑彌呼を分解した時に、「千」「弓」「爾」が出てくるんですよね。
これををつなげてみると、
千弓爾ちくし筑紫
卑彌呼の名前には、筑紫の地名がちゃんと入っているのではないかと。
偶然にしては、出来過ぎ君なかんじがしました。これが一流の言葉遊びかと。それはやっぱり、筑紫に卑弥呼の邪馬台国があったからだろうと。
当研究室では、以前から邪馬台国東遷説を念頭に置いてます。
安本美典さんの「福岡の朝倉甘木説」にあります、平塚川添遺跡説は有力だなと思ってますが。あと佐賀の吉野ヶ里遺跡も卑弥呼の居城だと考えてました。
筑紫という地名と卑彌呼の関係
ついでに気になったので、筑紫という地名も分解してみました。すると卑弥呼に係わる要素がくっつけられてる、そんな気がしました。
「筑」を分解すると竹冠、工偏、凡旁、「紫」を分解すると止、匕、糸と出ます。
月とは日(太陽)とセットであり、月日は陰陽を表すものでした。つまり卑弥呼の名前が陰陽を表すのと一緒。
「工」の解字によれば本来「貫く」意味があるのですが、卑弥呼の「弓」が矢で貫くのと合っているようです。
「凡」には「あまねし」という読みがあるのですが、「彌」にも「あまねし」があるのも偶然じゃないということが分かったりします。
「止」は「呼」に対応する言葉でした。なぜなら人を止めるには呼ぶからです。
「匕」はさじですね。卑弥呼の「卑」は本来お酒のひしゃくを意味するものでした。さじとひしゃく、どっちもすくい上げる道具ということで共通するようでした。
「糸」は古来より筑紫の拠点であった、委奴(いど)国、あるいは伊都国の名を反映するものかもしれないです。
・・・・・
何故こうして、筑紫の中に卑弥呼の情報が入っているのか?
そう思っているわけなのです。
ポチされでたすかります
関連記事
人気ブログランキング